ほら、ね、聴こえるでしょう?

 呼吸を一つ、どくどくと耳元でうるさく鳴り続ける心臓を落ち着かせてみるけれど、無駄な努力だってことは最初からわかっていた。だっていま、大好きな妹の顔が目の前にあるんですもの。私のものよりも輝いた薄氷色の眸が、小刻みに震えるまつげが、熱を持った頬が、息がかかるほど近くに。  そ、と。ベッドに突かれたままの手を握る。それが合図みたいに薄氷色が隠れて、ん、とくちびるを上向かせてくる妹のなんとかわいいこと。まぶたを閉じてくれていてよかった、きっといまの私は、誰が見ても恋に落ちているとしか思えない表情を浮かべているだろうから。  空いたままの片方の手の震えを精一杯隠して、朱に染まった頬に添える。私の身体では到底生み出せないほどの体温が手のひらから伝ってとても、あつい。  じりじり、膝で距離を詰めて。鼻先が触れ合う。アナの呼吸を感じる。たしかそこにいるのだと、夢でも幻でもなんでもなく、私のために存在してくれているのだと。ひとりよがりな考えだけれどそれでも、彼女に言おうものなら今さらねとかわいらしく微笑んでくれる、なんて確信があって。  目前に迫った桃色のくちびるが一度、固く結ばれて。それからやわらかく僅かに開いて。早くきてと言わんばかりに息が追い立ててくる。結んだ指を組み合わせて。  けれどそれ以上進むことができなかった。気持ちはこんなにも逸っているのに、心はこんなにも求めているのに、妹だってこんなにも待ってくれているというのに、私はもしもを捨てきれない。もし、もしも、拒絶されてしまったら─そんなことあるはずないのだけれど─それだけじゃない。もしもへたくそだったら、満足させられなかったら、もういやだと言われてしまったら。浮かび始めたIFは終わりを見せず、身体は動きを止めてしまった。  いっそ手を離してしまえば悪い想像は尽きてくれそうなのにそれもできなくて、ただ整ったまつげを見つめるばかり。  心を落ち着かせるための呪文もいまは用を為してくれなくて、八つ当たりとわかっていながらもここにはいないお父様に文句を一つ、全然効かないじゃないのと。 「──ああ、もうっ」  一つに留まらなかった文句に、焦れたような声が割って入ってきた。  再び姿を現した薄氷色がじとりと私を映して、深い息をついたかと思えば頬の手を引きはがされた。強制的に去っていく熱に寂しさを覚えたのは一瞬、組み合わさった手のひらが音を伝える、ばくばく、ばくばく、と。  ほら、と。いまだ熱を保ったままの妹はささやく。 「あたしの音。待ちきれない、って」 「わ、私だって、」  待ちきれない、その逸りは染まったくちびるに呑み込まれていく。ついばむだけの軽いそれはけれど熱を移すには十分で。  僅かに距離を置かれ、上目を遣ってくるアナはまるで遊んでほしいと乞う子犬のよう。その眸に、薄氷色に、さっきまではびこっていた不安はきれいさっぱりとかされていくのだから本当、私は単純にできているのだと思う。  くちびるが開く、甘い音を含んで。 「ね。あたしにも、」  言い終わってしまう前に、目に鮮やかなくちびるを呑み込んだ。小さなそれは甘いお菓子の味がした。 (ずっと待ってたんだから、十三年分のくちづけ、ちょうだい)
 はじめてくちづけたとき。  2015.4.2