ダンスをどうぞ、お姫様。

 頬をふくらませてみたって、当の本人に届かないことはわかってる。わかってるけど、自分の視界にまで収まってきたそれを笑って流すなんて大人な対応はまだできそうもなかった。それでも離せられない視線は件の姉、エルサにばかり定まっていて。  あ、また別の人。  入れ代わり立ち代わり、もう両手では数えられないくらいの貴族王族が―そのほとんどが男性だけど―エルサに挨拶に来ていた。いや、挨拶だけならノープロブレムなんだけど。跪いて手を取って、あまつさえ甲に口づけまで落として、口が達者な人は相変わらずお美しいですねなんてこぼして、勇気ある人はよろしければダンスでもなんて誘いをかけて。  なにがよろしければ、よ。よろしいわけがないじゃない。たとえ人の頼みを断りきれないエルサがイエスと答えたってこのあたしが、ノーと首を振る前にグーパンチをお見舞いするんだから。そう思ってパーティーが始まってからというもの拳を固めてはいるんだけど、エルサが誰かの手を握り返すこともないまま、もうすぐ終焉を迎えようとしていた。  かといって姉があたし以外の誰かと話して、笑顔を向けていることに嫉妬しないわけではないけど。だからこそずっと果実ジュースをやけ飲みしているわけで。  ああもう、なんでこっち向いてくれないのよ。傍に寄ることはおろか、手を振ることも視線を交わすこともできないなんて。  もう何杯目かもわからないブルーベリージュースを煽って一息、ホールに流れていた曲調がゆるやかなものに変わった。どこぞの商人だか誰かと歓談していたエルサがそれに気付いたようにふと顔を上げて、それから今日初めて、まるでここにいることを把握していたみたいにあたしを見つめて、にこり。誰かに向けたものよりも一際きれいなそれに心臓が跳ねた。  いままでだってあまり見たことのない笑顔に動きを止めたあたしに構うことなく、周りを取り囲んだ人たちに断りを入れて近付いてくる。かつかつ、ヒールを鳴らして歩く女王然としたその姿にあたしを含めみんなが視線を集める。  そうして目の前で立ち止まった我が国の女王さまはマントをひらめかせ、あろうことか床に片膝を突いた。 「え、えええエルサ!?」 「アナ王女」  どよめく周囲とあたしをよそに、エルサは厳かに名前を口にする。やさしく、大切に、そっと置くように。そうして眸を持ち上げて、空いた片方の手を差し出してくる。 「よろしければ、私と一曲いかがでしょう」  エルサが目の前でかしずいて、みんなが注目していて。そんな状況だというのになぜだか心臓も呼吸も落ち着いていた。落ち着いてはいたのだけれど視線は忙しなく伸ばされた手とエルサの顔とを往復して、そうしていたずらっ子のように口元をゆるめた姉はこそりと、あたしだけに聞こえるようにこぼす。 「実はね、私、この曲しか踊れないの」  踊るのならば、あなたとがいいわ、だなんて。そこまで言われて、誰がこの手を取らないだろう、誰が伸ばさないだろうか。パーティーが始まってずっと、エルサから視線を外さなかったあたしがその誘いを断るわけはなくて。  照れ隠しにまたたきを一つ、片手でスカートを広げ、もう片手は王子様にしては小さな手に重ねる。 「──謹んでお受けいたしますわ、女王陛下」  握り込まれた手に合わせて、足に音楽が吸い込まれていった。 (ないしょだけどね、あたしもこの曲しか踊れないの)
 勝手に始めて勝手に終わるイケメン陛下キャンペーン第二弾。  2015.4.2