ママが張り切るといつもこうだ。 「…にしたってこれ、派手すぎない?」 「華やかでいいんじゃないかしら」  若干引いている私とは反対に、両手を合わせたモーラはどこか嬉しささえにじませそれを見上げている。曰く、家族で盛大に祝うイブははじめてだからと。喜びを露わにそんなことを言われてしまえばそれ以上、水を差せるわけもなくて。家族だと、モーラの方からそう言ってくれたことが嬉しくて。  いい歳した大人しかいないというのに豪勢に飾りつけられたツリーを見上げ、ため息をひとつ。  あとはこれね、と。真っ赤な靴下を枝につりさげたモーラは、これで完成とばかり振り向いた。 「サンタになにかおねだりでも?」 「ジェーンをもらえますようにって」 「おかしいでしょ、それ」 「そうね、あなたが入るには小さすぎるわね」 「そういうことじゃなくて」  くすくす、まるでプレゼントを心待ちにする子供みたいな笑みを前に、全部がどうでもよくなってただ、微笑みを返した。モーラが楽しければそれでいいか、と。 (靴下に入ってあげるつもりはないけど)  2017.12.11
「あら、雪化粧」  くすくす。わたしを見とめたキャロルが楽しそうに声を上げる。示されるまま鼻の頭に触れてみれば、冷たさがとけて、指に染みこんでいって。  どうやら帰宅するよりも先に降りはじめてしまったみたいだ。夜空を仰いだ頬に、額に、やわらかな雪が触れてはかたちをなくしていく。  まっしろなその姿が、過ぎ行く車のヘッドライトに照らされ露わになる。またたくごとにその数を増やしていく雪たちはきっと、明日の朝には街を塗りかえていることだろう。  ふるり、身体を震わせる。わたしとは反対に寒さに強いキャロルは、雪をよく見ようとでもするみたいに眸を細めていた。その様子が、雰囲気が。まるで地上に降り立った女神のようにも見えて。ともすれば雪と一緒にとけてどこかへ消えてしまいそうで。 「なあに、テレーズ。やけに熱い視線だけれど」  わたしをとかすつもりかしら、だなんて。冗談めかしてウインクをひとつ。心の内を見透かしたみたいなその言葉にぼやけていく眸を隠したくて、ただ彼女の手を、握りしめた。  今日はやけに甘えんぼうね、と。たしかなぬくもりを返してくれた彼女はひっそり、笑った。 (まるで子供のようだと、あなたは笑うだろうけど)  2017.12.11
「ねえモーラ、寒いんだけど」 「我慢して。わたしだって寒いんだから」  わたしから毛布を奪い取ろうとする手をはねのけ、ぐるりときつく身体に巻きつける。電気代の節約とかなんとかで暖房を切っているみたいだけど、なにもこんな真冬に実行しなくてもいいのに。むしろ寒さに眠れず寝不足を抱える方が問題であるというのに、ジェーンはわかってくれない。  毛布の端をとらえた彼女がもぞもぞと入りこみ、やがて隣から顔を覗かせる。密着した腕から足から、わたしより随分と高い体温が伝わってくる。寒いなんて言いながら充分、あたたまっているじゃないの。 「モーラってばつめたすぎ」 「ならくっつかなければいいじゃない」 「くっついてきてるのはあんたじゃない」  まるで子供みたいな言い合いをしながらも、仲良く一枚の毛布を分け合っている状況がなんだかおかしくてふと、笑みがのぼってくる。なに笑ってんのよ、なんて返すジェーンの口元もどことなく綻んでいて。  いままでこうしてあたため会える相手がいなかったから、いまがすごく、うれしいの、と。そんなこと、口にしなくても伝わっているような気が、した。 (でもやっぱりジェーンの家はさむいわね) (文句あるなら帰ったら?) (いじわる)  2017.12.11
