つまりはどうしようもなくいとおしいの。
やさしい重低音が、いまはとても頭に響く。
「その気持ち、すごくわかるわ!」
うれしさのにじんだアナの声もすぐに、音楽と喧噪にかき消されてしまった。ああもう、いっそみんな帰ってしまえばいいのに。そうは思うものの、この盛り上がり方から察するに、パーティーはまだ終わりそうになかった。
そもそも今日はなんのパーティーだったかしら、なんて。思考よりも酔いが回り始めた頭を必死に動かしてみる。そう、たしか貿易国との交流会。他国との関係を深める絶好の機会だと、計画を進めたのは私だったかアナだったか。どちらにしろ、開催するんじゃなかったと後悔している自分がいるのは事実だった。
視線のはるか先には、どこぞの国の王子と楽しそうに話しているアナの姿。さっきから私の視界にはアナしか映っていないというのに、肝心の妹はこちらに気付きもしないで会話を弾ませている。かれこれ何十分話しているのか、数えたわけではないけれど、少なくとも長針が一回りくらいしたはず。
妹と同年齢くらいの青年は、アナ、だなんて親しげに名前を呼んでいるみたい。不敬罪で訴えてもいいかしら、なんて不埒な考えを押し込めるべく、はしたないと思いつつもぐいとグラスを煽る。紫色の液体はなんという名前だったか、いいえ関係ないわ、飲んでしまえばぜんぶ一緒だもの。気分を高揚させてくれるはずのお酒はけれど、このなんとも言い表せないもやもやとした気持ちを埋めてくれることはなかった。
不明瞭な感情に原因をつけるとするなら、それはやっぱりアナだろう。なにせ今日、私は一度も妹と言葉を交わしていない。パーティーの準備で朝から忙しく、顔を合わせる機会がなかったのだ。挨拶回りを終え、ようやく話せると妹の姿を探してみれば、見知らぬ誰かとそれはもう仲睦まじく会話していたというわけで。
多くの人と交友関係を結ぶのはいいことよ、ええ。けれどあの子はすぐに恋に落ちてしまう節があるから。それに着飾った彼女はいつもよりとてもかわいらしいから、誰もかれも見惚れてしまうかもしれない。いつかの時みたいに、あたしたち結婚します、だなんて言い出してこなければいいのだけれど。
フロアの給仕を呼び止め、飲み物を受け取る。
あれだけいつもエルサ、姉さんとついて回ってくるくせに、どうして求めている時に限ってそばにいてくれないのかしら。顔を上げれば、隣を見れば、いつもそこにある笑顔が、いまは遠く離れているなんて。
グラスを一気に傾ける。あら、おいしいわ。なんていう名前なのか、相変わらずわからないけれど。
アナが満面の笑顔で笑っている。私以外の誰とも知らない男性に、あの太陽みたいな微笑みを向けている。
ねえアナ、いまならあなたの気持ちが痛いほどわかるわ。書類と格闘している私を待っている時の気持ちって、きっとこんな風だったのね。くるしくて、せつなくて、いっそ胸を引き裂かれた方が楽なんじゃないかと思えるくらいに。たまにはあたしにも構ってよ、なんてあなたはいつも口をとがらせる。そんな妹のおねだりがかわいくてつい、頬がふくらむまであえて放っておくのだけれど。これは意地の悪いことをした私への罰なのかしら。
ねえ、これからはもう意地悪なんてしないから、私のそばに来て。少しだけ、ほんの少しだけこっちを見てくれるだけでもいいから。
そんな願いが通じたのか、ふと視線を移したアナは、私を見とめて顔を輝かせた。なにやら相手に断りを入れて、急ぎ足でこちらに近付いてくる。
そんなに踵の高い靴で走ったらこけるわよ、なんてはらはらしてしまう私はどこまでもアナのお姉ちゃんなのかもしれない。
「エルサ、探したのよ!」
人の合間を縫って現れた妹はそんなことを言う。さっきまで私を忘れてずっとおしゃべりしていたくせに。
「人が多すぎて、見失っちゃって…もう部屋に帰ったのかと思ってた」
「…挨拶回りをしていたのよ」
給仕に空いたグラスを渡し、代わりに半透明のお酒で満たされたそれをもらう。
「随分と楽しそうだったわね」
言葉のすべてにトゲが含まれていることくらい、はき出した本人が一番わかっている。私が勝手にアナを待っていただけで、彼女にはなんの非もないのだけれど。不機嫌を隠しきれない自分がいやになる。できればどうか、妹が気付いてくれませんように。
グラスを傾ける。さっきのお酒よりアルコール度数が高いのか、一気に流し込んだのどは焼けるように熱を持った。
