落日にとける。

 世界が、橙色に染まった。 「…きれい」 「でしょ?」  思わず洩らした感想に、隣に立つ彼女は得意顔で胸を張る。まるで自分がこの景色を作り出した、とでも言わんばかりに。けれど彼女なら、その気になればこんな素敵な景色一つ、簡単に作れそうだ。  魔法使いの彼女がくるり、杖を回す。そんな姿を想像すると少し、笑えてくる。 「やっと笑ったね、沙織」  そんな私を見止めて、彼女もにこり、笑う。 「やっと、って」 「だって沙織、すっごい暗い顔してたから」 「そんなこと、」 「シワ。眉間に」  慌てて眉間を押さえれば、うそだよ、とくすくす笑みをこぼす。シワなんてないよ。  けれど、表情が明るくなかったのは本当かもしれない。彼女といる時くらい、笑っていようと心がけているのに。いつも心配をかけさせてしまう私は、友達失格かもしれない。 「もう、またそんな顔」  考えを見透かしたように、苦笑を浮かべた顔が覗き込んできた。  そんなことよりもほら、と。彼女は目の前の景色を指し示す。  鉄格子に手をかけ、ぎりぎりまで顔を寄せる。  手を振り合い下校する生徒、夕日を受け輝くビル群に、学園をぐるりと囲んでいる海。沈みゆく夕日に照らされた巌戸台は、昼間の活気溢れた様子が嘘のように、どこか寂然としていた。  屋上から景色を眺めるのは初めてではない。けれど、こんなにも美しく、寂しげに見えたのは初めてだった。 「…少し、寂しいわ」 「そうかな」 「うん」  首を傾げる彼女に、ほら、と指差すのは橙色のそれ。 「夕日、沈んでるでしょ」  ああ、また今日が終わってしまうんだ、そう思うと寂しくて。  どれだけ楽しくても、時間は残酷に、平等に流れていく。今だって、彼女と過ごしている時間でさえ、無情にも流れていってしまう。そのことを私は、とても寂しいと思う。 「わたしは、わくわくするよ」  よっ、と元気なかけ声を一つ。鉄格子を軽々と登りきった彼女は、臆することなく立ち上がる。  驚く私に、振り返った彼女はにこりと笑顔を一つ。私の大好きな表情を、向けてくる。  ゆるり、両腕が広げられる。夕日に向かって、かき抱くように。 「夕日、沈んでるでしょ」  ああ、また明日がやって来るんだって。新しい日が始まるんだって。 「そう思ったら、すごく、わくわくするの」  ──このひとにはどんな風に見えているんだろう  透き通ったとび色の眸に、夕日に染まりゆく世界はどんな風に映っているのか。ふと、気になった。  或いは私も、彼女のように鉄格子を乗り越えられたなら、同じ世界が見えるのかもしれない。けれど今の私はただ、格子に縋りつくだけ。その隙間から少しでも彼女と同じ世界を垣間見ようとするだけだった。  怖がらないでと、彼女は言う。 「明日が来ることを、怖がらないで」  答えるかわりに、つと、瞼を閉じた。橙色がゆるり、網膜にまで侵入してくる。 「明日も、こんな日になるといいな」  そっと、つぶやいた。 (それでも私は、時が止まってしまえばいいのにと願う)
 あなたとずっと一緒にいられるのなら、どんなにかすばらしいのに。  2012.8.21