「テレーズ?」  ふて腐れていると思われたくなくてそっぽを向き。これじゃあ逆効果だと背中を向けてしまってから気付く。  折角の休日に仕事を入れたキャロルにももちろん腹を立てているのだけれど、そんなことで子供みたいに毛布に潜り込んでいる自分に一番苛立つ。  そんなわたしを叱ることもせず、頭をやさしく叩かれる。 「帰ったらたくさんあいしてあげるから」  わたしは、彼女に甘やかされてばかり。 (Treasure)  2016.11.14
 ああ、心拍数が振り切れそう。  せめて表情に出ませんようにと、普段通りの余裕を含ませて微笑んでみるのに、それさえも見透かされていそうで。  こんなの絶対私らしくない。そうは思うけれど、はやる心が止められるはずもなくて。  息を一つ。この次に繰り出す言葉もきっと、予想されているのだろうけれど。 「──私、」  やっぱり、あなたじゃなきゃ、 (君じゃなきゃダメみたい)  2016.11.14
 諦めないと誓ったのだ、彼女に。守ると約束したのだ、彼女と。  助け起こそうと近付いてくる先輩を手で制し、立ち上がる。  誰よりも強く、そして誰よりも弱い彼女の前に立つのはいつだって、わたしでありたいから。 「美鶴先輩は、傷付けさせない、から」  彼女を守るのはいつだって、わたしでありたいから。 (KARATE)  2016.11.14
 やけに寒いと思ったら、気付けばちらちらと雪が舞い降りてきていた。 「きれいだね、雪」  今日は電車が遅れそうだ、なんて気分が沈んでいた私に、目をきらきら輝かせた彼女が頬を真っ赤に染めてそんなことを言う。  たったそれだけで、雪をきれいだと思えてしまう私はなんて単純なのか。 「きれいですね、雪」  どうか私も、同じ景色が見れたらと。 (最後の私)  2016.11.14
 ピアノの音色に耳を傾けている時の表情が、私は一番好き。 「―…やっぱり、真姫の音はとても澄んでいて、きれいだわ」  それまで隠れていた海色の眸が現れ、つ、と。笑みのかたちに細められる。  あと何回、この距離で、この色を見つめることができるのか。それを考えると、堪えているはずの雫が流れてしまいそうで。 「…明日も、聴いてくれていいのよ」  卒業式まであと、数日。 (incl.)  2016.11.14
 たとえばいつからかと尋ねられたら、あなたとはじめて目が合った瞬間からだと答え。たとえばなぜと問われれば、あなただからと微笑んで。  明確な理由なんていらない、だって私にはわかるから。世界中の誰でもなくただ、あなただけなのだと。 「──はじめまして、」  あなたが私の運命だ、って。 (MoonRise Romance)  2016.11.14
 アラベスク、それからターン。  これでどうかしらとばかり振り向けば、件のその人はただ呆然とわたしを見つめているだけ。きっとここまで上達しているとは思わなかったのね。  ふふん、と。誇らしくて小さく胸を張る。  始まりは三ヶ月前。どうしてもダンスが上手に踊れないわたしに、不器用な君もかわいいな、だなんて微笑まれて。それがどうにも悔しくて、見返してやろうと始めたのがバレエだった。バレエはダンスの基礎ともなるから、これを習得すれば自然とダンスも上達するだろうと思って。  わたしだってやれば出来るのよ、そんな想いもこめて見つめてみるのに、彼は動かないまま。  ようやく我に返ったかと思えば、傍らに控えていた侍女を呼びつけ耳打ちし、そうしてすぐ、なぜだか宮廷画家が現れ画材を取り出した。 「あ、イデュナ、ちょっとポーズを取っていてくれ」 「どうして」 「バレエだって踊れてしまうかわいい君を残しておきたいからだよ」  満面の笑み、だった。それはもう嬉しそうに。  納得がいくはずもないけれど、それでも律儀にポーズを取ってしまうのだった。 (なにをしたって喜んじゃうんだから本当、わからない人)  2016.11.17
