夜がおちてくる。

 妹の白いのどがひくりと鳴った。 「も…、やぁ…っ」  涙に濡れた薄氷色の眸はまるで氷が張っているみたいにきれい。ねえ、その眸さえ凍らせてただ私だけを見つめてほしいなんて言ったら、あなたはどんな反応をするのかしら。いまのこの状況で伝えたところで、きっとあなたはまともに返答できないと思うけれど。  そんな私の考えも知らず、切なそうに細められた薄氷色はまたたきを一つ、二つ。こらえきれずにこぼれた雫を舐めとる。汗と混ざったそれは少し、しょっぱい。  ねえさん、と。いつもなら口にしているはずの名前は出さず、代わりに妹だけに与えられた呼称をたどたどしく洩らす。甘えるように、すがるようにはき出されたそれに、背筋が震えた。最愛の妹を泣かせてしまっているというのに、罪悪感よりも支配欲の方が勝っているなんて。なんてひどい姉なのだろう。  浮き出た鎖骨に一つ、口づけて。腕に添えられたあつい指先に一瞬、力がこもる。 「ね、もう…はやく」 「早く…なにかしら。はっきり言ってくれないと姉さん、分からないわ」  ああもうひどくたってなんだっていいわ、だってこんなにもアナがかわいいんだもの。こんなにも私を狂わせるんだもの。理性も背徳感もなにもかも、どこかへ消えてしまったんだもの。  沈みこませていた指を引き抜けば、ため息とも嬌声とも取れる声が流れ出る。アナが発する音はいつも美しい。小鳥がさえずるようなかわいらしい歌声も、私を呼ぶ明るい声も、色が混ざったこの息も、まるごと食べてしまいたいくらいに。  濡れそぼった指で、アナの色づいたくちびるをなぞる。やわらかなそれがふるりと震え、小刻みに息を洩らす。いじわる、と。その口が紡いだ気がした。 「はやく、あたしを、」  そんなことを夢見た時期が私にもあったのよ、たしかに。  *** 「や、ぁ…っ」 「いやなの? じゃあやめる?」  月明かりを受ける澄んだ瞳が意地悪く細められ、私をじ、と見上げてくる。足の指からくるぶし、ふくらはぎとはい上がってきていたアナのふっくらとした唇は、けれど私の言葉に無情にも進行を止めた。  いやではない、ただ条件反射のように音が洩れてしまっただけ、と。そんな言い訳をするだけの息も言葉も頭に回ってこない。そもそもやめてほしくないと告げることが恥ずかしくて、酸素が足りていたとしても口にはできなかっただろうけれど。そんな羞恥心と本能の板挟みになって、首を縦にも横にも触れなくてただ、子供みたいに流れるままの涙をシーツに染み込ませる。  ほんの少しの間ののち、薄氷色がふいに近付いてきた。口づけられるのかと思わずまぶたを閉じるけれど、予想していたあたたかみが降ってくることはなく。そろりそろりと眸を現せば、息が混ざり合う位置にまで接近してきていた妹の、悪戯な笑みに心臓が跳ねる。いまは下ろされているダークブラウンの髪先が頬をくすぐった。  ルージュを引いているわけでもないのに桃色に染まったくちびるに見惚れる。ついさっきまでそれが私の足に触れていたのかと思うとそれだけでしびれるような感覚が走った。ついくちびるを重ねそうになって、あわてて思い留まる。 「ねえ、あたしにどうしてほしいの、姉さん」  そんな私の考えをすべて見透かしたみたいに、目を細めたアナが投げかけてくる。小さな子供に言い聞かせるように、ゆっくりと。どうしてほしいか、なんて、伝えなくても分かっているはずなのに。かわいらしいくちびるを私のそれに重ねて、息さえも飲み込んで、その指でもっと触れて、ああねえ、もっとぐちゃぐちゃにしてほしい、もっと深くあなたを知りたいのよアナ。  