誰よりも驚いていたのはきっと、娘自身だった。 「──マ、マ…?」  昔の呼び名も今は懐かしく響かない。ただひたすら目の前と、それからかざした自分の手を見つめて。  赤が落ちていく。紅と呼ぶには黒く汚れすぎたそれが。 「お母さま!」 「イデュナ!」  駆け出したのは同時、けれどエルサはすぐに足を止めてしまう、指を握りしめて。腕に抱き留めた妻はけれど微笑んでさえいた。まっすぐに伸ばした指先を震わせて、それでも眸を閉ざそうとはしないで。 「…けが、は、ない?」 「大丈夫だ、エルサは大丈夫だから。もう喋るな」  私の言葉に安心したのか、ゆるり、手と共にまぶたも下ろして。  私の耳にはただ、娘の叫びだけが残された。 (ああ、神よ、どうか夢だと言ってくれ)  2015.11.1
 ぷくりとふくれた頬に息を一つ。どこか拗ねた風なのに、理由を尋ねてもなんでもないの一点張り。そのくせ放っておくと、そのうち服を引っ張ってきて、振り向けばまた、子供みたいな表情。  手がかかると思いつつもやっぱり、かわいさにゆるんでいく頬は止められなかった。 (トリセツアナちゃんはかわいいってお話)  2016.1.1
「甘えてくれたっていいじゃないですか、たまには」  随分と恨みがましい口調になってしまった。彼女がまたたくのも無理はない。それでも口にしてしまったからには後には引けなくて。  おずおずと腕を広げて。アイスブルーを歪めた彼女が飛び込んできた。 (うみえり)  2016.1.1
 煙に顔をしかめるのはいつものこと。止めた方がいいと再三口を酸っぱくしているのに、彼女は苦く笑うばかり。  今だってそう、風下の彼女はふと視線を向けてきて。 「ごめんね」  許さないはず、ないのに。 (煙草が似合う彼女)  2016.1.1
 流し込まれた冷たい感覚に目の前がちかちかまたたく。  長い触れ合いの後、わずかに距離を置いた姉は艶やかに微笑んだ。 「お味はどうかしら」 (お酒初体験なアナちゃん)  2016.1.1
 華麗なステップに心が奪われる。音楽に合わせ手を鳴らすことも忘れた私はただ、生き生きと唄うように踊る妹を見つめていて。  ふと、手を取られる。 「ほら、一緒に!」  ダンスは苦手だって、いつも言っているのに。 (それでもあなたと一緒ならなんだって、)  2016.1.1
 不安が伝わってしまったのだろうか、ふと、触れた指を握り締められる。  昔と変わらない、屈託のない眸は心をやわらげてくれるには十分だった。 「あなたには笑顔が似合うわ、アナ」 (エルサの隣なら、あたしはいつだって笑っていられるの)  2016.1.1
 どうして私が組み敷かれているのか、尋ねたところで答えはもたらされないのだろう。  人でないからかは分からないけれど、無駄に腕力の強い彼女に抵抗するのも馬鹿らしくて。 「今夜は随分と大人しいのですね、ハーデスさん」  それでも挑発的な言葉が癪に障って、真っ赤なくちびるに噛み付いた。 (炎さんと鈴ちゃん)  2016.1.1
 ターゲット捕捉。白いそれに湧き上がる心を抑え、そろり、手を伸ばして。 「アナ? なにをしているのかしら?」  ふいに忍び寄った声は冷たさしか含んでいなかった。凍っていく足下に、ゆっくりと振り返って、 「おしおきが必要かしら?」 (ああ、今日も下着ゲットに失敗しちゃった)  2016.1.1
 名字でなく名前で呼ぶのも、ふたりきりで遊ぶのも、お酒を飲む時だって、わたしとばかり。  尋ねてみたのは好奇心から。どうしてわたしなのかと。  当たり前だとばかり笑ったのは彼女の方。 「あなたの隣が一番落ち着くの!」  勘違いしない方がおかしいわ。 (片想い)  2016.1.1