あなたにおぼれる。
声が自分のものでなくなってしまったみたいだった。
「──ひっ、ぁ、」
原型を留めていない音はにじんだままのどからこぼれていく。口元を押さえたくても、両手はしっかりとシーツを握って離れそうにない。もっとも離してしまったら、せっかく握りしめた痛みとともにかき集めている意識がどこかへ消え去ってしまうだろうから、指を開くことなんてできないけれど。
頬を枕に押し付けて、それでも腰は高々と持ち上げて、きっといま、獣のような格好をしている。そう思うだけで、おなかのなかがぐじゅぐじゅととけていくみたいに熱を持つ。なんてみだらなの、なんてはしたないの、恥ずかしくてもう消えてしまいたい。たとえば私が生み出す雪のように、氷のように、なんにもかたちを残すことなくとけてしまいたいのに。そうは思うけれど、実際の私はちらちらといまにも舞いそうになる結晶を抑えるのに精一杯で、自分まで消し去る余裕も術もあるはずがなかった。
くちびるを噛みしめているところへ、深く沈んでいた指が突然抜かれて、思わず息が止まる。ゆるゆると落ちていく腰を、けれどアナが見逃してくれるはずがなかった。首筋から背骨、それから尾てい骨へと、辿られた先から自然と身体が上がっていく。まるで撫でられた猫みたいねなんて思う暇もなく、くちびるが背中に落とされてふるり、震えた。
ぱちぱち、火花が全身を駆け抜けていく。目の前で花火が散っていくたびに、のうみそがなにも考えられなくなっていく。それでなくてもアナに触れられた時点で、もう彼女のことしか考えられなくなっていたのだけれど。
いまだってそう、どんどんと位置を上げてくるやわらかなくちびるに期待だけが高まるばかり。
ねえ、あなたはいま、どんな表情を浮かべているのかしら。あなたのくちびるに翻弄されている私をどう思っているのかしら。どうか、どうか私と同じように余裕を失っていてほしい。ただ私のことだけを考えていてほしい。だれにもみせたことのない表情を、私にだけはみせてほしいの。
距離を縮めてきたくちびるはそうして頬まで行き着いて、けれどそれ以上の色が落とされることはなかった。期待に自然閉じていたまぶたをこじ開けても、景色は変わらないまま、妹の姿はどこにも見えないままで。
「あ、な…?」
さっきからずっと呼びかけているのに、応えなんて返ってこない。振り返ろうと重い頭を動かせばいつも、見計らったように指が侵入してきてそれを阻むのだ。まるで顔なんて見たくないと拒絶されているみたいに。
本数の増したそれがばらばらの意思を持って蹂躙しはじめて、私はまた、息を詰める。この感覚ももう何度目か、数えるのはとっくの昔にあきらめていた。
いくら音を洩らしたって、視界を閉ざしていたって、アナの存在はいやというほど感じるのに、ストロベリーブロンドの一房さえ見つけることが叶わないなんて。こんなにも、こんなにもあなたを求めているのに、声さえ聴くことが叶わないなんて。
言い知れない不安がじりじりとにじり寄ってくる。しびれるくらいの快感が急にこわくなる。どうして、なんでと、そればかりが頭を占めて、私はきつく、シーツを握りしめる。指がさらに手のひらに食い込んできても、恐怖が振り払われることはなかった。
「…あ、な。あな、ねえ…アナっ、わたし、あなたのかお、みたい、の」
「…え?」
絶えていこうとする息を必死にかき集めてなんとか言葉を成せば、初めて声が与えられた。たった一音だけ、けれどそのたった一音を渇望していた私の身体にゆっくりと音が染み込んでいく。アナの音が、私にだけ落とされた音が、こんなにもうれしい。
驚きがにじんだそれに構わず、想いを拾い寄せていく。
「アナの、かお、みたいの。きもちいい、のに、ふあんで、こわくて、だから…っ、」
気付けば陽だまりみたいなあたたかさに包まれた。最後まで紡ぐ前に腕を引かれて、妹の胸の中で抱きとめられていたのだ。
ぎゅうぎゅうと力を入れて、顔を首元にこすりつけてくる様子はなんだか夢見の悪い子供のようで、さっきまでのことも忘れて私はそっと頭を撫でる。目に鮮やかなストロベリーブロンドの髪は指を受けとめてするするとほどけていくようだ。小さいころは涙を流したら、近くに寄ってきたらと、ことあるごとに撫でていたけれど、なにぶん随分と昔のことだから、手のひらは成長した妹に戸惑ってぎこちなく動くばかり。
ひくりと、そのうちに妹がしゃくり上げてしまった。
「ご、ごめんね、エルサ、ごめんね。あんまりにも可愛かったから、ちょっと、いじめたくなっちゃっただけなの。こわかっただなんて、思わなくて」
ごめんなさい、と。そればかりを繰り返すアナの涙で濡れた頬を両手で包み込んで、じ、と見据える。ようやくまみえた薄氷色の眸はかすんでしまっていたけれど、私の願いを満たすには十分すぎるくらいだった。手のひらから伝わるアナの熱が、不安も恐怖もすべて塗りかえていくみたい。
そばかすにくちびるを落とせば、妹はくすぐったそうに身をよじる。それからきょとんと目を丸めた彼女にそっと、微笑んでみせた。
「ね、なかないで、アナ」
ああ、やっぱり私は、あなたのことしか考えられないみたい。少しだけ冷静になったのうみそはけれどあなたでいっぱいだもの。視界には色を取り戻した薄氷しか映らなくて、耳はあなたの声ばかりを再生していて、手のひらはあなたの熱さえも奪い取ろうとしているようで、ねえ、わたしの身体すべてが、あなたを求めているのよ、アナ。
「笑ってちょうだい、ねえ、おねがい」
この想いのたったひとかけらでも伝えられたらいいのに、言葉を形づくることが不得手な私のくちびるはただ勝手な願いを口にするばかり。あいしてると、五文字きりの言葉に集約できるほど小さな気持ちではないから、この指先からどうか想いがあふれ出しますようにと、雫を拭い去る。
またたきを一つ、二つ、残っていた雫を一すじ流した妹は、私の願いを聞き遂げてくれた。ふにゃりと笑み崩れた表情がだいすきで、いとしくて、ああねえ、どうすればあなたへ教えることができるのかしら。頬をすり寄せたって、あなたが気にしているそばかすに口づけたって、なんにも伝わらないとわかっているのに、言葉を知らない私はただ、行動に乗せることしかできないだなんて。あなたが感じ取ってくれますようにと、そればかりを願うことしかできないだなんて。
けれどアナは、だれよりもなによりも大切な妹は、そのすべてを汲み取ってくれる。
鼻頭に何度目かの口づけを落とした私を上目遣いで見上げてきて、姉さん、と。彼女だけに与えられた呼称を一つ。それだけで胸が震える。頬に添えた手を取って、手のひらにくっきりと残った爪痕をぺろりと舐め上げられる、それだけで痛みがすべて快感にとって代わってしまう。早くあなたがほしいとうずきはじめる私はどれだけ欲張りなのだろう。
「つづき、してもいい?」
妹に甘い私が、あなたをあいしすぎた私がかわいらしい願いを断れるはずはなかった。けれど次はちゃんと薄氷色に私を映して、あなたの色に染め上げて、そうしてもっと、あなたにおぼれさせて。
口下手な私はイエスの代わりに、くちびるを重ねた。
(いきが、できないほどに)
陛下はいつでもアナのことしか考えてないといい。
2014.5.5