そうだ、結婚しよう。
ママ、パパ。思わず小さいときみたいに呼んでしまうくらい、あたしは混乱しています。えと、落ち着いて聞いてください。というかまずあたしが落ち着こう。
深呼吸を一つ。
目が覚めたら、はだかのエルサが隣で眠ってました。
繰り返す、はだかのエルサが、
「うう、ん…」
「ひうっ!」
驚いた拍子に変な声が飛び出した。大きめのその声で隣の姉が起きてしまうんじゃないかと急いで口を押さえたけど、むにゃむにゃと形にならない寝言をつぶやいているエルサはあいかわらず夢の中、両手を胸の前に握りしめてしあわせそうな顔をしてる。
かわいい。
率直な感想がそのまま口から飛び出してしまいそうになって、指に力をこめる。まぶたを閉じて、息を吸う、はく。鼓動が少しだけ治まったことを確認して視界を開けるも、すぐ近くにあるエルサの顔にまた、心拍数が跳ね上がった。だってこんな顔、あたしはいままで見たことがないもの。
何度か一緒のベッドで─もちろん寝間着で─眠ったことはあるけど、先に起き出すのは必ずエルサだ。早起きにはとんと縁がないあたしが欠伸とともに目覚めると同時、もう着替え終わってる姉さんが笑み崩れて、おはよう、なんて。
その瞬間ももちろん好きよ、ええ。
だからこんな、年端もいかない子供みたいな表情で眠っているなんて知らなかった。まじまじと遠慮なしに見つめてしまうのも仕方のないこと。あたしを映す眸が隠れてるのはさみしいけど。なんの夢を見ているのか、淡い笑顔を浮かべてる姉さんを見ているとこっちまで口元がゆるんでしまう。かわいい、なんて言葉が本当にぴったり当てはまる。
ゆっくりと視線を下へ下へと移していき、露わになっている鎖骨に到達したところでようやく状況を思い出したあたしの頬が熱を上げる。そうよ、そんな場合じゃなかったんだ。
とりあえず状況を整理しよう。そう思って記憶を辿ってみるけど、ベッドを共有することになったきっかけも、エルサが服を脱いだ経緯も手繰ることができなかった。せめてここがエルサの部屋だとか、酔っていただとかの理由があれば説明もつくけど、ここは間違いなくあたしの部屋だし、まだ未成年だからとお酒を一滴だって分けてもらったことはない。つまり素面のあたしとエルサはついに一線を越えてしまって、あたしはそれを覚えてない、と。導き出した結論にさあ、と血の気の引く音がした。
それってなんだか、最低男の言い訳みたいじゃない。最愛の姉さんをキズモノにしておきながら自分は覚えてない、なんて。なんて勿体ないことを、じゃなくて。ああだけど、過去を変えることはできない。それはよく知ってる。かくなる上はあたしが責任を取ろう。でもこういう場合の責任ってどう取ればいいのか、さっぱり見当がつかなかった。
答えを求めようにも、さっきからエルサの顔に目が釘付けで一向に浮かんでこない。心臓はずっと早鐘を打っていて、このまま身体から飛び出してしまうんじゃないかと心配になるくらいだ。ねえ、あたしはそのくちびるに触れたのかしら。そっと心の中で尋ねてみても、ぐっすりおやすみ中の姉から返答があるわけでもないし、ましてやあたし自身が覚えてるはずもない。きっとやわらかかったのに、あたたかかったのに、感触さえ残ってないなんて。一度味わってしまったのなら、何回つまみ食いしても同じよね。行き着いた思考にひとり頷いて、桜色のくちびるに、
「…ん、アナ、」
「ごめんなさいちがうの別にキスしようとか思ったけどごめんね寝込み襲うつもりじゃごめんなさい!」
唐突にまみえたアイスブルーの眸に全力で謝る。ああ一体なにをしようとしたのあたしは。せっかく昔のような姉妹に戻れたのに、自分から壊しにいくなんて。いやもう思いっきり壊してしまった後かもしれないけど。だけどこれ以上エルサの同意なしに傷付けていいわけがない。
当のエルサはといえば、まだ夢から覚めていないみたいにぱちりとまたたきを一つ、二つ、三つ目で笑みを深めて。
「おはよう、アナ!」
「ふえ!?」
はだかの姉さんは、あたしの首に両腕を回してタックルよろしく抱きついてきた。女性らしいやわらかな感触が、あたたかな体温が、寝間着越しから否が応でも伝わってくる。というか胸、胸当たってるから。
もうなす術もなすべきことを考える頭もなくてとりあえずうれしそうに頬をこすりつけてくる姉の横顔を盗み見る。無邪気な笑顔からは、普段の姉さんの面影なんてどこにも見当たらない。つまりかわいい。あたしそれ以外にほめ言葉知らないのかしら。ああでも仕方ないの、だってかわいいんだもの。
