扉に乗せたたった一つだって伝わらない。
無条件な愛を与えられると固まってしまうことを、あたしはいま、生まれてはじめて知った。
「おいで」
差し伸ばされた手が、広げられた腕が、恐ろしかった。いままで望んだって与えられなかったものがいま、手を伸ばせば届く位置にあるだなんて信じられなかった、信じようがなかった。だけどあたしが信じたって信じなくたってたしかに愛はそこにあって。扉越しにあると信じ込むしかなかったものが目の前で微笑んでいて。
一歩、後ずさる。距離を取らなければ倒れ込んでしまいそうだった、眩んでしまいそうだった、まぶしいほどのその愛に。ゆるんでいく涙腺を抑えられそうになかった、両親との別れ際に流した以来のそれを。
だというのに愛はあたしに近付いてくる。ひた、ひた。一歩ずつ、ゆっくりと。侵食しているのではなく、とかしていくみたいに。いつだったかあたしの氷をとかした時のように、恐怖の代わりにあたたかさばかりを残していく。
「…だめだよ、エルサ」
ぽろぽろ、雫よりも先に言葉があふれていく。まだ、だめだった。愛をもらうには早すぎた。あたしはこれまでの愛を、想いを、伝えなくてはいけないのに。いままでこれっぽっちも口にできなかったものを、すべてを、あたしがどれだけ焦がれていたか、どれだけ眸に映りたかったかを。
先に与えられてしまったら、もう、言葉が消えてしまいそうで。たくさんの言葉よりもそれ一つでわかり合えてしまえるのだと、そんな勘違いを起こしてしまいそうで。間違えるのはいやだった、知らないうちに失ってしまうのはいやだったから、もうなにも。
まとまらない感情を吐き出そうとするあたしの口を塞ぐようにふと、笑いかけて。次いであたたかさが降り積もった、肩から、腕から、なによりもあたたかい体温に包まれる。
「いいの、アナ、いいの」
「…っ、でも、」
「伝えようとしてくれた気持ちを、想いを。私は知っているから」
そんなこと、言うものだから。ふいにやさしさなんてくれるものだから。目頭が熱くてたまらなかった。恐る恐る伸ばした手が誘われるようにぎゅ、と背を抱きしめて。剥き出しの肩に吸い込まれていく雫を止めることができない。
ぽんぽん、と。こうして背中をやさしく叩かれていた子供のころのあたしはすぐ泣き止んでいたというのに、大きくなったあたしは止める術を忘れてしまっていたみたい。
「今度は、私から。──あいしているわ、アナ」
返事をしなければならないのに、それでも嗚咽を洩らすあたしをただ、やさしく撫でてくれていた、もう知っているとでも言う代わりに。
(たとえばこの雫からすべてが伝わればいいのに)
アナちゃんを泣かせたかっただけ。
2016.1.9