やはりこの人は、私が、私たちが憧れた女優なのだと、ふと、思って。
「ありがとう、サラ」
投げかけられたウインクに、かき上げた髪に、視線も心もすべて奪われて。
「あいしてるわよ」
けれどさらりと続けられた言葉に思わず悪戯心が湧き上がる。
別れのハグをしてきた彼女の耳元に口を寄せ、に、と口角を引く。
「つまり。あいしてるって伝えればいいのね、愛しのあの子に」
揺れる肩を、見逃しはしなかった。
(大女優の皮を剥がすのはこんなにも簡単)
2017.5.15
奪い去ったくちびるは、ひどく冷たかった。
拒絶されないことはわかっていた、だって姉さんはやさしいから。あたしのどんな行為だって許してしまうくらい、やさしすぎるから。
「…アナ?」
首を傾げて、困ったように眉をひそめて。あたしが口づけた意味を、こめた想いを、きっとまるでわかっていないような表情で。
どうすれば伝わるんだろう、一体どうすれば、分かってもらえるんだろう。大きくなりすぎて抱えきれなくなったこの、心を。
届け方を知らないあたしはただ、もう一度、その冷え切ったくちびるを求めた。
(すきになってよ、あたしを)
2017.5.15
大丈夫、だって覚悟はできていた。
「姉さんなら大丈夫よ、絶対」
そう繰り返す妹の声に、いつもの溌剌さは窺えない。ひどく苦しそうに息が洩れて、伸ばされた手には皺が寄っていて。
大丈夫、目を閉じればまだ、元気に駆けていたころのあなたを思い出せるから。
「私は大丈夫よ、アナ」
なによりも自身に言い聞かせる。
大丈夫だと、すっかり老いた手を握りしめれば、懐かしい眸が笑みのかたちに細められる。
「──やっぱり。あたしの言った通りね」
そうして力の抜けていく手を抱きしめていた、いつまでも、いつまでも。
(不老不死エルサのお話)
2017.5.15
思えばわたしはいつも、あなたの背中を追いかけている気がします。風に任せた金髪に、意外と華奢な肩に、いつだって焦がれている気がするんです。
キャロル、と。そっとくちびるに乗せた音が風にさらわれて、あなたの元に届けばいいのに。
そんな願いが聞き遂げられたのか、ふ、と。気紛れに振り返ったあなたが、佇むわたしを見とめて、微笑んで。
「なあに、テレーズ」
(いつだって、何度だって、わたしはあなたに恋をする)
2017.5.15
「本当に私のこと思い出せないの?」
念入りに尋ねてみても、申し訳なさそうに眉をひそめた彼女はごめんなさいと繰り返すばかり。どうやら演技でもなんでもなく正真正銘、記憶をなくしてしまっているらしい。
「あの、大丈夫ですか?」
頭を抱える私を、無垢な眸が覗き込んでくる。
思えば彼女が、殺意などまるでこもっていない眸に私をとかし込むのは初めてかもしれない、なんて。それをどこかで喜んでいる私がいるだなんて。
なんて愚かなのだろう、心というものは。
「あの。せめて、お名前だけでも」
「──ベルモットよ。覚えておきなさい、キュラソー」
(けれど私を忘れてしまっている彼女を許せなくて)
2017.5.15
音に色がつくのだと、彼女は言う。
「この曲はオレンジかなあ」
カフェ内に流れている曲に耳を澄ませながら、なんだかあったかいから、だなんて。
色の見えないわたしには、一体どんな基準があるのかわからないけれど。
「じゃあ、わたしの声は?」
「んー、」
少しだけ悩む素振りを見せた彼女はけれど朗らかに笑う。
「空色、かな!」
明るいあなたこそ、空そのものなのだと。
(共感覚を持つ人のお話)
2017.5.15
「あなたはまるで、ファインダー越しに恋をしているみたいね」
振り返った彼女は、いままで撮ったどんな表情よりも悲しく微笑んでいた。
カメラを離しても、表情は変わらないまま。
「カメラの中のわたしと、いまあなたの目の前にいるわたし。一体どちらをあいしてくれているのかしら」
そんなの決まっているのに。どのあなたでも、あなたはわたしのあいしたあなたでしかないのに。
けれどそれを伝えられる言葉を持たないわたしはただ、彼女にもらったカメラを覗き込んだ。
(あいしたからこそ、残していたいのに)
2017.5.15
「わたしにはきっと、芯がないんだと思う」
ペンを放り投げ、椅子の背に身を預けて。息をつくみたいにそう口にした友達がいました。
「だからわたしの絵には訴えかけられるものがないの、なにも」
散らばった紙たちを眺め、ついには眸まで閉ざして。たくさんの絵を、世界を生み出す彼女は、そんなことを言うのです。
「そうかなあ」
首を傾げたわたしに、彼女がふと、眸を開けて。
「わたしは好きだけど。あなたの絵。それじゃだめかな」
(だってあなたの絵は、眸は、こんなにも、まぶしく輝いているから)
2017.5.15
今日も少女は木の枝に寝そべっていた。見上げる空は相も変わらず真っ青。まるで早く仕事をこなせと急かしているように。
「まだ咲かないのね、この桜」
「うるさいわね! まだよ、まだ!」
通行人でさえそんな言葉を投げてきたものだから、声が届かないと分かっていながら思わず反論し、地面を見下ろして。
──まるで焦がれるような眸だった。
ともすれば泣き出しそうな女性に一瞬目を奪われ、ふん、と息を一つ。桜色のベレー帽を被り直した少女は立てた人差し指を振る。
途端、ぱあ、と。眼下一面に春色が咲いた。
まばゆいばかりの色たちに女性の眸が驚きと、それから喜びを灯して。
「…特別大サービスよ。ありがたく受け取りなさい」
(少女は春を運ぶ妖精)
2017.5.16
肌がまぶしい季節になってきた。
「腕だけに筋肉ついてもなぁ…」
ぼやく彼女のまっさらな素肌が網膜に映り込む、鮮明に。
そのたびまたたきを増やす私に、果たして彼女は気付いているのか。無防備に晒しているその姿が気付いているとは思えないけれど。
「そろそろマッチョポーズの時期ね…」
そっと呟いた私の言葉に途端、目を輝かせた彼女はポーズを決める。視線が合って、ふたりして笑い合って。
どんな季節でも、あなたは変わらなくて。
(どんなあなたでもいとおしくて、)
2017.5.16