あなたとおそろいがいいの、暁美ほむらさん。
「これが、ディスカウントストア…っ」
声をわずかに弾ませ、子供のように目を輝かせた暁美さんが、自動ドアをくぐった瞬間つぶやいた言葉がそれだった。
***
わたしの言葉がきっかけで、暁美さんと同棲することになった、らしい。
らしい、というのはつまり、その記憶がまったくないわけで。
『巴マミ、昨日の言葉は本当なのね?』
『え。あ、ええ。そうね、本当よ』
起き掛けに詰め寄られ投げかけられた質問に、わたしは戸惑った。何が本当なのか、そもそも昨日の言葉というのも覚えていないのだけれど、真剣な表情で近付く彼女にまさか、『何か言ったかしら』などと問えるはずもなく。
気迫に押され思わず頷くと、彼女は安心したようにほむう、と腕を組み、わたしに背を向ける。
『じゃあ、引っ越しの準備をしないといけないわね』
『引っ越しって、』
『あなたの部屋に』
『わたしの部屋に?』
急にやる気が満ち満ちた様子の暁美さんの言葉に首を傾げる。
そんなわたしをよそに、ああでも私の家には何もないから身一つでいいわねなどとつぶやいていた。
そうしてくるりと振り向いた彼女の顔は、今までに見たことのないほど輝いていた。
『早速、買い物に行きましょう!』
『か、買い物?』
***
そして今に至るわけで。
初めてディスカウントストアに来たという暁美さんは、その広さと物の多さに圧倒され、ほむあぁ…とよく分からない――おそらく感嘆しているのだろうけれど――声を洩らす。
しかし、わたしが見つめていることに気付いたのか、ごほんとわざとらしい咳払いをして、いつもの無表情を作った。誤魔化しにもなっていない行為をする暁美さんが、なんだかいつもより可愛らしく見える。
わたしは騙されたふりをして、彼女に近付いた。
「もう、大げさねえ」
「こんなに広い場所に来たことがなかったもの」
「じゃあ今まで買い物は」
「コンビニで事足りていたわ」
事もなげに答えた暁美さんの生活を慮り、やれやれとため息を一つ。食事だって、きっと健康食品やサプリメントみたいな、手軽なものばかり食べていたのだろうことは容易に想像がつく。
そんなわたしの心配など知る由もなく、彼女はカートを押して奥へと進んでいく。
「ほら。そんなところで突っ立っていないで、早く行きましょう、巴マミ」
「分かってるわ、暁美ほむらさん」
「どうしてフルネームなの」
「あなたの真似よ」
「私の真似だというのなら、敬称は外しなさい、巴マミ」
「それは難しいわね、暁美ほむらさん」
呆れたように息をつき、くるりと方向転換。カートを押しつつ商品棚の影に消えていく彼女を追いかけながら、わたしはひっそりと、昨日のわたしに感謝した。
以前の暁美さんは──眼鏡をかけ、おさげ髪を揺らして、巴さんと呼んでくれていた暁美さんは、よく笑っていた。それ以上に真っ赤になって恥ずかしがることも多かったけれど。
けれど、記憶を失ってしまってからの暁美さんは、途端に笑顔を見せてくれなくなってしまった。
いつも無表情で、なにを言ってもそう、と。気のない返事ばかり。
でも、こうして少し一緒に過ごすことで、わずかだけれど笑顔を見せるようになってくれた。一緒に暮らすことになったのだから、今の暁美さんのことももっとたくさん知っていけるのだろう。
そうすればきっと、『暁美さん』の記憶も、戻るはず。
「で。なにを買う予定なのかしら」
「日用品」
からからとカートを押す暁美さんと並び、同じく商品棚に目をやりながら尋ねる。
さっきはコンビニにしか行ったことのない彼女に呆れたけれど、かくいうわたしも、大きなお店に来るのは久しぶりだということを思い出した。中には一風変わった商品も置いてあり、陳列してあるものをしげしげと眺めてしまう。
わたしの様子をちらりと横目に見た彼女は、簡潔に答えた後に立ち止まり、あごに手を当て思案のポーズ。
「歯ブラシ、いるわね」
薄紫の歯ブラシを取り、かごに放り投げた。
「ついでに、この黄色の歯ブラシも入れてちょうだい」
「なぜ」
「わたしも欲しいからよ、歯ブラシ」
彼女と色違いの歯ブラシを指すと、こくりと頷いた彼女が黄色の歯ブラシもかごに入れる。予備の歯ブラシがまだ残っているのだけれど、それはまた今度使えばいいのだ。
お皿にコップにと、生活に必要なものを二人分買っていく。彼女と色違いのものを、わたしも一つ。