 仕方なかったんだ、だってかわいいから。 「いい加減機嫌を直してはくれないか」 「拒否します」  その断り方のなんとかわいらしいこと。と、そんなことを口走ってしまえば余計拗ねてしまうだろうから、慌てて言葉を呑み込む。  私としては、どんな彼女だってかわいく愛らしくいとおしいのだから、その全てを愛しているという意味もこめているのだが。 「…だって。なんだか子供扱いされているみたいで、いや、です」  シーツから顔を覗かせ、涙さえ浮かべてしまっている。  泣き腫らしたその目尻に、頬に、最後にくちびるに、少し深めの口づけを。 「子供相手にこんなこと、すると思うかい?」  ぱちくり、またたきを一つ。  やがてじわじわと意味を理解した妻が、真っ赤に染まった頬を隠し首を横に振った。 (さて、大人の時間だよ)  2016.11.17
 おやすみのキスさえなかった。 「もう寝よう、イデュナ」  そう言って向けられた背中がひどく遠く感じる。隣にあるはずなのに、すぐ目の前にいるはずなのに、指先一つ伸ばせなくて。  求められなくなったのは一体いつからだろう。それまで毎夜のように肌を重ねていたのに、ここ二週間、ベッドでは視線さえ合わせてくれない。早く寝なさいとそればかり。  もう随分と長い季節を彼と過ごしてきたから、いわゆる倦怠期が訪れたというのなら納得もつくけれど。  もし、もしも、わたしに飽きてしまっていたら。もう顔も見たくないほどであったら。 「イデュナ…?って、あ、な、なぜ泣いて、」 「だ、って、」  ぽろぽろ、ぽろぽろ。子供みたいに流れる涙が止まらない。ようやく振り向いてくれたアグナルの表情さえ隠れてしまう。怒っているのか、困っているのか、それさえも。  もし、わたしのことを嫌いになってしまったのなら、はっきり伝えてください。  なんとかそう告げれば、少し映り始めた視界で、眉が困ったように下がっていった。 「すまない。知らず、君を不安にさせていたとは」  抱き留められたのはたぶん、久しぶりだった。密着した身体からは、やわらかな夫の声が響いてくる。  曰く、最近体調が思わしくないわたしを気遣っていたのだと。曰く、触れてしまえば歯止めが利かなくなってしまうからと。 「君を嫌いになることなど、あるわけがないだろう」  荒い口調にまた、世界がにじんでいく、今度は嬉しさから。  こみ上げるそれは言葉にならず、代わりに寄せたくちびるにすべてをこめる。どうやら通じたみたいで、微笑んだ彼から口づけをもう一つ。 「これ以上は止まれないが、大丈夫か?」 「大丈夫、だいじょうぶだから」  あなたをちょうだい。  囁いた言葉は、あふれんばかりの愛にかき消された。 (まあ妊娠してただけなんですけどね)  2016.12.12
 もし、私がもっと妹を気にかけていたのなら。もしも、もっと早く伸ばされていた腕に気付けていたのなら。  存在するはずのないIFを描いたって仕方がないけれど、それでも存在しえたはずのもしもを願わずにはいられない。  もしも、もしも、もしも。 「あら、喜んではくれないのね、お姉様」 「…当たり前じゃない、どうしてこんな、」 「わたしはね、あいしてあげるの、この子を」  もしも、ただ一度でも抱きしめてあげていたのなら。 「誰よりも上位な存在になるであろうこの子を、──あなたにあいされなかった分、うんと、愛を注ぐの」  もしも、この抑え付けていた愛を伝えていたのなら。或いは違う結末を迎えていたのかもしれない。最良とはならずとも、愛に飢えた彼女を満たしてあげるくらいは、きっと。  妹は高く笑う、狂った眸を細めて。 (ああどうか、この夜の終わりを、妹に救いを)  2016.12.14