超能力なんて存在しないのです。
わたしのママは超能力者です。
「あれはいつだったかな、イデュナ」
「アナの家庭教師の選定は明後日ですよ」
いつのも通りなにを言ってるのかわからないパパの言葉にも、ちゃんと答えているのですから。きっと考えていることがわかる、いわゆるテレパスかもしれません。
「じゃああれだな、あれをしておかなければ」
「予定は入れないようにと、もうカイに伝えてます」
たいしてパパは老化がすすんでいるのかもしれません。このまえ医学書で読んだ、ちほうしょう、とやらにかかっているのかも。お医者さんを呼ばなきゃいけない事態かもしれないのに、ママは治そうともしません。頭のなかが見えるから、必要ないのでしょうか。パパの伝えたいことがさっぱりだから、わたしとしては治してほしいのだけど。
いすの背中に両方のひじを突いて、頭を右に左にゆらすとようやく、パパがわたしをみてにっこり笑ってくれました。あいかわらずその意味はわからないけど。
ひなたぼっこをしているこの窓辺からは、お仕事をしているパパとママがよく見えます。アナがお昼寝していてひまなとき、ここからふたりを観察するのが、わたしの最近の趣味です。わかったことはひとつ。観察だけでは、テレパスは身につかないということでした。
「ねえ、ママ」
「どうしてパパの言うことがわかるのか、って訊きたいんでしょ」
会話が終わってわたしの方を向いたママを呼ぶと、まだたずねていないのにそう言われてしまいました。やっぱりママは超能力をもっているみたいです。じゃあこのまえアナといっしょにチョコレートをつまみ食いしたこともばれているのでしょうか。それなのに怒られていないとしたらとても、こわいです。
一週間前のチョコレートのあまさを思い出してびくびくしているわたしに、にっこり、パパとそっくりな笑顔をうかべたママ。
「夫婦だから、かしら」
「…超能力、じゃ、ないの?」
「エルサみたいな素敵な魔法が使えたらよかったんだけれど」
びっくりです。ママが超能力者じゃないなんて。ふうふになったら、意志疎通ができるようになるなんて。そうだな、と言ったパパがうなずいています。意志疎通ができたとしても、パパはもうちょっと、ちゃんとした言葉をしゃべるべきだと思います。
くすくす楽しそうに笑ったママはきっと、顔をしかめたわたしの気持ちもわかっているのです。
「エルサにもいつかわかる時がくるわよ」
***
「ええと、あれは…」
「チョコレートなら一番上の棚」
「ありがとエルサ。それから、」
「ティーパックは左の引き出しよ、アナ」
すべての材料を揃えた妹が意気揚々とお茶会の準備を始める。机の上を整えた私がふと思い出したのは、いつだったか、アナがお昼寝してしまって暇を持て余していた午後の一場面。笑っていたお父様とお母様の思っていたことが、お母様の言葉の意味が、ようやくわかった気がした。
くすくす、思わず笑みをこぼした私に、アナが不思議そうに視線を向けてくる。
「ねえ、前から思ってたんだけど、エルサって、」
「超能力者じゃないわよ」
「そういうところがテレパスだって言ってるのよ」
「私ができるのはこれだけ」
不満を露に頬をふくらませた妹に、目の前に手をかざして小さな雪の結晶を作り出して見せる。陽光を受けてきらきら輝くそれに一瞬、両親の姿が映った気がして。
「アナにもいつかわかる時がくるわよ」
(やっぱり私は、ママとパパの子供みたいです)
エルサちゃん(7)の純粋な疑問。
2015.11.23