 ぞうきん絞りが厳しい季節だ。  冬がきらい、ってわけではもちろんない。一夜にして銀世界に塗り替えられた景色を見つめるのが、毎朝の楽しみだから。きんと冷えた空気で肺を満たして、移りゆく季節を全身で感じる。それがわたしの、ひそやかな趣味。  だけれど掃除に関しては別だ。井戸から汲んできたバケツいっぱいの水に極力、指先が浸からないよう注意して。それでも絞るときにはどうしても、凍る寸前まで冷えたぞうきんを握らなくちゃいけなくて。 「みすぼらしい手ね」  わたしを見下ろしたマダムが、聞こえよがしに吐き捨てる。あかぎれがそこここに見えるわたしの手はたしかに、お世辞にもきれいとは言いがたかった。 「掃除が遅れているんじゃなくて?」 「すみません、手がかじかんでいて」  口答えは許されないとわかっていながらもつい、返してしまっていた。暖炉の前でぬくぬくと過ごしているあなたにはわからないでしょうけど、なんて続きはさすがに呑みこんで。  はあ、と。呆れを含んだため息がひとつ。てっきり嫌味をふんだんにまぶしたお叱りを受けるかと思ったけれど、小言が飛んでくることはなく、す、と。どうしてだか目の前にかがみこんだ彼女が、震えるわたしの手を乱暴に包みこんだ。  雑な触れ方とは裏腹にやわらかく、ぬくもりが染み渡っていく、じんわり、芯からあたためてくれるようで。  彼女からわたしに触れることなんて、ただの一度きりしかなかったというのに一体どうして。表情をたしかめようにも、顔を上げたときにはすでに手は離れ、何事もなかったみたいに立ち上がってしまっていた。 「あ、あの、マダム、」 「これで言い訳もできないでしょう?」  そうしてさっさと歩き去ってしまった彼女の背をただ見送って。自身の手を握って、ひらいて。移ったぬくもりはたしかに、現実のもので。  あの人の指は意外とあたたかいんだなと、思ったのはそんなこと。 (けれどどうして触れたのか、その真意はわからなくて)  2017.12.11
 あるいは胸いっぱいのこの願いが叶いはしないかと。 「わ、あ…っ」  感嘆を洩らしたのはわたしか、それとも隣で同じく空を見上げるその人か。音は夜に吸いこまれ、そのどちらとも判別つかなくなる。  今夜は空が明るいですよと、陽気に告げるラジオを聞いたのはついさっき。聞けば数年に一度の流星群がt化付いているとのことで、わたしは部屋の電気を落とし、キャロルは窓を開け、そうしてふたりベランダに足を向けた。  肌を切る外気に身を震わせていたのも最初だけ。促されるまま仰いでみればもう、横切る光のつぶに彩られた空に、感覚のなにもかもが奪われていった。他の部屋の住人も考えることは同じようで、明かりを消し夜空に視線をとらわれているものだから、あたり一帯はいつにない漆黒に包まれていた。  きっと誰もがしているように、眸を閉ざし、祈りを捧げる。どうかこの日々が少しでも続きますように。想いを寄せる人の隣にいつまでもいられますようにと。  そうしてまぶたを開け、あなたはなにか願ったんですかと尋ねてみれば、ベランダの柵に身体を預けたその人は、願う必要なんかないわと、微笑んで。 「だってわたしの願いはぜんぶあなたが叶えてくれたもの」 (あるいはきっと、あなたの願いも)  2017.12.11
