浮かぶのはありふれた悲しみではなくて、

 この場所にやって来るのも何日振りだろう、正確に数えようとしても、その何日間が濃密すぎて、実際の日数よりも何週間も何か月も長いように感じてならない。そんなこんなで疲れた身体にもしっかり染み付いてしまっている日課を果たすべく、あたしは絵画室への扉を開いた。  部屋に溢れた絵の人物に話しかけるのは小さいころからの、もっと言えば姉さんと顔を合わせなくなってからのあたしの癖。遊び相手がいなくなってしまったあたしの対等な話相手を求めて、声を持たない彼らを、彼女たちを親友に見立てて。内容はその時々によって違っているけど、今日話すことは最初から決まっていた。  扉を抜けてすぐ、左の壁沿いに駆けていって大の友人である戦場の乙女に報告するのが常だけど。朝の清掃が終わったこの時間帯には誰もいないはずなのに、あたしだけの空間に漂う人の気配。 「──アナ…?」  まだ耳に馴染んでないその音が飛び込んで思わず身体が跳ねる。右手に顔を向ければ、あたしの記憶に残っている姿より大分成長した姉が、控えめに片手を上げていた、おはよう、と少し時間外れな挨拶をして。  またたきを一つ、数瞬遅れて、こんにちは、と。あたしの方が時間にそぐわない返し。  隣に並ぶことにまだ躊躇いはあったけど、それでも姉さんがどうしてここにいるのか、なんの絵を見ていたのか。一歩、二歩、足を進めて、顔を上げて。 「アナに、ね、報告していたの」  あたしが、いた。王族専属の画家によって実物よりも絵画的に美化されたあたしの絵が飾られていた。一体いつ描かれたものかさえ忘れていたそれはなんとも気難しい表情をしていて。何年か前のあたしを見つめる姉の表情はやさしく綻んでいて。 「あなたと久しぶりに出逢えたことを、愛を教えてもらったことを、たくさんのことを」 「…それは、」 「毎日よ、ええ、毎日。段々と成長していくあなたに話しかけていたの」  本物のあなたに会うことはできないから、と。ふいに顔を向けてきて、だけど、なんて。 「もう、その必要もないみたい」  ゆるんだ頬を伝う雫がぼやけていく、きっとあたしも、同じものを流しているから。熱い目尻を拭うこともせず距離を詰めて抱き付けば、恐る恐る腕が回される。愛を伝えたけど、愛を交わしたけど、まだこの距離には慣れていなくて。これからゆっくり慣れていけばいい、あたしたちにはこれからたくさんの時間があるんだから。  ぴたりとくっついた頬はたしかに熱を持っていて。 「──こんにちは、アナ」 「──こんにちは、エルサ」 (ただうれしいの、ただただ、あなたと会えたことが)
 姉妹に涙を流させてみたかっただけ。  2015.9.23