そう、責任の取り方を考えていたのよね。物語にあったのはたしか、そう、結婚。結婚、うん、いいんじゃないの。アレンデールの法律で同性間の結婚が認められていたかどうか覚えてないけど、大丈夫、だって姉さんは女王だもの、なんとかなる。結婚式にはお肉とスープと、それからたくさんのチョコレート。この調子だと夫婦仲も円満ね。多忙なエルサに代わって、子供はあたしが育てよう。あれ、赤ちゃんはスノーマンが運んでくるんだっけ、それともアイスマンが届けてくれるんだっけ。
そんなことを考えているあたしをちろりと見やって、なにが不満なのか、御年二十一の我がお姉さまは頬をぷくりとふくらませる。ソープリティー。
「アナも、ぎゅってハグしてくれなきゃやだよ」
よし、結婚しよう。
***
がちゃがちゃ、と。ドアノブを回す音が響いたのはそんなときだった。
「きゃあっ」
なんだか妙に高い声を上げつつ、雪玉が部屋に転がり込んでくる。いや、雪玉じゃなくて、ばらばらになったオラフの身体だった。扉を開けた拍子に分裂してしまったみたい。逃げようとする下半身を必死で捕まえようと枝を伸ばしている。
ようやく自身の身体を捉えたオラフは、不器用に頭を乗せて疲れたようにため息をついた。その仕草は、いつもの彼とどこかちがっていて。
ぱ、と身体を離したエルサが、あれえ、と声を上げる。
「ぼくがふたりいる!」
「ぼくがふたり…ってエルサ、なに言ってるの?」
「エルサ、って。なに言ってるのアナ、ぼくはオラフだよ」
エルサは疑問符を浮かべつつ首を傾げる。キュート。じゃなくて。
言ってる意味がわからなくてオラフに視線を向ければ、彼はもう一度息をつく。私にも分からないんだけど、と彼らしからぬ口調で前置きして、小枝の指でエルサを指差した。
「どうやら私とオラフが入れ替わってしまったみたいなの」
「ほんとだ、ぼく、エルサとそっくり!」
「ねえオラフ、今まで気付かなかったの?」
「そういえば身体が分裂しないなあとは思ってたけど」
「着目すべき点はそこではないわ、オラフ」
ふたりの会話に付いていけるほど、あたしの頭は目覚めてないみたい。ウェイクアップ、アナ。
ええとつまり、エルサの中にオラフが、オラフの中にエルサがいる、ってことよね。言われてみれば「ぎゅってハグして」なんてエルサの言い回しには覚えがあるし、オラフが扉一つ開けるのに手間取ったのにも理由がつく。第一こんなしゃべり方するオラフなんていやだ。
そういえばオラフは、人のベッドにもぐり込む癖があった。そのときによってエルサだったりあたしだったりするけど、夜中静かに部屋に侵入してきては毛布に忍び込み、起きるとシーツが濡れているなんてことは多々ある。眠りを必要としないはずの雪だるまは、なぜだか人の真似をしたがるのだ。
ということは、いつの間にか入れ替わっていたことに気付かなかったオラフがいつもの癖で、あたしのベッドに忍び込んできた、そういうことね。これですべての謎が解けたわ。
「って解けてないわ。どうしてエルサは、つまりオラフはその、服を着てないのよ」
「だってぼく、いつもはだかだから」
「正論だわ」
「納得しないで、アナ」
オラフの中のエルサが突っ込みを入れつつ、ベッドに上ろうとして失敗する。ころりと床に転がったはずみで両手が方々へ飛んでいってしまった。とりあえず服を着させてちょうだいと、小枝を拾いに立ち上がったオラフ、もといエルサが洩らしたことでようやくあたしは目的を思い出す。
そうよ、オラフに、じゃなくてエルサに言わなくちゃいけないことがあったんだ。
小さな足を精一杯広げ歩いている雪だるま、もとい姉に向き合い、両腕でエルサ、もといオラフを抱きしめる。
「あたしたち、結婚します!」
「………え、」
「あ、式の日取りはまだ決めてないんだけど。チョコレートはたくさん食べたいなって」
「ちょっと待ってなにこのデジャヴ」
「アナ、ぼくにんじんがたくさんほしいな!」
「じゃあにんじんも用意させましょ」
「ストップ!」
オラフが、じゃなくてエルサが腕を広げて言葉を絶つ。細い手でこめかみあたりを押さえて眉を寄せ、呆れたように息を一つ。オラフのそんな表情が珍しくて、思わず笑ってしまいそうになる。さすがに怒られそうだから、なんとか飲み込んだけど。
「ねえアナ、早まらないで」
「どうして。だって真実の愛なのよ」
その言葉にぐ、とオラフが、ではなくエルサが押し黙る。あの夜、というのは南諸島の王子とエルサに面会したあの夜は、愛がなにかもわからないくせにと突っぱねられたけど、いまはちがう。あたしとエルサは互いを深く想い合っている、つまり真実の愛。氷山だって万年雪だって、あたしたちの前では水と化すのよ。
さあ、そうと決まれば結婚式の準備ね、わくわくしちゃう。新しい生活に胸躍らせて、腕の中の姉をさらに抱きしめた。
「ところでこれ、いつ元に戻るんだい?」
「私に聞かれても…」
(私がオラフでオラフが私で)
どうあがいてもシュール。
2014.4.10