「おかしなこと言ってもいいかな」
「嫌よ」
あんまりにも真面目な表情で切り出すものだから思わずそう返してしまっていた。
途端、ショックを受けたみたいに肩を落としてしまう。だってそんな真剣な顔をしているのに、おかしな話なわけ、ないのだもの。
居住まいを正した夫は、こほんと咳払い、改めてわたしと向き合って、
「ここ最近の君のかわいさがおかしい」
「………はい?」
(あなたの方がおかしいわよ)
2016.12.30
「はい、」
手渡されたものと、手渡してくれた人とのギャップがありすぎて思わず交互に見つめてしまう。
だって姉さんは普段、これを必要としていないから。
「ほら、寒いでしょ、早く」
促されるまま着用すれば、気温とは真逆な熱があたしの手を包み込んでくれた。
きっとあたしの為にあたためてくれていたのだと、そう思うだけで、じんわりと胸にぬくもりが広がって。
「ありがとう、エルサ」
(なによりもあたたかい、あなたの心)
2016.12.30
「ねえ、」
会話の途中で突然、彼女が首を傾げる。それに合わせてわたしも顔を傾けてみた。
「あなたって、私が話す時いつも背、屈めるわよね」
どうして、なんて。繰り出された当然の質問に微笑みで返す。
だって彼女の声を一番近くで聞いていたいから。一言だって聞き洩らしたくはないから。
あ、と。声を上げた彼女の口元に耳を寄せて。
告げられた想いに、ぼ、と音を立てて朱に染まった。
(好きだよ、なんて)
2016.12.30
『おはよう。今朝はなに食べたのかな』
ロック画面に表示された文章に、ゆるんでいく頬を止められない。
元々会話を続けたがる人ではなかった。だから昨夜も眠りにつく前に『おやすみ』とだけ返して。
期待していなかったわけではない。けれどやっぱり、弾む心は抑えられなくて。まだこの人と、繋がっていたくて。
『おはようございます。今日は寒いから、トーストとコーンスープです。あなたは凍えていませんか』
(ほのかな恋心を指先に乗せて)
2016.12.30
「君はまだ、愚かにも“人間”だと言い張っているのかい?」
もう一度だけ。送還する前に牢屋を訪れると、嘲りに似た言葉が耳に刺さる。
「いい加減、“化物”であることを認めたらどうだい」
人ならざる力を持った君は、どうしたって“人間”にはなれないのだから。
最後まで聞かずとも、彼が言わんとしていることは分かっていた。指摘されずとも、とっくに自覚していたから。
「──あなたもね、ハンス」
(あなただって、とっくに)
2016.12.30
「え。なんで」
何故、と問われても、実に単純な答えしかなくて。けれど正直に言ったところで、意地の悪い妹のことだ、にやりと口元を歪め散々からかってくるに違いない。
口を割らない私の顔を、どこか馬鹿にした表情で窺ってくる。
どちらにしても、結果は同じようだった。少しでもこの妹にお願いしてみようと考えた数分前の自分を恨んでやりたい。
「はあ…、もういいわよ、」
「ヨセフカ」
そうして焦らす妹はやっぱり、憎たらしくて。
(名前を呼んでほしい、なんて)
2016.12.30
「どうしたの、テレーズ」
名前を呼ばれるまで、意識がこの雪と一緒に舞い落ちていた。
この季節になると、彼女と出逢ったその日を思い出す。すっかり甘いものとなった過去を辿った後は、先の見えないこれから。
果たして次の冬、こうして隣に並んでいられるのか。一体いつまで、傍にいてもいいのか。
“さようなら”を口にする日がこわくて、震えてばかり。
「My angel,」
だってわたしは、彼女の言う天使ではないから。
(Silent Eve.)
