愛は遠く、

 急いた足音が追いかけてきた。 「待って、エルサ、待って…っ」  扉越しではない、本物の声を、彼女が私の名を呼ぶ音を、久しぶりに聞いた気がした。本当は立ち止まって振り返って成長したその姿を眸に収めたい、けれどそれは許されない、いまの私には、まだ力を抑えられない私には。  思うように動いてくれない足がもつれて上体が傾ぐ。なんとか堪えたもののそれよりも息が上がってしまっていて、自室に辿り付く前に絶えてしまいそうだった。こんなことならもっと運動しておけばよかった、なんて後悔が浮かぶほどの酸素は残っていなくて。  駆け足から千鳥足になってしまってもなんとか進み続けていると、やがて肩に手がかかって身体が震えた。 「──エルサっ!」  声が、伝ってくる。鈴を転がしたような音が耳に馴染んで途端に離れない。とうとう振り返ってしまった私のすぐ目の前に立っていた、彼女が、どれだけ会いたいと願っていた妹が。もうとうに昔の――けれどいつだって忘れたことのない記憶が浮き上がってくる。飛び出した魔法、額に、幼い妹が倒れて、 「…い、いや、」 「エルサ?」  ぴきぴきとなにかが凍っていく音が聞こえる。足元が、廊下が、壁が、すっかり見慣れた色に塗り替えられていく。それを見とめた妹の表情が固まって、周囲を見て、私を見て。その顔が嫌悪に変わってしまうまで、あとどれくらいだろう。人間ではない力を、ばけものと呼ぶに相応しいこれを目の当たりにした妹はきっと恐れてしまうに違いない、距離を空けるに違いない。  いつまた暴走するかわからないのだからそうした方が彼女のためではあるはずなのに、その私自身が動くことができない。妹のためにばけものである自分を隠して生きていた私はどうすればいいのか、秘密が明るみになった私にもはや生きる意味などあるというのか。  私は、私は生きていてはいけない存在なのに、 「いや、いや、いや…!」  胸に両手を押し当てる。 「エルサ、なにを、っ」  つんざくような悲鳴が聞こえたのと、冷たい塊が胸を貫いたのはほぼ同時だった。 (それでもこの忌々しい鼓動は動きを止めてくれなくて、)
 生きる意味を失ってしまったばけもの。  2015.7.9