きっとあなたにはわからない。

 まずは分からずやの酸素を奪い取った。  いつもみたいなやさしくついばむだけの口づけなんてしない。深く深く、息つく暇さえ与えずに。まるで獲物にかぶりつく獣のようだと、自嘲はしても止めることはない。逃れようとするあごを押さえつけて舌を侵入させれば、笑ってしまうくらい従順な口はすんなりと迎え入れてくれた。性格も同じように従順だと助かるのだけど、言うことを聞いてくれないからこそいまこうしているわけで。  ちらりとまぶたを開けても、氷色の眸はやっぱり隠されてしまっていて、あたしを、目の前の妹の姿を映そうとはしていなかった。  どんどん、と。切実に、けれど控えめに胸を叩かれる。やさしいそれには逃れようとする意志さえ感じられない。呼吸を奪い去られているこの瞬間でさえ、あたしを気遣って力をこめないのだ、この人は。  ようやくくちびるを解放すれば、ふ、と色を失った息をはき出す。浅い呼吸を繰り返して、精一杯酸素を取り入れようとしている姿に、痛くもない胸がぎゅうと締め付けられた。いっそあたしの息を吸って生きていけばいいのに、なんて。同時に浮かんできたどろどろとした願いに、飲み込まれてしまいそうになる。 「ね…ア、ナ。なに、怒ってるの」  水の張った眸がおびえの色を灯して見上げてくる。  どうしてこんなことをしているのか、あたしがいまどういう感情を抱いているのか、この人はいつもわかってくれない、汲み取ろうとしてくれない。ただあたしが幸せであればいいと、笑って過ごしていればいいのだと、そう考えているから。あたしの幸せはすべて自分に直結しているだなんてこれっぽっちも頭にない人だから。 「ちゃんとご飯を食べていなかったこと? 眠っていなかったこと? それとも、」 「全部、よ」  思った以上に重く響いた低い声は、呼吸を落ち着かせたエルサの身体を震わせるには十分だった。  そう、全部。自分の身を犠牲にしてまで仕事に打ち込む真面目さも、あたしを頼ろうとしないやさしさも、きらわれたくないと震える臆病さも。そもそもあたしは、エルサがなにをしたってきらいになることなんてあるはずないのに。姉さんは妹が抱えてきた愛情さえなかったことにしてしまう、いつも、いつだって。 「で、でもそれは、」 「いつものことだ、って言いたいの? ずっとそうだったなんて言いたいの?」  知らず口調が強さを増す。答えはなかったけど、揺れる眸がなによりの証拠だった。  ベッド近くの机に置かれたスープ皿を取る。とっくの昔に冷え切ってしまったパンプキンスープを口に含んで、エルサの両頬を包み込みそのままくちびるに重ねた。やっぱり素直なくちびるはおずおずと開いて、その隙間から液体を流し込む。何度もむせそうになっているのは長い間物を口にしていなかったからだろうか、それでもゆっくりと嚥下していく。量が多かったのか、飲み込みきれなかったものが口の端からこぼれていった。くちびるを離して、頬を伝い落ちていくそれをすくい取り、指を口の中へと押し込む。そっと触れた舌が、やがてぴちゃぴちゃ音を立ててなめ始めた。  もう片方の手でエルサの身体をたどっていく。腰に触れ、おなかをぐるり撫でて。薄いおなかに固形物が入ったのは、一体いつの話なんだろう、想像しなくたって答えはわかりきっていた。あたしと同じ血を分け合っているはずの身体はこんなにもか細くて、頼りなくて。  胃のあたりを力を込めて押し込めば、びくりと身体が強張った。ぐ、と。洩れたのは押し殺したその声一つ。いたいって叫んでしまえばいいのに、あたしの指を噛んでしまえばいいのに、逃げてしまえばいいのに。眉を寄せ圧迫に耐えているその姿はまるで罰でも受けているかのようだった。  違う、あたしはこんなことがしたいわけじゃないのに。  にじんで色がかすんだ眸を視界に収めて、そっと手を離し、再び口を移す。  怒ってなんかいない、ただ泣きそうなくらい悲しいだけなのに。もっと自分を労わってほしいなんて願いはいつも届かなくて、すべてを押し隠して大丈夫よと彼女は微笑む。あたしがどれだけ大切に想っているのか、どれだけいとおしさを感じているのか気付こうともせず。自己犠牲の愛なんていらない、エルサのいない幸せなんていらないのに、 「ね、アナ、」  ただそばにいてほしいだけなのに。愛の伝え方がわからないあたしはいつもこうして傷つけてしまう。いとおしい人を苦しめる方法しか知らないあたしはいつも、遠回りをしてしまう。一緒にいたい、隣で笑っていたいなんて、ただそれだけの願いがみにくくゆがんでいく。酸素を分け合って、食事を与えて、同じ夢を見て。いっそあたしがいなければ生きていけない身体になってくれたらと。 「──ごめんなさい、アナ」  浅ましい姿を映した氷色に、あたしはまた、沈んでいく。 (どれだけあたしが想っているのか、なんて)
 謎状況で姉妹がすれ違ってるだけ。  2014.5.27