見つめ合っていると本音が全部全部洩れてしまいそうで、ふいと顔を逸らす。  けれどアナが逃がしてくれるはずもなく。耳元に触れたくちびるが、あつい息をこぼした。 「言わないならやめちゃうよ。いいの?」  アナの左手が下腹部を撫でる。力もなにもこめられていないというのに、身体が過剰に反応を示した。  指は段々と位置を下ろし始め、やがて一番熱を持ったそこに到達した。形を辿られただけなのに、指先にまで刺激が伝播する。ようやく与えられた、けれどもどかしい動きに耐えかねて、熱がこぽりと溢れ出す。人差し指ですくい取ったアナは、その指で私のくちびるをなぞった。ルージュを引くようにぐるり、形作って。  こらえていた息をはき出すのと指が侵入してきたのは同時だった。  舌を押さえられる。驚いてアナを見上げれば、行為とは裏腹にうれしそうにゆるんだ眸が二つ。  強要されたわけではないのに、自然と指をしゃぶっていた。自分のナカから流れ出したものを舐めているという不快感よりも、妹の慈しむような表情に胸が震えた。私の身体の中で、妹が触れたことのない場所はどこにも存在しないという事実に。妹のこんな表情を見つめているのは、見ることができるのはただ一人、世界で私だけなのだという現実に。  指が離れていく。触れていたことを証明するかのように、指先が銀の糸を引く。アナが自分の口元になんのためらいもなく運ぶ。濡れたそれを丹念に、私と同じように舐めて。  薄氷色がちらりと向けられた瞬間、下腹部が切ない悲鳴を上げた気がした。  私の氷を溶かしてくれる妹は、どうやら理性だとかそんな面倒くさいものまでもきれいさっぱり消し去ってしまうのね。そんなことを頭の片隅で結論付け、震えるくちびるに音を乗せた。 「ね、アナ、」 「なに」  息がうまく吸えなくて、言葉がなかなか続かない。面白そうに細まった眸はきっと続きを知っているはずなのに、簡潔に先を促してくる。いじわる、と。のどからしぼり出したはずのそれはたぶん、音になっていない。  息を、一つ。 「もっと、はげしく、して」 「──よく言えました」  突然もたらされた快感に頭がまっしろに染まる。シーツを思いきり握りしめても、がくがくと震える私の支えになってくれることはなかった。どこかへ飛んでしまいそうな意識の中、アナの右手がそっと頬に添えられる。あつい体温が、私の頬から全身へ流れていくみたいに、触れた先からどんどん熱をはらんでいく。  こらえきれずに雫が一筋、頬を伝ってアナの手のひらへ落ちる。濡らしてしまいたくないのに、泣いてしまいたくないのに、決壊した涙腺はとどまるところを知らなかった。  ぽろぽろこぼれてしまう涙に親指の腹で触れて、なぞって、妹は微笑んだ。やさしい、私のための笑みを。 「ねえ、すきよ、エルサ。だいすきなのよ」 「わ、たし、も」  伝えたいのに。もっともっと、どれだけ私があなたを想っているのか。しなやかな指もあつい手のひらも包み込んでくれる腕もやわらかなくちびるも私によく似た眸もすべてすべて、私のためだけに存在してほしいのだと。私だけを見て、私だけに笑いかけて、私だけに触れて、私だけを感じて、ねえお願い、もうほかのだれもみてほしくないの、なんて。なんて欲張りな私。  指の動きを止めたアナが顔を近付けてくる。耳から流れ落ちた髪が視界を閉ざすように広がる。月明かりが遮られる。私と、アナと、ふたりだけの世界。鼻先が触れる。息がくちびるをくすぐる。薄暗闇の中で、アナの眸から雫が一つ。 「あいしてるわ、エルサ」  くちびるとともに夜が、おちてきた。 (私を覆い尽くす、夜が)
 自分はえすだと思いこんでるどえむなお姉ちゃんかわいい。  2014.4.8