雪の王女さま。
アレンデールに冬がやってきた。
もちろん私が起こしたものではなく、単に季節が秋から冬に移ろっただけなのだけれど。女王に即位して初めて迎える季節に、浮き足立つ心は止められない。
冬は一年間でなによりも好きな季節だ。子供のころはいつもアナより薄着で、真新しく降り積もった雪に足跡をつけては喜んでいた。妹より寒さを感じないのは、昔もいまも変わらない。
それに雪が降っていれば、自分の感情の変化を悟られる心配もない。感情は力に直結しているようで、コントロールできるようになったいまでも、体調が悪くなったり心境がおだやかでなくなれば、気温が下がり結晶がちらつく。それを見咎めるのはいつもアナで、ちゃんと休みなさいって言ったでしょ、と無理やり仕事を放棄させられるたびに、うれしさと申し訳なさが交互に襲ってくるのだ。私の心配をしてくれているのはうれしい、けれどそれだけアナが私を見てくれていて、つまり自分よりも私のために時間を割いてくれているというわけで。
だからいまはなおさら、冬が好きになった。
冬が好きという点では―私とは理由が違うだろうけれど―アナだって負けてはいない。陽が昇ってしばらくしてからようやく起き出すのが常であるはずの妹は、けれど冬の、とりわけ雪がしんしんと降る朝は必ず、空が起きるよりも早く目を覚ます。そうしてこっそり部屋を抜け出してきては、眠る私に馬乗りになってくるのだ。
ねえアナ、小さいころと変わらずやって来てくれるのはうれしいのだけれど、身体は成長していることを忘れてはいないかしら。
何度も言ってみたけれど、答えは決まっている。ごめんなさい、とかわいらしい舌をちろりと出して、翌朝また、ベッドに這い登ってくるのだ。癖を直そうともしないアナもアナだけれど、扉が開けられるたびにゆるむ頬を抑えきれない私も大概、妹に甘いのだと思う。
そうして今日も私のいとしい妹は、音を殺してやって来た。
実はアナが扉の前で立ち止まった時点でまぶたは開いている。扉越しでも聞こえてくる大きな深呼吸は、ノック前の合図みたいなものだ。きっと妹は無意識なのだろうけれど。
長い間、開ける機会の少なかった扉はすっかりへそを曲げてしまったように、わずかなきしみ声をあげる。しーっ、と。それにさえも口止めしようとするアナに口元はゆるむばかり。これではアナに気付かれてしまう、そっとシーツを持ち上げた。
一歩、一歩、絨毯に音を吸い込ませつつ歩み寄ってくる気配。スプリングがしなり、そうしてひそかに待ち望んでいた体重と体温が加わった。
そっと耳元に唇を寄せてきた妹は、昔と変わらない口調で音を弾ませる。
「ゆきだるまつくろう!」
かわいい妹の十三年越しの願いを、どうして断ることができるだろう。少なくとも私には、睡眠を優先するなんて選択肢は存在しなかった。
***
昨晩から降り続けていた雪は、中庭を白く染め上げるには十分だった。
「だーいぶ!」
セーターにコートに耳当てに手袋にブーツ、と重装備のアナはかけ声を一つ、こんもりと盛り上がった山に飛び込んでいく。ばふりと埋まっていた顔を上げて、子犬みたいに頭を振る。成人も間近だというのに、無邪気な様子は子供のころからそのままだった。窓からこっそり姿を窺っていた、あのときのまま。
「ほら、エルサも来て」
「私は、」
続ける暇も与えられず、ぐん、と掴まれた手首を引っ張られると、あっという間にアナとの距離はゼロになった。重力に従順になった私を、腕を大きく広げたアナはなんなく受け止める。勢いが付きすぎて軟着陸、とはいかなかったけれど。
怪我でもしていないかと急いで上体を離せば、至近距離の顔はにひひと気にした風もなく笑うばかり。
「これでエルサも雪まみれね!」
あたしとおんなじね、なんて。
ねえ、同じじゃないのよ、アナ。上がった息をついても白い軌跡が描かれることはないし、雪に触れた手は冷たさを認識しても寒いと思うことはないの。アナの、そばかすが散った鼻みたいにきっと、私のそこは赤くなってはいないの。場所を、時間を、共有しているはずなのに。
十三年間ずっと忌まわしく思っていたこの力も、最近やっと受け入れることができた、好きになることができた。だけれどいっそ消えてしまえばいいのにと、思うことがないと言えば嘘になる。そうすれば寒いわねと笑い合うことも、冷たい妹の頬をあたためてあげることもできたのに。
かわいそうなほど朱に染まった頬を見つめる。包み込んであげたいのに、雪と氷しか作り出せない私の指では、わずかに残った熱さえも奪ってしまう。これ以上触れてはいけない、触れさせてはいけないの。
立ち上がり距離を取ろうとする私を、けれど妹は逃がしてくれなかった。手首はしっかりと捉えられたまま。離してと、言おうとしたのに、振り返り見た妹の表情に言葉は全部とけてしまった。
とっておきの秘密を打ち明ける子供みたいな含み笑いを浮かべ、見ててね、と。再び距離を詰めて、彼女はささやく。
いつの間に手袋を外したのか、握りしめていた右手を開きつつ、軽く振り上げた。手のひらから、粉雪が舞い踊る。ふうわりと空中をただようそれはゆっくりと、私の目の前を通り過ぎていった。
アナ自身が生み出したようにも見える雪たちは楽しそうに結晶を揺らす、まるで、私が作り出すものと同じみたいに。
「驚くのはまだ早いわよ」
軌道を描いて落ちていくそれをただ見つめていることしかできない私に、アナは得意げに口角を上げる。そうしてようやく手首を解放して、今度は両手のひらにちょこんと乗った雪玉をかざしてみせた。
いくわよ、と小さな号令を一つ、左手の雪玉を高く、高く投げる。頂点に達したところで残りの一つを放り上げれば、いままさに落下しようとしていたそれにぶつかり、花火のように、私たちの上空ではじけた。重力に逆らってゆっくりと落ちてくる雪片が、ようやく顔を出した朝日に照らされきらきらと輝く。
それはまるで、幼いアナに最後に見せた魔法みたいだった。
雪のかけらを追っていれば、やがてアナと視線が重なった。アイスグリーンの眸は思い出すことがないはずの記憶さえ見通すみたいにまっすぐ透き通っていて。やがて笑みのかたちに細められる。
「ねえ、エルサ。あたしもね、魔法がつかえるのよ」
「…雪の、魔法?」
「そう。でもね、これは限定ものなの」
きらきら、きらきら。踊る雪たちが、私たちの肩に降り立ち染み込んでいく。冷たいはずなのに、熱なんて持っているはずがないのに、触れる先からあたたかさが積もっていくようだった。冷え切った私の身体を、同じではないのだと閉じかけていた私の心を、やさしく包み込んでいく。
もしかすると私は、アナの魔法にかかっていたのかもしれない。ずっと昔から、妹のやさしい魔法に守られていたのかもしれない。忌むべき力を、私という存在さえもまるごと受け止めてくれる妹の、あたたかな雪の魔法に。私が気付かなかっただけで、いつもそこにあったのに。
頬を流れていく熱がぬぐい取られる。そうして私だけの魔法使いはにかりと笑った。
「エルサだけの魔法なの!」
(わたしだけの、ゆきのおうじょさま)
「Let it go, let it go. ふふふんふんえにーもー!」「やめてアナ…」
2014.4.20