ひとりぼっちのおうじょさま。

 薄雲の張った空だった。まるで降り出す雪を堪えているみたいに。  あるいは私と同じなのかもしれない、内からあふれ出そうとする魔法を抑えている、私と。  バグパイプの音が窓の向こう、灰色の世界に切なく響く。もうすぐ葬儀の開始時間だ、準備を急がないと。きっとゲルダがやって来て、そろそろご出席をと扉を叩くに違いない。  いまでは鳴らされることの少なくなったこの部屋の扉を、以前は妹と、それから両親もよくノックしていたものだ。妹は音に乗せたリズムを、母は控えめなテンポを、そして父はやわらかなそれを。部屋に転がり込んでくるそれらに身を震わせていたものの、それでも同時に救われてもいた。まだ、まだ私は、外の世界から隔絶されてはいないのだと。まだ、忘れ去られてはいないのだと、そう。  その音を与えてくれるうちのふたりももう、この世界のどこにもいない、だなんて、信じられるはずもなかった。だって、急ごしらえで作られたはずの棺にはなにも入っていない。荒波に呑まれたという船もまだ見つかってはいないし、それどころか船が乗せていたものはなに一つだって陸に上がってはいないのだ。もしかしたら、海の底に消えたということさえ、事実ではないのかもしれない。きっとひょっこり帰ってきた両親がいつもの調子で扉を叩いて、エルサ、だなんて。  けれど鏡の中から見つめてくる私はどうしようもなく、在りし日の母の生き写しで。 「──…ど、して、」  幼い頃、一番身近な女性として、母は私の理想だった。いつかママのようになるのだと意気込んで、まずは形から入ろうとしたけれど、あの髪形だけは真似できなくて。私の髪を丁寧に編み込んでくれていたのはいつだって、やさしい微笑みを浮かべた母で。  だというのに、綺麗に髪を編み上げた私の後ろには誰もいなかった、いるはずもなかった、背中から覗き込んで出来を確かめる母も、満足そうに見つめる父さえも、誰も。 「…いつの間にか、ひとりで出来るようになってしまったのね、なにもかも」  ぴしりと、足元に氷が走る。結晶のように広がっていくそれが部屋の床を、壁を、天井を覆っていく。こうなってしまえば世界が一変するのは瞬間的で、両親が何度も足を運んでくれていた部屋はまたたきのうちに、氷点下の世界へと姿を変えてしまっていた。  こうなることはわかっていた、私は認めてしまったから。父がやさしく手を取ってくれないことを、母が綺麗に髪を結い上げてくれないことを。この世界のどこにも、彼は、彼女は、もう存在しないのだということを。  両腕を抱え、自身を抱き込む。寒くはない、寒くは、ない。 (外の世界への頼りを失ってしまった私はただ、外の世界でひとりきりになってしまった妹を想うしかなかった)
 国王と王妃の葬儀の朝。  2017.2.20