 まったく不愉快なことに最近、この部屋を訪れる機会が増えている。 「あなたが氷風呂ばかり入ってるからじゃないの?」 「勝手に人の語りを邪魔してこないで」  茶々を差しこんできたキャロルをしっしっと追い払う。ここわたしの家なんだけど、なんて小言は右から左、随分と短くなった煙草を灰皿に押しつけた。  そう、このキャロルとかいう女。私とデルフィーヌが引っ越す少し前から、隣室であるここで暮らしているという。お隣さんなんだし一応挨拶はすべきよ、などというデルフィーヌの言葉に仕方なく足を運んでみれば、キャロルと同棲しているテレーズという年若い子とデルフィーヌが意気投合、以来お互いの部屋を行き来しては交友を深めている。  いや、それに関してはいい。調査の結果、隣人は私たちとなんの接点もないただの一般人だったのだから。慣れない地で友人をつくるのに反対はしない。しないけれども。 「毎夜毎夜、お風呂を借りにうちへ来るのがさみしいのね」 「だから割りこんでこないでって言ってるの」  そう、この女の言葉に同意するのは癪だけど、その通りだから仕方がない。  季節が移り変わり、窓の外を雪がちらつくようになったいま、それでも変わらず氷で満たした風呂に入り続ける私についに、デルフィーヌが顔を青くして一言、わたしには無理、と。  なんなら別にお湯を張ってもいいのにと伝えてみても、わたしのためだけにロレーンの主義を曲げさせるわけにはいかないの一点張り。主義でもこだわりでもなんでもなくただ、傷を癒すためだけに入っているに過ぎないのだけれど。  これが、デルフィーヌが隣に風呂を借りるに至った経緯。 「あー、生き返った!」 「あったかかったね、お風呂」  ちょうどそのとき、仲良く浴室から出てきたデルフィーヌとテレーズが、和気あいあいと喋りながらリビングへと足を向けてきた。私を見つけたデルフィーヌが途端、頬をゆるめる。 「ロレーン、来てたのね!」 「ええ、今夜も、ね」 「うるさいわよキャロル、黙らせられたいの?」 「あら、あなたとキスなんてお断りよ」 「誰がくちびるでって言ったのよ」 「もう。ここで喧嘩しないでくださいよ」  食卓で火花を散らす私たちの間に割って入ったテレーズから、ボディソープの香りが立つ。最近お気に入りなのだと、デルフィーヌが言っていたものと同じだった。まったく面白くない。 「帰るわよ、デルフィーヌ」 「え、あっ、ちょっと、ロレーン」 「帰る前に一杯、いかがです?」  そんな彼女はもうキッチンに立ち、紅茶の用意をはじめている。この子、意外と諜報員の素質があるかもしれない、なんて思うのは心の中でだけ。仕方ないからと再び椅子に腰を下ろせば、デルフィーヌがにこにことどこか嬉しそうに私を見つめていた。 「もうすっかり仲良しだよね、ロレーンとキャロル」 「どこをどう見たらそう思うのよ」 「全体的に、かしらね。ね、デルフィーヌ?」  やっぱりこの女だけはいけすかない。差し出されたカップに口をつけながらついた悪態は、まろやかな紅茶にとけてほどけていった。 (それでも毎晩お茶して帰るんだから、もしかして本当は好きなんじゃないの?) (黙って、お願いだから)  2017.12.12
「くちびる、」 「え」  振り向いたと同時、やわらかな指先が触れて。それの持ち主が眉を寄せ、顔を近付けてきた。ともすれば香りが鼻を掠める距離に鼓動を高鳴らせるのはわたしばかり。キャロルはといえば、わたしのくちびるを左から右へなぞり、ねえ、と。 「わたしがあげたリップクリーム、使ってないでしょ」  指摘され、ばつの悪さに視線を逸らせば、やっぱりねと大して驚いたふうもなく返される。だってせっかくあなたにプレゼントしてもらったものだから、もったいなくて使えなかったんです、とは言えず。最近乾燥した暗室にこもりきりだったのも悪かったかもしれない。  舌でなぞればたしかにかさりと、自分でもわかるこの感触。 「…ごめんなさい」 「別に謝ることではないけれど。そうね、かさついたくちびるとはキスしたくないわ」  呆れたようにこぼされた言葉にちらと視線を戻す。キャロルのくちびるはいつだってみずみずしい。いまだって、リップクリームを重ねたばかりなんだろう、やわらかそうなくちびるがひとつ。  見つめているそれがふと一瞬、重なって。リップクリームの甘やかなにおいが残される。 「仕方ないから分けてあげるわ」 (やっぱりキス、してくれるんですね、なんて)  2017.12.12
