いっぱい食べる君が、

 チキンリゾットに麻婆茄子、ブイヤベースにボルシチに果ては焼き鮭。  いま挙げていったのは決して、夕飯の候補なんかではない、決して。 「んうっ、おいしい!」  目の前のちっこい女が、一人で平らげた料理だった。  付き合ってください、と言われたのが始まり。  その言葉の真意を確かめる間もなく、俺の了解を得ぬまま引っ張り出されてたどり着いたのは寮のキッチン。ああそういうことかと、すぐに合点がいく。つまりは飯を作れということらしい。一度きまぐれで作ってからというもの、この女は俺の料理をたいそう気に入ったらしく、事あるごとにせがんでくるのだ。物好きにもほどがある。  いつもなら断固として拒否しているが、今日は奴の気合も違った。シンクには、今まさに買ってきましたと言わんばかりに新鮮な食材が、それこそ山ほど乗っていたのだ。  その食材に、この俺が黙っていられるはずはなかった。思い返してみれば、完全に計略に嵌っていたのだと思う。  腕によりをかけて作った先から、目を輝かせて眺め回し、コメンテーターばりの解説をしながら、ぺろりと平らげる。あんまりにも美味そうに食べるものだから、ついつい調子に乗って作って。  気付いてみれば、机の上には明らかに一人分ではない量の皿が積み重なっていたというわけだ。 「せんぱーい、おかわり!」 「ねえよ!」 「ええっ。あれだけ買ってきたのに、食材」 「自分の腹に訊いてみろ。どこにあるのかってな」 「この中には消化器官しかありませんよ」 「もう消化したのか」  返事の代わりに笑顔で叩いた腹は、あれだけの食材を収めたとは思えないほど薄い。スカートのホックさえ、緩めている気配はない。  面白いくらい食べるこいつに、最初は感心していたものの、ここまでくれば恐怖さえ感じる。こいつの満腹感はどこに行ったんだ、どこに。 「やだなあ、あと十皿分くらいで満腹ですよ」 「おまっ…、どうして、」 「顔に書いてありますよ。お前の満腹感はどこに行ったんだーっ、て」  タイミングが良すぎる返答に、もしかして心を読まれているんじゃないかと錯覚する。いや、こいつならありえそうで怖い。路地裏ではそこそこ恐れられている俺が、まさかこんな女に恐れを抱く日が来ようとは。  いろいろ言ってやりたいことはあったのに、口を開けばため息ばかりだ。 「お前は…、せめて国ぐらいはっきりしろよ」  とりあえず一つだけ。手渡されたメモ通りの料理を作ったわけだが、そのどれもが違う国の料理だった。せめて和なのか中なのか、それとも何処かの国なのかはっきりさせてくれ。  その言葉に、奴は急に神妙な顔つきになって腕を組んだ。頬に麻婆茄子の名残がついてるが。 「それには並々ならぬ事情があるのです」 「お前の腹も並みじゃねえけどな」 「実はポロニアンモールに、グルメキングなる学生がいるという噂がありまして」 「は、」  口から出てきた聞き慣れない単語に、間抜けにも声を洩らす。 「その人になかなかお会いする機会がなくて。わたしの舌が肥えれば、いつかは出会うかなって」 「ま、待て。何だその、グルメキングって」 「言葉の通り、グルメ批評家みたいな人だって噂です」 「そいつに会って何するつもりだよ」 「もちろん、食べ物についてたくさん、たっくさん! お話するんですっ!」  興奮のあまり立ち上がった女の目は、きらきらと光っていた。花より団子、色気より食い気。昔のお偉いさんはよく言ったものだ。 「それで俺の料理、か。グルメってんなら、どっか店の料理食ってくりゃ良かったのによ」 「なりません!」  目の前の椅子に座りつつもっともな意見を言えば、ずびしと勢いよく否定される。  お前はどこの大奥だ。それに人の顔を指すんじゃない。 「荒垣先輩の料理だから、いいんです!」  そうして奴はまくし立てるように、早口で、かつ濃厚に料理の感想について述べ始めた。  曰く、チキンリゾットのまろやかな食感、そしてほのかに香るレモンが味を引き立たせててすごくおいしかったです。  曰く、麻婆茄子は味がしっかりと染み付いていながら確かな歯ごたえがあって、大変おいしかったです、等々。  要約すれば、 「おいしかったです、全部!」  ──こいつは俺を褒め殺すつもりなんだろうか 「…そうかよ」 「あ、別に殺すつもりなんてありませんよ。本当のことを言ったまでです!」 「顔。見んじゃねえ」  表情に出ていたのだろうか、またもや確信を突く返答をしてきたので、とりあえず顔を逸らす。ばれないように横目で様子を窺えば、まだ言い足りないらしく、焼き鮭は日本人の魂ですよねえ、などとよく分からないことを語っている。  食べ物のことしか考えてないみたいな、幸せそうな顔を見ていると、こっちまでつい、微笑んでしまいそうで。 「え、先輩。どこ行かれるんですか。もしかしてわたし気分を害するようなことを口走ってしまったのでしょうか!」 「おい」  俺が立ち上がったのを見て何を勘違いしたのか、途端に不安そうに取り縋ってくる。そんな様子さえ、おかしくて、 「次、何が食いたいんだ」 「──シューマイ!」  どうやら姫様は中華がお好きらしい。 (うまそうに食うやつは、すき、だ)
 がっきー先輩に料理させたかっただけ。  2013.10.11