暁美さんは暗色系の色が好きみたいだった。ピンクや赤も勧めてみたのだけれど、そんな色は私に似合わないからとにべもなく断られてしまった。
なのに赤いリボンはしているのね、何の気なく言うと、彼女は苦笑した。とても寂しそうに、笑った。
「他になにか欲しいものは」
「サプリメント」
食料品コーナーを通りがかったせいか、立ち止まってそんなことを言う暁美さんに、思わずため息をこぼした。
「だめよ。これからはわたしがごはん作ってあげるから、必要ないわ」
「私にとっては必需品なの。あれがないと落ち着かないのよ」
「だーめ」
「けち」
「そんな可愛げのないこと言う子には、もうごはん作ってあげないわよ」
「それは困るわね」
まだ食い下がるかと思ったけれど、彼女は案外すんなりと引いてくれた。
そんなにわたしの作る料理を気に入ってくれたのかと思うと、少し嬉しくなる。今日は腕によりをかけて、おいしいものを作ってあげよう。
それにしても、随分と買い込んでしまった。段々と許容量を超えてきたかごを見ながら、やれやれと自分にため息をつく。
誰かと買い物する、ということ自体が久しぶりで、つい買いすぎてしまったかもしれない。
衣料品コーナーにさしかかり、ふと吊るされている服に手を伸ばす。
「そういえば、寝間着は」
「持っていないわ」
「やっぱり」
その答えは予想の範疇だったので、別段驚きはしなかった。泊まった時も、Tシャツ一枚で寝ようとしたのだから。その日はわたしの寝間着を貸してあげたのだけれど。
「必要ないもの」
「そんなことないわ。もう冬なんだから、Tシャツ一枚だと寒いわよ」
夏ならともかく、もうすぐ冬が訪れようとしている。暖房をかけていたって寒いのだ、Tシャツ一枚となると、想像するだけで鳥肌が立つ。
自分の肩を抱いてみせるわたしに、暁美さんはくすりと笑う。
「寒がりなのね」
「暁美さんが鈍感なだけよ」
事実ではあるけれど、認めるのもなんだか癪で、そっぽを向いて反論してみた。
と。すでに一杯になっているかごを覗いていた暁美さんが、ふと、思い出したように疑問を一つ。
「そういえば。何であなたも同じものなの」
「なにが」
「何で私と同じものばかり買うのって、訊いてるの」
違うものにすればいいじゃない。彼女が続ける。
ああなんだ、そんなこと。本当に不思議そうに首を傾げる暁美さんに、ふふ、と笑いかけた。
「あなたとおそろいがいいのよ、わたし」
おそろいの歯ブラシ。おそろいの食器。おそろいの寝間着。姉妹がいる友達に聞いてからというもの憧れていた、おそろいという響きを、ものを、同居人となる暁美さんとしたくて。暁美さんとおそろいになりたくて。
「わたしとおそろいは、お気に召さないかしら」
嬉しくてつい自分ばかり話してしまったものの、なにも言ってこないことに少し不安になり、尋ねてみた。
対する暁美さんはというと、私を真正面から見つめ、ゆるりと頭を振る。
「そんなこと、ない」
否定した彼女は、フードがついた寝間着を二着、ハンガーから取り外す。白と黒、それぞれ一着ずつ。
「それは、」
「私とあなたの寝間着だけれど」
それとも。
「私とおそろいは、お気に召さないかしら」
一言一句、数分前のわたしと同じ言葉を投げかける彼女が意図していることが分かり、自然と笑みが浮かぶ。
そうして先ほど彼女がしたのと同じように、ゆるり、頭を振った。
「そんなこと、ない」
穏やかに笑う姿が一瞬、かつての少女と重なる。まっすぐな眸でわたしを見つめていた、おさげ髪の少女と。
「──暁美さんは、やっぱり暁美さんなのね」
独り言のつもりだったけれど、聞き咎めた暁美さんは振り向き、また笑ってみせた。
「おかしなことを言うわね」
「ええ。本当、おかしいわ」
記憶を失くしても、呼び名が変わろうと、彼女は彼女なのだ――当たり前のことに、今更気付くだなんて。
首を傾げる暁美さんの腕を絡め取り、もう片方でカートを押す。重みに耐えているカートが、ぎいと非難するように一声上げた。
「ちょ、ちょっと巴マミ」
焦ったような彼女の声に静止されるけれど、構わず進み続けた。それほど咎めるつもりもないのか、ほどなくして、もう、と彼女がつぶやく。
「本当、おかしな人ね」
言葉とは裏腹に、くすりと笑った気がして。
「まだまだ買うわよ、暁美ほむらさん」
調子に乗って買い過ぎ、暁美さんに責められながら帰るのは、少しあとの話。
(あけみほむら、って。やっぱり呼びづらいわね)
思わずほむって擬音がでちゃうほむほむ。
2012.3.29