「ええ、とっても楽しかったわ!」
ふふ、と相好を崩すアナに、お酒とともに押し込めたばかりの感情があふれ出しそうになる。けれどアナはそんな私に気付くことなく、言葉を続けた。
「彼とはね、姉談義をしてたの!」
「…姉、談義?」
「そ。あの王子様にもね、お姉さんがいるみたいなの。過保護でネガティブで引きこもり経験有りのお姉さんが」
それっていいところなにもないじゃないの。それに比べ私は、妹の動向を常に把握しているだけだし、失敗からは一週間もあれば立ち直れるし、ベッドと執務室を行き来していたから引きこもってなんていない。面倒くさい姉を持ってしまったどこぞの王子様はかわいそうね。私に姉ではなく、かわいらしい妹を授けてくださった神様には、あとでたくさんお礼を言っておこう。
「それでね、お互い大変ねって話をしてたのよ」
「お互い、…って、アナ、なにか大変なことが」
「うん、そうね、こういう鈍感なところかしらね」
苦笑を浮かべる妹の話についていけず首を傾げても、答えが与えられることはなく。代わりに、グラスを持っている方の手首を掴まれた。こぼれてしまうわ、そう言おうとしたけれど、中身はとっくの昔に空になっていた。
いつの間にかホールの中央へと連れてこられ、両手をきゅ、と握り合う。気を利かせたらしい音楽隊が、ゆるやかなワルツを奏で始める。
「ほらほらエルサ、おどろ!」
「で、でも私、ダンスなんて、」
「あたしとおどってちょうだい。さみしくさせたお詫び!」
どうやら私の感情もすべてお見通しだったらしい妹は、曖昧だった気持ちにいとも簡単に名前をつけてしまう。さみしい、そう、きっと私はさみしかったのね。あなたの声が聴こえないことが、あなたの笑顔を向けてもらえないことが、あなたが隣にいてくれないことがこんなにも。
お酒で埋められなかった感情が静かに満たされていく。ね、と。ふわりと笑うアナによって、心が浮かされていく。
お詫び、なんていうけれど、ダンスが苦手な私にとってはお詫びにならないわよ。口に上りかけたそれは、けれど重なった手のひらの体温でとけていってしまった。見れば周囲の客たちも、どこか微笑ましく私たちを見つめている。そんな状況で断ることもできず、幼いころに習った知識を総動員して足を踏み出す。女王として、姉として、ここで恥をかくわけにはいかないもの。
アナのリードに合わせて身体を動かしていく。うっかり足を踏んでしまわないかだとか、そんなことよりも、普段よりも近い妹との距離に、酔いも忘れて緊張してしまっていた。舞い上がってしまわないよう足の動きにだけ集中していると、突然アナが腰を抱き寄せて、思わず息が止まる。
呼吸がまざり合うほどの距離にいるアナの眸は、どこまでもまっすぐ私に向けられていて。
「…ねえ、アナ。知ってるかしら」
「ん?」
「うさぎはさみしいと死んじゃうのよ」
わざと拗ねた風に言ってみせる。たしかな言葉がほしいからってこんなことを口走るなんて、なんて手のかかる性格なんだろう、これじゃあ人のことは言えないわね。
けれどアナは呆れることも、見放すこともなく、それを知っているからこそ私は、あなたに甘えてしまうの。
「それならこれから先、エルサは不死身ね」
額をこつりと合わせ、アナはまぶたを閉じる。私を薄氷色の眸に閉じ込めたまま、妹は口元をゆるめた。
ねえ、アナ。知ってるかしら、私、あなたのこと、
「だってもう、こんなかわいい姉さんから離れられるわけないもの!」
こんな公衆の面前でなければ、いますぐ口づけの一つでも送りたいほど、いとおしいの。
***
「その気持ち、すごくわかるわ!」
「だろう! 本当、どうしてすぐ引きこもってしまうんだろうな」
「あたしの姉さんだけかと思ってたけど…どこの姉もネガティブなのね」
「そうさ。なにかあればすぐ自分が悪いんだって思い込んで、」
「どこまでもマイナス思考な方向に突き進んじゃって、」
「家族を守るために、自分の身を犠牲にするって選択肢しかなくて、」
「ぜんぶぜんぶひとりで抱えこんじゃって、結局ダイナミックな家出しちゃって、」
「そのくせひとりぼっちがきらいで、」
「泣き虫で、」
「甘え方を知らなくて、」
「超がつくほど面倒くさいんだけど、」
「でもそんな姉さんが、」
『かわいくてしかたない!』
(とある王子と王女の姉談義)
公衆の面前でふたりの世界に入りこんじゃう姉妹ほんとアレンデール。
2014.5.21