あなたが私を許しても、私が私を許せないの。

 何をしているのか、何をしたいのか、尋ねることすら面倒だった。 「何をしているのかしら、巴マミ」  それでも私の口は反射とも呼べるほど瞬時に、問いを投げかけていた。なんて律儀な私の口。その行動が染み付いてしまっているというのは少し、いえかなり由々しき事態だけれど。  私を悩ませている元凶はといえば、よくぞ訊いてくれましたとばかりに満面の笑顔。 「ハンモックを吊してるの」  そんなことは見れば分かる。重要なのは何が目的か、だ。 「暁美さんと寝ようと思って」  よっぽど表情に出ていたのか、それとも経験則なのか。問いかけを言葉に乗せるよりも早く、変わらぬ笑みで簡潔に。簡潔すぎて伝わらないのが非常に難点である。  私と違って表情豊かな彼女の思考を先取りする、すると彼女が、もう暁美さんったらまた先に言っちゃうんだから、とふくれっ面を作ってみせる──これが以前の、至極当然だったやり取り。けれど最近では逆転しつつあった。  ポーカーフェイスには結構自信があるのだけれど、最近どうも保てていないようなのだ。それも、巴マミの前では。  以前は気にもしなかったはずの仕草や言葉、果ては彼女が私の名前を発するたび、つきりと何かが音を立てる。無表情を貼り付けることが出来ず、自分でもそうとはっきり分かるほど気持ちが前に前にとでしゃばってくる。  そこまで来ているならいっそ正直に吐き出してしまえばいいのに、強情で臆病な私は、『私』を守るために意地を張る。そうしてまたどこかがつきり、痛むのだ。  痛みの名前を、私はまだ、知らない。 「それで、なぜハンモックを吊すって結論に至ったのかしら」  つきり。痛み出したそれから意識を逸らし、質問を続ける。  魔法で生み出した黄色いリボンで、部屋のど真ん中にハンモックを吊り下げた彼女は、完成、と小さく宣言し、振り向いた。 「ほら。暁美さん、広いベッドで寝るのは落ち着かないって、前に言ってたじゃない」 「言ったわね、確かに」 「だからよ」 「だから何」  相変わらずの言葉足らず。暁美さんだったら分かるでしょ、とばかりに顔を覗き込まれたので、首を振って否と示した。  途端、意外とばかりに目をまたたかせてみせる。大仰な仕草、とも思うけれど、これが彼女の常。 「あら。暁美さんだったら分かると思ったのに」 「分からないわ。特に、あなたの行動全般」  最近は本当に、と付け足すのは心の中でだけ。  分かっていた、分かっていたはずだった。巴マミの行動も、仕草も言動も全て。  けれど最近は、分からない。彼女が私に何を言いたいのか、私に何を向けているのか、何を思っているのか。  或いはたわいもないじゃれあいの延長線なのかもしれない。こうして彼女が私を覗き込んでくるのも、触れてくるのも、笑顔を向けてくるのも、全部全部。  そうでも考えないと、錯覚してしまう。私にはそんな資格がないというのに、自分に都合のいいことばかりを考えてしまう。  ほら、今だって、 「それで、何」  腕に触れていた手から、やんわりと逃れる。ぬくもりが離れていく瞬間というものは、何度経験しても慣れるものではない。  彼女は大して気にした風もなく、どことなく得意げな表情でふふんと鼻を鳴らした。 「ハンモックなら狭いでしょ。だから、一緒に寝てくれるかなって」 「あらもうこんな時間」 「ああ待って! 帰ろうとしないで!」  立ち上がる素振りを見せただけで、焦った彼女は胴に抱き付いてくる。そんな気はさらさらないというのに、簡単に引っかかってくれる。  ちらり、視線を向ければ、若干涙を滲ませた眸とぶつかる。淡い色を映したそれはとても、とてもきれいだ。  ため息を一つ、仕方ないという風を装い、再びクッションに腰を落ち着ける。これが私の、『私』を保つ精一杯。  大丈夫。私はまだ、彼女が分かる。必死に言い聞かせている部分にはとりあえず、気付かないふりをする。 「ハンモックだろうが何だろうが、あなたと一緒に寝るなんて趣味はないわ」 「むう。別に変なことはしないわ」 「そういう前提の時点で間違ってると思うの」 「え、そういうことじゃないの」 「あなたは私を何だと思ってるのよ」 「暁美さんかなって」 「でしょうね」  傍目に見ても、きっといつも通りのやり取り。この流れだと私は、なんだかんだで巴マミの追従から逃れ、それじゃあとここを後にするのだろう。  そう、いつも通りに。痛みなんてない、ないのよ。  