 言葉ひとつであったまれちゃうんだから不思議。 「おかえり、デルフィーヌ」  珍しい声はリビングから。音に誘われ、靴を脱ぐのもそこそこに廊下を急げば、ソファで雑誌を広げたロレーンが煙草をくゆらせていた。顔を上げ、おかえり、ともう一度。いつもはわたしの方が先に帰宅するから、この言葉を耳にするのはきっと、はじめてのこと。  じんわり、胸を中心にぬくもりが広がっていく。凍えるようだったこれまでをぜんぶ忘れてしまうなんて感覚があったとは。誰かが自分の帰りを待ってくれていることが、いとおしい人の声を一番に聞けることがこんなにも、嬉しいなんて。  もう一歩、一歩と近付き、ぎゅうと抱きしめる。ロレーンの体温がやわらかく染みわたって、わたしを満たしていく。身体がロレーンでいっぱいになったところで、ロレーン、と。呼びかければふと、微笑む気配。 「──ただいま!」 (あなたがいるという、しあわせ)  2017.12.13
「………ええ、と」  居心地の悪い沈黙が、わたしとロレーンの間を支配している。声を発しているのは、目の前に据えられたテレビばかり。たしか男と女の、九週間半にわたる倒錯した愛をえがいた映画、だとかなんとか。  外は大雪。お出かけの予定をキャンセルせざるをえず、なら部屋で映画でも見ようと提案したのはわたし。あらすじに惹かれたわけでも、特別見たかったわけでもない。ただ、この主演女優がどことなく、ロレーンに似ていたから。  そんな単純な理由でいざ再生し、めいめい好きなお酒を片手に眺めているとそのうち、濃厚なベッドシーンに突入してしまった、というわけで。  画面内で繰り広げられるそれに耐えきれなくて思わず、視線を逸らす。どうしてロレーンは真顔で見つめていられるんだろう、恥ずかしくなったりはしないのか。 「デルフィーヌ、」  沈黙を割って、背中に声が降ってくる。触れられてもいないのに、声が落ちる先からびくり、震えていって。 「どうしたの」  ああ、面白がっているんだ、きっと。肩越しに伸びてきた指があごをとらえ、もしかして、と。見えた眸は笑んでいて。 「期待。してるのかしら、こういうことを」 (ぜんぶぜんぶ、わかってるくせに、そうやって)  2017.12.13
 視線の先を、知っていた。 「キャロル」 「…え、あっ、ごめんなさい、なにか言った?」  ふと。声に引かれたキャロルが振り向いて、だけどまたたきのうちにいつも通りを取り戻す。わたしの前では隠さなくてもいいのに、その微笑みの裏になにもかもを閉じこめて。  わたしたちの横を、手をつないだ親子が歩き去っていく。女の子の歳のころは五、六歳といったところだろうか、ちょうど、リンディと同じくらいの少女。クリスマスが近付いているからか、サンタクロースにお願いするものをあれこれと挙げ連ねて、母親はその願いを微笑ましく聞きとげていて。  今年も一緒に過ごせないのだと、つぶやいていたのは一週間前。夫―離婚が成立したから元夫だけど―のもとでクリスマスを迎えるのだと。わたしはあの子のサンタクロースにはなれないのね、と。悲しく浮かんだ微笑みがいまも、そこに。  親子の背中を目で追う、そんな彼女の手をひたり、取る。驚きを露わにこちらを向いた視線も気にせず、手をつないだまま自身のポケットに差しこんで、忍ばせていた箱を握らせる。中身は、彼女の指にきっとぴったりのリング。この人の悲しみがどうか少しでも癒えますようにと。 「わたしが。あなたのサンタクロースになりますから」 (だからどうか、ひとりで抱えてしまわないで)  2017.12.13