まったく君には敵わない。

 夢の終わり方はやさしいものだった。 「ぱーぱ」 「しっ! だめだよアナ、パパがおきちゃう」  どんな夢であったか思い出せぬまま、最初に耳に飛び込んできたのは娘たちのかわいらしい声。最近ようやく、なにかしらの意味のある言葉を発せられるようになったアナの、もみじみたいに小さな手が私の頬にぺしりと触れる。それを窘めるエルサの音量はどこか抑えられている。  声色から察するにどうやら私は起きてはならないようなので、娘ふたりの様子を薄目で窺ってみる。  エルサとアナがそれぞれ、机の左右から顔を覗かせている。きっと魔法で氷の踏み台でも作っているのだろう、どことなく足元に冷気が差し込んでいた。にこにこといつだって満面の笑顔を浮かべているアナとは反対に、エルサは眉尻を下げている。 「パパきっと、つかれてるんだよ」  妹にかけるエルサの声は明らかに気落ちした様子だった。  もしかすると父親に遊んでほしくて―もしくはなにかを見せたくて―執務室を訪れたに違いない。妹が成長するにつれ妙に物分かりの良くなってしまった娘は他人を慮るあまり、自身に我慢を強いる傾向にあるようで。いまも例に洩れずきっと、子供心を押し込めアナを宥め去ってしまうのだろう。本人の言うところの”お姉ちゃん”であろうとしているのだろう。  パパは起きてるぞ、なにして遊ぼうか──そんな風な言葉をかけようとしたところへ。  目元が覆われる。ぬくもりの根源がしぃ、と小さく諌めた。 「あら、ふたり揃ってなにをするところなの?」 「すけーと!」 「あっ、でも、パパお昼寝してるから、またこんど…」  問いかけに元気に答える次女と、語尾を小さく収めていく長女の声に、未だ私の目元を隠したままのその人はひそやかに笑う。最近とみに母親然としてきたそのやわらかな笑い方に、私まで安堵するようで。 「じゃあママを仲間に入れてくれないかしら」 「いいの?」 「もちろん」 「やったー!」  窺いながらも嬉しさをにじませていることが手に取るように分かった。  先に行っていてちょうだい、そんな声と同時にふたり分の足音が駆けていく。廊下に反響したそれが聞こえなくなったところでようやく、目の前に光が戻った。  伏せていた上体を起こせば、私を見下ろしたイデュナが困ったように眉をひそめている。 「そんなにお疲れならベッドで休めばいいのに」 「私は別に、」 「痕。ついてるわよ」  ふいに伸ばされた指が頬を悪戯になぞっていく。恐らく伏せていた際に腕のかたちが残ってしまったのだろう、自分でも触ってみれば、ぼこぼこと痕になっている。それほど長い間夢に落ちていたのだろうか、そういえば窓から差し込む陽も傾いている気がする。  それでもまだ処理せねばならない書類が残っているし、なによりエルサとアナに寂しい思いをさせてしまう――そう言い募ろうとした私のくちびるに、まっさらな人差し指が触れて。  しぃ、と。彼女が声を落とす、まるで子供に言い聞かせるみたいに。 「おやすみなさい、ね」  そうして微笑みと、額への口づけを残した彼女は、開け放されたままの扉から娘の後を追いかけていってしまった。  ひとり置き去りにされた私は息を一つ、彼女の厚意に甘えるべく腰を上げた。 (子供と同じ扱いをされるのは少しばかり、不満も残るけれど)
 パパだってお疲れのときもあるよね。  2017.7.9