ひかりをあげる。
──光が遅れてやってきた。
「─…きれい」
突然目の前に広がった景色にあたしはただありきたりな言葉を落とすことしかできなかった。
***
見せたいものがあるの。そう言ったエルサがあたしの部屋に乗り込んできたのは早朝のことだった。
空だってまだ起き出していないというのに毛布を引っぺがしてきて、ふるふると寒さに震えるあたしに、こうでもしないとあなた起きてくれないでしょ、なんて。子供みたいにきらきらした眸にまさか、まだ寝ていたいの、とは返せるはずもなくて。促されるまま最低限の防寒だけして廊下へ飛び出す。
ようやくアレンデールにもやってきた冬は、この季節にしては薄着なあたしを冷たいすきま風でもって出迎えてくれた。頬に、首に、露出している肌すべてに突き刺さって痛いけど、エルサと繋いでいる手だけはなぜだか変わらないぬくもりを持っていた。
エルサの作り出す雪も氷もどこかあたたかいのに、どうして自然のものはこうも容赦がないのかしら。この冬何度目かの文句を繰り返してみても、凍てつくような寒さがやわらぐことはなくて。ただ小さな体温を求めて指に力をこめれば、うれしそうに微笑んだエルサは更に手を引いて足を進める。
「え、エルサっ、外出許可、誰かに取ったの?」
「そんなこと、みんなが起きる前に戻れば平気よ」
振り返って、にっこり、満面の笑顔。規律を守る姉らしからぬ言葉に仕方ないわねと頬をふくらませてはみたけど、心臓はどうしようもなく弾んでいた。だってなんだか、あたしと姉さん、ふたりだけの秘密みたいだから。
どうやらあたしは、エルサと共有できるものならなんだって喜ぶみたい。
しあわせなため息をついている間にも、あたしたちの歩みは止まらない。
城の裏口からフィヨルドに出れば、更に強まった風がエルサの三つ編みをぶわりと舞い上がらせた。エルサってばいつの間にボートを漕げるようになったのかしら、なんて疑問符を浮かべたのも束の間、舟には見向きもせずにフィヨルドへ一直線、水面に足を踏み出す。
「ちょ、ちょっと!」
「離れないで」
思わずまぶたを閉じるあたしの指をかたく握って、いつになく力強い姉の声が気持ちを落ち着かせてくれた。
言葉に促されるように恐る恐る薄目を開けば、あたしたちは水の上を歩いていた。エルサの足が触れる先から氷の結晶を模して凍っていく。それは夏のあの夜、アレンデールの女王がフィヨルドを氷で閉ざした魔法にも似ていて、だけど違うのは、あたしが通り過ぎるとともに雪解けみたいにとけて消えていくことだった。
ショートカットしたおかげであっという間に向こう岸にたどり着いても、エルサは立ち止まらないし、目的地を明かそうともしない。
月明かりさえも通さない深い森でまさか狼に遭遇しはしないかと冷や汗をかいたけど、抜けるまでに姿を見ることもなかった。たとえ現れたとしても、いまのエルサだったら近付かせもせず一掃しそうだけど。
あたしよりも体力のないはずの姉は、だけど疲れた様子も見せず元気に雪山を登っていった、まるで雪に力をもらっているみたいに。
「お疲れさま。着いたわよ」
そんな声がかかった時にはあたしの息もさすがに切れていて、足を止めると同時に両膝に手を突いた。どうやらノースマウンテンの山頂に程近い高さまで登ってきたらしく、酸素をうまく吸い込むことができない。
エルサが背中をさする動きに合わせて呼吸を一つ、二つ、ようやく顔を上げれば、月はもう姿を隠してしまっていて。
「アナにね、見せたい景色があるの」
寝惚け眼のあたしに言った台詞と似たようなそれを落として。
ドレスの裾を持ち上げ、片足で地面を踏みしめる。かかとから広がっていくのは青白く光る氷の結晶。徐々にかたちを広げていくそれはフィヨルドで見たものよりも大きく、鮮明に。その中心、美しい結晶の真ん中で、エルサはステップでも踏むみたいに優雅に踊り始める。氷色の眸を閉ざして、口元に微笑みまで浮かべてみせて。姉さんがこんなにも生き生きとした姿を見たことがあるだろうかと昔を辿るくらいには楽しそうに、軽やかに。
舞に合わせて地面から氷が表出して、見る見るうちに高さを増していく。視界がどんどんと上がっていく様子を、エルサの感情豊かな踊りをただ、あたしは見つめていることしかできなくて。
両腕を勢いよく振り下ろすと同時、足元の結晶から光が霧散していく。そうして気付けば、あの日訪れたものと同じ氷の城が出来上がっていた。
「エルサ、ここ…」
「前より簡易ではあるんだけれど」
言われてみればあの日のような豪奢なシャンデリアは見当たらないし、壁にも特徴的な幾何学模様が描かれていない。わたしの居場所はここではないのと、一度崩した城をどうしてまた築きあげたのか、疑問を口にしようにも、美しい魔法にただただ圧倒されて言葉も出なかった。
上気した頬をそのままに、少しだけ息を乱したエルサは前髪をかき上げ、あたしを手招きした。呼ばれるままに近付けば、意味深な笑みと一緒にくちびるに人差し指を当てたエルサは呼吸を一つ、両手で扉を押し開ける。
光が遅れてやってきた。
「─…きれい」
突然目の前に広がった景色にあたしはただありきたりな言葉を落とすことしかできなかった。
姿を現したばかりの太陽が山稜を伝って、世界に光を与えていく、その様子があまりにも、あまりにもきれいだったから。それ以上の言葉を、あたしはまだ知らなかったから。
「きれいでしょう」
見惚れてばかりのあたしに、隣に歩み寄ってきたエルサが語尾を上げて尋ねてくる。自慢する風でもなく、ただうれしそうに。
「あの朝、ね。光があふれたこの景色を見たとき、なんて美しいんだろうって思ったわ。この世界はなんてきれいなんだろうって」
こんなにも輝いている世界に、私はいてもいいのかと迷うほど。
「この景色をやっぱり、あなたにも見てほしくて、美しい世界を知ってほしくて」
国を捨て、一度はなにもかもを吹っ切ったはずの姉はだけど迷っていたみたいで。だからこそ一度は扉を閉ざした、光から逃れるように。誰よりも光の下にいたいと願った孤独な女王は、世界のあまりの美しさに戸惑ってしまっていたのだ、きっと。
同じく景色を見つめるエルサの横顔にはもう、迷いは見られなくて。まっすぐに光を映し込んだ眸はとても澄んでいて。
吹き抜けた風が、なににも束縛されることのない三つ編みをゆらしていく。
「ね、エルサ」
「なあに、アナ」
「とても、きれいね!」
あたしをとかした氷色の眸ににかりと微笑みを一つ、姉さんが惹かれた景色を、世界を共有できたうれしさを表情に乗せて息をこぼせば、白い軌跡が流れた。
いつだか聞いた言葉をそのまま本人に返せば、氷色がまたたいて、微笑みを落とす。
「─…わたしにとっては、あなたの方がもっともっとずっときれいよ」
そう言って姉さんは笑った、とてもきれいに。
(世界はあなたであふれていた)
お城建築シーンが書きたかっただけ。
2014.11.14