2016.12.30
「…もう。やっぱり寝ちゃうのね」
いくら不満を洩らしてみたって、件のその人はすやすやと夢の世界の住人のまま。いっそ揺り起こしてしまおうか、なんて悪戯心が芽生えないでもないけど。それでもやっぱり、子供みたいなその心を壊したくないという気持ちの方が強くて。
眸を閉ざしてしまう前、楽しそうに吊るしていた大きな靴下にプレゼントを詰める。中身は姉さんの大好きなチョコレート。
目覚めて一番、確認して綻ぶ表情を思い浮かべると自然、あたしの頬までやわらかくなってしまうから不思議。
それだけ想っているというわけで。
「―…Merry Christmas、エルサ」
月が顔を出していた間中、触れていたくちびるを姉さんのそこへ。
アナ、と、呼ばれた気がした。
(どうかどうか、あなたのサンタクロースになれますように)
2016.12.30
閃光。遅れて音が、鼓膜の深くまで響いて、消えて。
次々と打ち上げられる華たちの合間に、城下の人々の声が洩れ聞こえてくる。日付も変わろうとしているのに陽気なそれは、もう元の祝いが何であるかも分からないほどの盛り上がりをみせていた。
それでよかった。国民の皆が明るく楽しく過ごせているのなら、それでいい。
「アグナル、」
そ、と。名とともに手が触れてくる。はじめは指先でおずおずと、それから手のひらが、最後にやわらかく指を絡めて。
熱を覚えたままのか細いそれをやさしく握り返す。
花火がまた一つ。
「…これから先、私たちが予想できないような、様々なことが起こるかもしれない」
隣から見上げてくる気配に、けれどまだ、視線は前に向けたまま。
光が強烈に、網膜に色を残していく。
「ひどく悲しませるかもしれない、怒らせてしまうかもしれない。私はどうにも、言葉にするのが苦手なようだから」
それは以前、彼女に指摘されたこと。あなたは口がお上手ではないんですねと。君の前だとどうにも緊張して舌がうまく回らなんだ、とは、言えずにいるけれど。
火花が散っていく、祭りの終わりを暗示するかのように。けれどこの日々はまだ、始まったばかりで。ここから一歩、踏み出していくのだ、私と、彼女で。
「それでも、隣にいてくれるだろうか。共に歩んでくれるだろうか」
「…その誓いはもう、済ませたはずですよ」
引っ張る手に促され視線を向ければ、目尻に雫を浮かべた彼女が微笑んで。
夜空の華が、彼女の横顔を照らす、明るく、美しく。
「──いついつまでも、なにがあろうと、あなたの隣にいさせて、アグナル」
そうしてつと背を伸ばした彼女のくちびるが掠めていく。子供のような触れ合いに満足できず、踵を下ろそうとする彼女の腰を抱き口づけた。
火花はまだ、打ち上げられている。
(私と君が、歩き始めた日)
2017.3.10
つと、噛み締めすぎたくちびるから真っ赤な血がにじんでいく。人の血はもっと黒く汚れているものだとばかり思っていたのだけれど。それとも彼女の清廉な血液だけがそうなのだろうか。
どちらでも、私には関係のないこと。ただ甘美であればそれでいい。
流れ落ちていく血に自身のくちびるを触れさせて、辿って、彼女のそれにも口づけを一つ。
何者の侵入も許すまいと固く閉ざしている様の、なんてかわいらしいこと。きっと誰も受け入れたことがないのだろう、そう思うと無性に奪ってしまいたくなる、くちびるも、肌のぬくもりも、血でさえも。彼女のすべてを、私のものにしてしまいたくなる。
閉ざされた両足を無理に開けば、びくりと、大仰に震えが走る。不慣れなその姿が、人の欲に身を落としすぎた私には酷く新鮮に映った。
──この姿をもう少し留めていられたなら。
それはちょっとした願い。純潔を貫き通していた彼女にもう少しだけ、清いままでいてほしくて。奪うのも留めるのも私自身の気紛れで左右できるのだと、そんな優越にも似た感情を味わいたいというのも真実で。
くちびるを寄せ、彼女の内腿をきつく、きつく吸う。閉じようと力のこもる足を押さえつけ、歯を立てた。
そうして距離を空ければ、真っ赤に咲いた華が一つ。血みたいに、赤く、あかく。
どうか私以外の人間がこの場所に触れることがないようにと、指でなぞって。
「──誰にも見せちゃだめよ?」
(ああ、その憎しみのこもった眸さえいとおしいのよ、私)
2017.3.14