とかした願いはきっと、
たとえば妹と同じ香りの花を見つけたとき。たとえば妹と同じ調子で唄う鳥に出会ったとき。ほら見てアナ、あなたにそっくりよ、だなんて。指し示して振り返ればいつも傍にいて、エルサってばあたしのこと美化しすぎじゃないの、だなんて。文面とは裏腹に嬉しそうにはにかむ彼女の姿を最近見ていない気がした。
いや、気のせいなどではない、いつも──つまり国を凍りつかせたあの事件からは毎日、一緒に摂っていた食事に顔を出す機会が少なくなっていた。きっちり三時に行っていたティータイムへのお誘いも、添い寝をしてほしいのだと枕を持って部屋を訪れることも減っていて。避けられているのだ、と。そんな結論に至るのに時間はかからなかった。
だとしたら何故、次に頭をもたげてくるのはその疑問だ。
せっかく一緒にいられるようになったんだから、少しでも多くの時間をエルサと共有したいの、とは妹の言。私がどれだけ公務に追われていようと、むしろ休む暇もなく仕事をしている時は決まって執務室に顔を出して、ちょっとおやつの時間にしましょうだとか、もう夕食の時間よ、だなんて。手を抜くことを、休み方を知らない私が、その一言にどれだけ助けられていることか。大臣や女中はまた妹君はわがままばかりと呆れ顔だけれど、私にとっては妹と過ごすことのできる大切な時間でもあった。たとえわがままだとしても、それを笑顔で受け入れるのが姉というもの。
だけれど最近のアナは、そんなささやかな姉の甲斐性さえ果たさせてくれない。偶然廊下で鉢合わせた時だって、私が口を開く前になにかと理由をつけて足早に去っていってしまう。
もしや嫌われてしまったのか、また私はアナを、大事な妹を傷付けてしまったのか、巡るのはそればかり。けれど踵を返すその瞬間に見えた横顔に滲んでいたのは、嫌悪よりも苦渋やさみしさが強かったと、思うのは私の都合のいい考えではない、気がする。
息を一つ、二つ。意を決してノックしたのは、小さなころに妹が刻んでいたそれと同じもの。思えばいつもアナが部屋に乗り込んできてくれるばかりで、私からこうして向かったのは初めてかもしれない。
だけれどそれに対する返答はなくて、固く決したはずの意思は早くも崩れそうになってしまった。
たとえば幼い日のアナも、こんな気持ちを押し込めていたのだろうか。泣き出してしまいそうな想いを、氷で突き刺されるよりもつらいこの胸の痛みをずっと、小さな身体に抱えていたのだろうか。もたれた背中から伝わるノックを受けたあの時にどうして扉を開かなかったのか、どうして返事の一つも送らなかったのか、なんて。後悔するのはいまではない。
簡単に回ったノブに安堵を洩らして、そっと足を踏み入れる。まだ眠るにしては早い時間なのに、室内は浅い夜に包まれていた。
一歩、二歩、闇を壊してしまわないよう、足音を立てずに足を進めれば、ベッドで小さく丸まっている影が視界に映った。あまり夜目が利くわけではないけれど、それでもたしかに久しぶりに見る妹の背中だった。
「…もう夜よ、姉さん」
「そうね、アナ」
空気にとけるみたいに小さな声で、アナはそう言った。何日ぶり、下手すれば何週間ぶりかに聞いた妹の音は、まるで初めからそこにあったかのように耳に馴染んでいく。心地良さに綻んでいく口元をそのままにベッドに腰を落ち着かせて、ころり、背中をくっつかせる形で横になる。
びくりと、触れた背中が震えたのはきっと気のせいではない。
「…自分の部屋、あるでしょ」
「そうね、でもこうして、一緒に眠っていたじゃない」
「でも最近は、」
「私が。こうしていたいの、あなたと」
もしかしたら、いいえもしかしなくても、私は酷い姉なのかもしれない。避けられているのに、嫌われているかもしれないのに、こうして無理に縋りつこうとするなんて。私の、アナと一緒にいたいというわがままでしかないそれに付き合わせようとするなんて。けれど私には妹が必要だから。アナがいてくれなければ夜だってろくに眠ることができない、さみしがり屋な姉だから。
「─…だめよ、だめなの」
口にされた否定は私にも、自分自身にも向けられているように聞こえた。だめなの、と。ただそればかり、小さな子供みたいに。あたしは姉さんの傍にいちゃいけないの、やさしさに甘えちゃいけないの、そればかりを闇に吐き出して。
「あたしといたら、しあわせになれないの、姉さんは」
胸に溜まっていたものを露わにさせて、妹は言う、あたしはわがままだから、姉さんをひとり占めしたいなんて思っちゃうから、だから離れなくちゃいけないの、と。
そのうち混ざり始めた嗚咽に、ついに我慢できなくなって振り向いた。両腕に閉じ込めた身体はいつも抱きついてきていたそれよりも小さい気がして、力を込めたら壊れてしまいそうな気がして。
離れて、と。小さな妹はささやく、祈るように。ぎゅ、と自身の胸の前で握り込まれる両手。けれどその願いだけは聞けなくて、手折ってしまわない程度に、逃げられてしまわない程度に深く抱きしめた。
「あなたといたらしあわせになれないだなんて、誰が言ったのかしら」
そんな彼女に告げるのは私の想い。いままでも、そしてこれからも変わりようのない、私の本当の気持ち。距離をなくしてくれる妹に甘えて口にさえしてこなかったそれを、いまばかりはきちんと音に乗せて。いつもいつもわがままを押し込めてしまう妹へ、私のことを一番に考えてくれているアナへ。
「ねえ、アナ、」
名前に反応するかのように、ぴくりと。肩の震えはきっと、怯えからではない。
「私のしあわせは、あなたの傍にしかないのよ、アナ」
あなたの隣にいられることがしあわせなのよ。
言い終わらないうちにくるりと振り向いたアナが、涙でくしゃくしゃになった顔を押し付けるように抱きついてきた。嗚咽で揺れる背中をやさしく撫でる私に、ごめんね、わがままな妹でごめんね、だなんて。わがままなのは私の方、あなたの隣にいるのは私でないと嫌だから、そんな子供みたいな願いをこぼしただけなのに。
受け入れてくれた妹を、私と同じ未来を望んでくれたアナをきっと、私は縛ってしまうだろう。たぶん、私がアナの傍からいなくなるその日まで。罪悪感を負わないわけはない、けれど“その日”が訪れるのが人よりも早い私のただ一つのわがままをどうか、許してください。アナをひとり占めすることをどうか、許してください。
誰にともなく祈りを捧げ、ふわふわと舞う妹の髪に顔を寄せて目を閉じる。やっぱりあの花と同じ香りがするのね、そんなことを思いながら。
(ひとりよがりでしかない、わかっているわ、そんなこと)
自分がいない方がエルサはしあわせなんだと思いこんでる系アナちゃん。
2015.3.24