人はそれを愛と呼んだ。
いまのあたしに恐怖をもたらすものはただ一つだった。
「─…エルサ?」
またたきを一度、二度。三度同じことを繰り返しても目の前の光景が変わってくれるはずもなく。あたたかな陽射しが部屋を満たしているはずなのに、反して身体は氷のように冷たさを増していく。それでも自らの姉のように力を持たないあたしが部屋を凍らせてしまうなんてことはなかった。
毛布を剥いで、けれど影どころかぬくもりさえ残されてはいなくて。
エルサが、いなくなっていた。
目を閉じる前はたしかに隣にいておやすみと交わし合ったはずなのに。姉がやがて規則正しい寝息を立てたことを確認してから眠りに沈んだはずなのに。
急く鼓動のまま起き上がり寝間着であることも気にせず部屋を飛び出した。
いつも太陽が顔を現すよりも先に目を覚ましてしまう姉はけれど、あたしの意識が覚醒するまでベッドから抜け出すことはまずなかった。彼女は知っていたから。姉さんの隣にいられるだけでどれだけ安堵を与えられているかを、姉さんが傍にいないだけでどれだけ恐怖に襲われてしまうかを。だから日中だって執務室に滞在することを許してくれているし、同じ枕で夢に落ちてくれている。
その姉さんの姿が見えないだなんて。
きんと空気の冷えた廊下を駆け抜け、執務室を覗き、厨房に足を伸ばし、大広間に飛び込み。それでも足取りさえ掴めず、段々とかたちを成してきたその感情から逃げたくて外へと続く扉を開けた。
「あら、アナ。もう起きてしまったの」
一面の銀世界にとけこむみたいに、探していたその人は立っていた。寒さに凍えてしまいそうな格好でもものともせず、雪にまみれた手を胸元で軽く振って。そうしてなんでもない風で佇む姉さんの元へ駆け寄って思い切り抱きついた。どうしたの、きっとそう尋ねようとした言葉が半ばで消えていくのは、あたしの震える身体を感じ取ったからか。冷えた手のひらが背に回り、やさしく抱き止められる。
あふれた涙は安堵と、それからすぐそこまで迫ってきていた恐怖に耐えきれず流れたもの。止め方がわからずただ精一杯嗚咽を堪えるのに、ぶるぶると揺れる自身は抑えられない。
「…ごめんなさい、アナ。あなたが起きる前に戻るつもりだったの」
声が降り積もる、幼子をあやすようなそれはけれど恐ろしい感情を拭うにはまだ足りなくて。
「雪だるまを、ね、見せてあげたかったの」
「…雪だるまなんて、いらない、から」
まだただの雪玉でしかないそれが姉さんの肩越しに映る。
あたしを驚かせたかったのかもしれない、幼い日の約束を守りたかったのかもしれない。けれどあたしはそのどれよりも、傍にいてほしかった。それがたとえまぶたを開いていようと閉じていようと、片時だって離れていてほしくなかった。一度は失ってしまったものを手放したくはない、もう二度と。
わかったわ、と。腕の力が強くなっていき、姉さんとの距離が縮まる。
「もう離れたりなんかしない、いつだって傍にいるわ、アナ、約束する、だから、」
彼女が与えてくれる感情はまぶしいくらいまっすぐで、純粋で。
「──恐れないで」
あたしが返せるものはあまりに醜く歪み過ぎていた。
(執着と呼ぶには汚れていて、愛と名付けるには遅すぎた)
ただ、もう、あたしをひとりにしないでと、
2016.1.10