ひとりぼっちのばけもの。
準備は整った、後は実行に移すだけ。
この国の衛兵たちは、アレンデールを統べる現女王が囚われているという状況に戸惑いながらも僕についてきている。なんて従順、なんて頭の足りない者共。可哀想なほど哀れで、愚かな者たちをこの先率いていくのだと、愉悦にも似た感情が降りてくるも、今は浸っている場合ではない。これから僕は牢獄へ向かい、囚われの女王に悲壮な表情で告げるのだ、事故であるにしろ王女を死に追いやった君を法律に則り処刑しなければならないと。悲しみに打ちひしがれる女王のそのまっさらな首を、国民の目の前で斬り落とすのは僕。ばけものの死を持ってしてこの魔法は終わり、同時に部屋で冷たくなった王女も発見され、恋人を亡くした僕は彼女の代わりに玉座に就く。完璧な筋書きだ、だって善良な国民たちは僕のことをまるで疑わないから、貼り付けた仮面を疑おうともしないから。
こぼれ出そうになる笑みを抑え、牢への階段を下っていく。
何年、何十年、この機会を待っていたことか。十二人の兄どころか自身の父にさえ蔑ろにされた僕がまさか玉座を射止める日が来るなどと、僕以外の誰が思っていただろうか。今こそ鼻を明かす時だ。僕の、僕だけの国を、この手に。
けれども牢にたどり着き鍵を回しても、扉はびくともしなかった。内側からなにか別の力で押さえ付けられているような、そんな風に。もしやあの忌々しいばけものの魔法が発動しているというのか。思わず舌を打ちそうになる、てっきり両手を塞いでいれば使えないと思い込んでいたのが仇になったか。
背後に構えていた衛兵に命じ、扉をこじ開けさせる。早くしろと飛ばしそうになる怒声を堪えた。ノースマウンテンに戻りたがっていたばけものが逃げ出してしまうかもしれない、それだけは避けなければならなかった。
やがて留め金が軋み、轟音と共に扉が倒れていった。なだれ込んでいく衛兵たちをかき分け牢獄に踏み入れば、きん、と。身体の芯にまで入り込んできた冷気が、心臓を掠めてきた。
「─…エル、サ、」
絞り出したばけものの名が、凍った床を滑っていく。
女王は確かにそこにいた、すべてが薄氷に覆われた牢の真ん中で、鋭利な氷の刃を自身の胸に宛てがい、こんな状況でなければ思わず見惚れてしまうほど綺麗な微笑みを浮かべていた。
何をしようとしているのか、問わずとも理解できる、けれど僕の足はまるで氷に縫い止められたかのように動きを止めてしまっている。止めなければならないのに、ここで自ら命を絶たれてしまわれたら僕の計画が狂ってしまうというのに、音一つ取り出すのもやっとな状態で。
「ああ、ハンス」
化け物は唄うようにこぼす。先程までの震えを孕んだそれは微塵も窺えず、あるのはただ、恐怖を捨てたその姿。
ここで息絶えられてしまっては困るんだよ、エルサ、君にはもっと絶望を感じてもらわなくてはならないのに。血を分けた妹を自分自身の手によって葬ってしまったという事実を知らせなければならないのに。きっと両親から、妹から、無尽蔵の愛を向けられていた君を、誰からも愛されず育った僕とは異なり恵まれていたにも関わらずその愛に気付くこともできなかった愚かな君をもっともっと、底へと突き落としてしまいたいのに。
僕の歪んだ願いが届くはずもなく、ばけものは笑みを深める、ともすれば聖女にさえ見紛うそれを。
「──アナをよろしくね、」
軽やかに告げられた言葉と共に、肉を裂く音が瞬間、耳を占める。凍った血の雫が、からからと、乾いた音を立てて床を滑り、僕の足下で止まった。我に返った能無しの衛兵共が急いで駆け寄るものの、恐らくもう手遅れだろう。女王は選んだのだ、肉親を傷付けてしまうかもしれない未来よりも、自身の幕を引くことを。他の愛情に気付けなかった哀れなばけものはけれど同様の愛を、唯一の妹に向けていた。
どうして命を絶ってまで愛せるというのか、分からない、何も、分かりたくもない。愛する者など存在しなかった僕には、なんにも。
雪は、終わらない。
(僕も君と同じばけものであるはずなのに、その感情のどれもを理解できなくて、)
ハンエル未満。
2017.3.6