だって、あたしの姉さんなんだもの。
久しぶりに夢を見た。
さっきまぶたを閉じたばかりだというのに、気付けばしっかり目を開いてベッドに腰かけていた。この世界独特の浮遊感は、たしかにここが現実ではないのだと証明しているようで。そんな感覚なんてなくとも、いまこうして座っている部屋が決して足を踏み入れることのできない場所であることからもわかるのだけれど。
見覚えのあるここはアナの部屋だ。正確には私の部屋でもあった場所。私のベッドがあった空間に、いまは衝立やドレッサーが配置されている。もう十年も中を覗いたことがないというのに、当時の記憶そのままではなく想像で埋められているのだから本当、夢とは便利なものだ。
目の前の窓に雪が映る。私の力によってもたらされたものではないそれはとても美しかった。雪をきれいだなんて純粋に思ったのは幼少の頃以来かもしれない。
そんなことを考えながらただぼうっと座ったままでいると、かちゃり、扉が開く音。
「あ、」
声さえ上げなかったもののきっと、わたしも同じ口のかたちをしている。
「なんでエルサがここに」
アナが、ノブを握ったままの体勢でそこにいた。なんで、と言われても、自分の夢なのだから私がいなければ始まらないものではないのだろうか。驚きしかなかった表情に、徐々に別の色が浮かんでいく。取り間違えでなければそれはきっと喜び。なにに対してなのかはわからないけれど。
そうして微笑みに変わった顔をそのままに、すたすたと歩いてきた妹はなんの躊躇いもなく隣に腰を下ろしてきた。危ないわよ、そう言って離れたかった、また傷付けてしまうかもしれない、いつかのあの夜のように。けれども小さな違和感にふと両手をかざしてみれば、いつも身に付けているはずの手袋が見当たらない。雪色をした自身の腕を前に、大丈夫かもしれない、なんて根拠のないそれが浮かんだ。だって夢なんだもの。
「やけにリアリティあるわね、夢なのに」
笑い声も混ぜたアナの声。ノックに乗せられた軽快な歌は随分と前から聞こえなくなったはずなのに、その声は歌声より大人びているようだった。夢の中でも成長するものなのだろうか、ますます不思議だ、私の想像が作り出した彼女でさえ夢であることを認めてしまうことも。
そうね、と。言葉を交わしたのも久しぶりだ。些細なことはこの際気にしなくていいのかもしれない、どうせ夢なのだから。
しばらく無言のままふたりして窓から見える景色を見つめる。私たちの姿も関係もこんなにも変わってしまったのに、ここからの景色は昔と変わらないまま、あえて挙げるのなら木が少し枝を増やしたくらい。
「ねえ、アナ」
その名前を最後に音にしたのも、覚えていないくらい。懐かしい響きだったのは名前の持ち主も同じだったみたいで、うん、と。答えた声は弾んでいるようだった。
「きらいに、なったでしょ、私のこと」
そんなことを訊くつもりではなかった。元気かしらとか、なにか変わったことはないかとか、夢の住人に伺っても仕方のないようなことを尋ねるつもりだったのに、口から飛び出したのはずっと気にしていたそれ。かわいらしい誘いを頑なに拒絶してきた私を、妹をひとりぼっちにさせてしまった私なんてもうとうの昔に嫌っているでしょう、と。むしろそうであってほしかった、嫌悪を向けられている方がどれだけ楽か。
沈黙は問いを肯定しているのか、それとも答えあぐねているのか。
しばらく口を閉ざしていたアナの手がふいに、私の甲に重ねられた。いくら夢だといっても条件反射ばかりは拭えることが出来ず、思わず引いた手を逆に強く掴まれ、再びベッドに落ちる。
この身に人のぬくもりを感じたのはいつ以来だろうか、それさえも忘れてしまっていて。
「きらいになるはず、ないじゃない」
たしかな声は力強く、そんなことあるわけないじゃない、と。どうしてあたしがエルサを嫌いにならなくちゃいけないのかと、ともすれば怒りも含んでいるようで。
ぱ、と。妹の眸が初めて、私を映す。昔とそっくりそのままの薄氷色は、声色とは裏腹にゆるく綻んでいた、それも幼い頃のままで。
「だってエルサは、」
***
始まりと同じように夢の終わりも唐突だった。
世界は残酷なほどすぐに切り替わって、視界に映るのはただただ見慣れた天井。妹の姿なんて、そこにあるはずもない。ため息を一つ。陽が顔を出してから目覚めるのも珍しい。
随分としあわせで、そして身勝手な夢を見ていた気がする。気がするというのはつまり、今日も変わらず続いていく現実が既に夢を記憶の彼方へ追いやろうとしているということだった。薄れいくそれらの中でけれど忘れるはずもないのは、甲に触れたあたたかな感触と、眩しいくらいの薄氷色。この欠片だけで、私はまだ、生きていける気がした、妹のために。
そうしてもう断片となってしまったそれらに名残惜しくも浸りつつ身支度を整えていると、コツコツ、懐かしいノック音に思わず返事をしてしまいそうになった。この特徴的な叩き方は侍女であるはずもなくて、
「エルサ、」
夢と同じ声が、一つ。いいえ、もしかすると私はまだ、夢を見ているのかもしれない、自分に都合のいい夢を。だってそうでなければ久しく扉の前に立つことがなかった彼女が昔と変わらずそこにいるはずもないし、声を弾ませているはずもない。
鼓動が落ち着きをなくすのは動揺か、それとも喜びか。判別つかない中でけれど扉の向こう側の妹は口にした、歌にでも乗せるように。
「今日ね、夢を見たの、姉さんの夢を」
(そうして妹は語る、私とそっくり同じ夢を)
戴冠式よりも前、あなたの夢を見た朝。
2015.12.11