そうしてもう一度、君を見つけたい。
もっと早く気付けていれば、あるいは。
「──それで、ええと、あの星は、」
声に合わせ白い軌跡が昇り、ぴんと伸ばされた人差し指が夜空を撫でていく。迷うように彷徨って、そうして目的の光を見つけぴたりと止める。隣に腰かける私に視線を移した彼女は得意満面の笑みを浮かべるものの、それがいつもより翳っていることに今更気付くなどと。
夜が好きな彼女に星の名前を教えてあげた日が、もう随分と遠いように感じる。教えるといっても本でかじった程度の知識にけれど熱心に耳を傾けてくれるものだからつい、こちらも一つ二つと挙げていく。物覚えの早い彼女はするすると吸収していく、いまだって、漆黒に光を落とし込むその名を当ててみせて。
ぽすりと、疲れたのだろうか、上げたままだった右手が落ちる。手の甲にやわらかさを感じたのは一瞬、すぐに慌てて離れていってしまった。
膝の上で揃えられた手が、ぎゅ、と握り込まれる。
「…覚えちゃった。全部」
「…君は覚えがいいみたいだ、本当に」
それまでいつになく饒舌だった彼女のくちびるが急に、会話を紡がなくなってしまう。ただ一心に、重ねすぎて白くなった自身の手を見つめている。私だって、どう切り出せばいいものか、まったく見当がつかなくて。
黙って出ていくはずだった。彼女と見上げた夜空を思い出に自国に帰るつもりだった、星のまたたきのように、そっと。
だというのに彼女は、思い出だけでは物足りないほどの影を私の心に刻んでしまった。たった一週間ほど、太陽が姿を隠している間だけの話し相手であったはずなのに。今夜はどうしてだか眠れなくてと困ったようにはにかむ表情が、星の名前を教えてほしいのだと子供みたいにねだる声が、私の言葉に詰めてくれた距離が、白く流れていく吐息が、そしてやわらかく触れた手が。こんなにも後ろ髪を引いてくる。こんなにも、彼女に惹かれている。そんな事実を今頃、見つけてしまうだなんて。
そうしてきっと、彼女の中にも。
「…あの、ね、わたし、まだ教えてもらってないことがあるんです」
声が震えているのはなにも寒さのせいだけではないように思えた。
まつげが下りて、眸が現れて。意を決したように、私をとかし込む。月明かりを受けたそれは、こんな夜更けだというのに明るい色をまとっていた。陽の下で出逢ったことのない私たちは互いの眸の本当の色さえ知らなくて。そんな当たり前の事実がこんなにも、胸を締め付けて。
「教えてください。─…あなたの、名前」
「……私は、」
黙秘を、もしくは偽りの名を。私が取るべき選択肢はそのどちらかであるはずなのに。
気付けば動いていた手が、彼女のまっさらな指を掴んでいた。長時間夜風に晒されていたために可哀想なほど凍え切った両手を包み、くちびるを落とす、こもった熱がどうか伝わってくれますようにと。
「私は、──アグナル。アレンデールの、アグナルだ」
至近距離で見つめ返した眸がきらきらとまたたく、目尻を伝って雫が落ちていく。
「どうか。どうか覚えていてくれ、きっと、必ず、迎えに来るから。また君に会いに来るから」
「…っ、大丈夫よ、わたし、物覚えはいい方だから」
嗚咽をこらえながら、彼女が閉じ込められたままの手を引き寄せ額に重ねる。祈るようなその姿は、先ほどの言葉が心からのものであることを証明してくれているようで。
だからと、彼女は続ける、震えに殺されないよう、音を集めて。
「だから。…だからまた、一緒に星を見ましょうね、──アグナル」
「…ああ。ああ、約束だ」
そうしてもう一度。繋ぎ合った手にくちびるを落とせば、彼女も同様にくちびるを触れさせた。
私たちの契りを聞き遂げた夜は、静かに明けようとしていた。
(ねえねえママ、そのふたりってまた、いっしょに星みれたの?)
(ふふ、続きはパパも知ってるわよ。ね?)
(話を振らないでくれ)
(あら、真っ赤)
(覗き込まないでくれ、頼むから)
アグナル王子と異国の娘イデュナさん。
2017.7.25