意思不疎通

 淡い色合いの毛先が肩を滑り、僅かに猫背となっている彼女のそれに合わせるかのように前へ傾ぐ。見つめていた横顔が隠れ、潜んでいた形のよい耳が覗く。ラウンジの暖房が利きすぎているせいか、遠目ながらも火照っているように見えた。 「あ。天田くん」 「あ、はい!」  耳から首筋へと視線が移動したところで、顔を上げた風花に声をかけられ、天田はようやく我に返った。ずっと見つめていたことへの気恥ずかしさから、天田はバツが悪そうに指を組み、離しを繰り返す。  彼女はといえば、よほど作業に集中していたのか、少年が数分ほど前からその場に立って自身を見つめていたとは露知らず。 「ここ、どうぞ。立ってたら疲れちゃうし」 「え、あ。ありがとうございます」  すぐ隣を指し、にこりと微笑む。  どうしようかと逡巡し、それからどこか申し訳なさそうに風花から少し離れたところへ腰を下ろした。二人分の体重を受け止めたソファが沈む。 「風花さんは、なにをされてたんですか」 「うん、ちょっとこれの、」  つ、と彼女が掲げてみせたのは、月光館学園の制服。 「ボタン、取れちゃって」 「裁縫してたんですか」 「そうなの」  でも、上手くいかなくて。  そう言って風花は苦笑する。  以前、機械いじりが得意だと聞いたことがあったから、てっきり手先が器用なのかと思っていたが、どうやら裁縫は不得手らしい。よく見れば、手のあちこちに針で刺したのであろう傷があった。どうやれば針を持っている右手にも傷をつけられるのか尋ねたいが、それは彼女に対して失礼だろう。  一旦口を閉ざした天田だが、やがて思いついたように顔を上げる。 「あの。よければ、僕がしましょうか。ボタンつけ」 「え。天田くんが」 「はい。僕、こういうのは得意なんです。母さんの手伝いとかしてて」  天田からの申し出に一つ瞬きをした風花は、やがて頷いた。  眉を寄せ、謝罪を表情に乗せ、そっと制服を差し出す。 「じゃあ、お願いしてもいいかな」 「もちろんですよ!」  それを受け取ると、少年は年相応な笑みを満面に浮かべ、顔を輝かせた。  裁縫の初歩であるボタンつけは、数回ほどしか経験のない天田でもすぐに出来てしまう程度のものだ。 「すごい…、もうボタンがついちゃってる」  しかし風花は、そんな単純な作業にもいちいち感嘆しては褒めちぎる。天田はといえば、手元を覗き込まれ、どこか懐かしい匂いが鼻孔を掠めるたびに手が止まってしまう。  何よりも大きな要因は彼女との距離だった。  大人びているとはいえ未だ小学生の少年は、彼女の幼さを帯びた横顔を見つめ、それから我に返ったかのように視線を逸らし頬を染める。 「あ、の。風花さん。ちょっと、近いです」 「え。あ、ごめんね。手元、見えないよね」 「いえ! ジャマだとかそういう意味じゃなくて、その、」 「じゃあ、もうちょっと見ててもいいかな」 「あ、」  ──顔が近いんです  出かかった言葉は結局伝えることができず、嬉しそうに笑う彼女と視線が合い俯く。  ずっと作業が終わらなければいいのにと、少年は願わずにはいられなかった。そうすれば、 「…ボタン、ぜんぶ吹き飛べばいいのに」 「ええっ!? それは困るよ!」 「あ、すみません! そういう意味じゃなくて、純粋に、ボタンが吹き飛べばいいなって!」 「言い直したのに結局意味変わってないよ!」 (もう少しだけ、そばにいられるのに)
 風花ちゃんに淡い片想いしてる天田くんがすき。  2011.4.24