たしかな音をください。
心臓の音が早い人だった。
両腕をぎゅ、と背中に回して、胸に耳を当てて。そうして身体を伝ってくる鼓動はいつもあたしのものより少し急ぎ足で。生きている証だからいいんじゃないかしら、と。指摘すればそのたびに、彼女は笑った。自分がたしかに生きているのだというなによりの証拠だからと、とてもうれしそうに姉さんは微笑んだ。
その時の表情も、体温も、心臓のテンポだって、なにもかも覚えてるのに。覚えてたはずなのに。
「─…だから、言ったじゃない」
お気に入りの窓辺から屋根へと移ってどれほどの時間が経っただろう。少なくとも寒さに指先が震えるくらいはこの場所で立ちぼうけていたみたいだ。あたしの遅めの呼吸に合わせて、白い軌跡が流れてはかき消えていく。
そ、と。手を伸ばして、街を深く染めている雪に触れようとして、だけど落ちた先からかたちをなくしていってしまった。まるで最初から存在してなかったみたいに、音もなく。
一生に打つ心拍数は決まってるのよ、だなんて。いつかの自分の言葉がいまになって鮮明に浮かび上がってくる。なんの本で読んだのか、それとも誰かから聞いたのか、そんなことは忘れてしまったけど。
だけど不確かな知識を披露するあたしに向けた姉の表情は忘れられるはずがない。
笑いたいのか泣きたいのか、そのどちらともつかない笑みを一つ、わずかにあたしと距離を置いて。鼓動が聴こえない位置にまで離れて。
「そばにいて、って」
あたしと生きていて、ずっと、と。かたちのない不安に駆られたあたしの言葉に頷くことはなくて、姉さんはただ、曖昧に笑うばかりで。その笑顔が、あたしには泣いてるように見えた。
あたしの小さな、だけど切実な願いが叶えられることはついになく、いつの間にか姉さんは消えてしまっていた、まるで雪みたいに、音さえも立てずに。
ただ人でありたかった魔法使いの姉は、それでも最期は人であるはずの証も残さずいなくなってしまった。彼女が唯一人間らしいのだと微笑んだ心音さえ置き去りにすることなく、みんなの前から、あたしの隣から。
ずっと頬を流れていたはずの雫はもう枯れてしまったみたいだ。
たとえばあたしにも姉さんと同じ力があったなら、落ちたしずくを凍らせてしまいたいのに。姉さんを想って伝ったそれに音を与えたいのに。どうしようもないほど人間でしかないあたしは、だけど音をつくることも自身をとかすこともできなかった。
もう見慣れた白銀の街を見下ろす。
あたしが存在している限り、雪が積もることはもうないだろう。そんな確信がどこかにあった。愛でとけてしまう雪たちはきっと、姉さんの力のかけらさえ残してはくれないのだろう、あたしのせいで。
それでもあたしは生きていかなくちゃいけない。姉が愛していたこの国で、姉のいないこの世界で。
「─…ねえ、エルサ、」
おとはのこらない。
(たったひとつでいいから、あなたがいきていたあかしを、)
そうして王女はひとりぼっちになりました。
2014.10.27