けれど今日の彼女は、私のいつも通りを許してはくれなかった。  同時に立ち上がったかと思えば、意外と強い力で手首を掴まれる。驚く私が視線を向けるよりも早く、さっと膝裏に回された右手に力が加わり、流れるように自然な動作で横抱きにされてしまった。  この体勢は、いわゆる、 「──っ、」 「あら、思ってた以上に軽いわね。ちゃんと食べてるのかしら」  自身の状況を理解したと同時、頬に熱が集中する。これだけのことで、とも思うが、これほどまでに接近したことは、私が知る中ではなかった。  思えば彼女は、事あるごとに触れようとしてきた。指先が、手のひらが、腕が、どうにか私を捉えようと伸ばされてきた。  触れようとするたび、私は体よく逃げてきたのだ。  そのぬくもりに溶かされてしまわないように、ぬくもりを覚えてしまわないように。どうか、どうかあたたまってしまわないようにと、私は寒さに逃げた。  私が触れさせないようにしていることは、いくら鈍感な彼女でも理解しているはずなのに。無駄に発育した憎まれ口を駆使して逃げ回っていることを、知っているはずなのに。  それでも、それでも彼女は触れようとしてくる。『私』にぬくもりを与えようとしてくる。  気付けばハンモックに身体を横たえられていた。私を受け止めたそれが僅かに沈む。全体重を支えているリボンが、悲鳴を上げるように軋んだ。  視界に広がっていた天井がふいに遮られ、見慣れた巻き毛がぴょいんと跳ねる。 「どうかしら、寝心地の方は」  眩しさに目を眇める私に、彼女の声が響く。 「酔いそうね」  ゆらゆらと左右に揺れる上に、瞼を閉じているものだから、まるで平衡感覚を失ってしまったような気分だ。もちろん、あまり気持ちのいいものではない。  そんな可愛げの欠片もない返答も意に介さず、ふふ、と笑い声を一つ。すぐ隣に気配を感じ、目を開いた。 「あら、ほんと」  寝心地よくないわ。隣で仰向けに寝そべった彼女が、少々不満そうに洩らす。 「なんだか固いし」  床に着いてしまっているのだから、それも当たり前だ。  元々高く吊っていなかったからか、二人分の体重を乗せられたハンモックはとっくに床と密着してしまっていた。決して私たちが重いわけではない。 「もう。失礼なハンモックね」  しかし、理不尽な怒りを向けられたハンモックも可哀相なものだ。  胸の内でそっとハンモックに謝罪の念を送っていると、くるり、彼女がこちらに身体を向けた。そうして何が嬉しいのか、にこり、微笑む。  つきりと、小さな痛みがまた、走った。  つ、と。伸ばされる手。幼子をあやすみたいに、頭を優しく撫でてくる。そうしてふにゃりと表情を崩して、どうかしら、だなんて。 「寝心地の方は」  最悪と、答えてやればよかった。きっとそれが一番私らしい答え。  けれどいつもの憎まれ口は、肝心な時にでしゃばってはくれなかった。ただただ感じる痛みを、口を開けば溢れてしまいそうな痛みをこらえ、じっと無言を貫く。それが私の精一杯。  こうしていれば、鈍感な彼女には何も分からないはず。無表情を貼り付け、音を殺して、そう、何も。 「…そんな泣きそうな顔、しないで」  それなのに彼女は、私さえ知り得ない心を読んでくる。  額を自身のそれと軽くぶつけ合わせ、ゆるり、瞼を閉じる。何もかもを映し込んでしまうほど透き通った眸を隠し、ほら、と囁く。 「泣き虫な暁美さんは、私の中に閉じ込めたから、」  だからどうか、こわがらないで。 「怖がってなんか、」 「ねえ。もういいの」  もういいのだと、彼女は言う。自分を、暁美さんを許してあげてと、彼女は繰り返す。  そんなこと、彼女が言うべき言葉ではないのに。本当はずっと、魔法少女としての私が終わるその日までずっと、掛けられるべき言葉ではないのに。  許して、なんて。言われたら、弱い私はその言葉に簡単に従ってしまう。巴マミを見捨てた私を許してしまう。傍にいてもいいのだと、思い上がってしまうのに。  どうして、どうしてこの人は、こんなにもあたたかいのだろう。  僅かに身をよじる。彼女との距離がほんの少し、開く。  つきり。距離と同じくらいの痛みが一つ。 「ごめんなさい」  再び出逢った眸に映ったものは、やっぱり私でしかなかった。 「私はまだ、私を許すことはできないの」  きっとこれからも、なんて。付け足すのは心の中でだけ。 (こんなにもやさしいあなたを裏切った私なんて、)
 ほむほむはいつまでも悩んでそう。  2013.2.7