急いで口を覆ったのがまずかった、非常に。
「ロレーン…?」
動きを止めたデルフィーヌが顔を上げ、疑問の色をその眸に乗せまっすぐ見つめてくる。やめて、そんな眸で見つめないで、余計いたたまれなくなるじゃない。
ゆるりと視線を逸らしたものの、これも悪かった。視界の端で、デルフィーヌの表情がぱあと明るさを増す。今夜は後手に回ってばかりだ、一体なんて日なの。悪態をついてみても、この状況が好転してくれるはずもなくて。
「ね、ね、ロレーン、いまの、」
「忘れなさい」
「やーだ。せっかく聞けたのに、忘れるなんてもったいない」
なにがもったいないのよ、むしろきれいさっぱり忘れてくれた方が、私としてはありがたいのに──そんなことを口にするよりも早く、デルフィーヌがまた、そ、と。かすかな動きにさえ反応を示してしまう自分が情けない。こんな年下に。こんなこどもに。
味をしめたらしい彼女はそうして私の耳にくちびるを落とし、ふわり、笑う。
「もっときかせて、ロレーンの声」
絶対思い通りになってやるものかと、手で覆い隠す代わりに、くちびるを強引に奪い取った。
(その強がりがいつまでもってくれることやら)
2017.12.21
ふ、と。中途覚醒ではあるけど、不快な目覚めとは程遠かった。
ぼんやりとかすむ頭が、いまわたしが見上げている天井が果たしてどこのものであったか判断しかねている。眠る前の記憶をたぐり寄せ、ああそうだ、マダムと呼ぶべき人の寝室に足を向けていたんだ。
夜になると決まってすり寄ってくるさみしさに、どうしてだか昨夜は耐えられなくて。拒絶されるとわかっていながらそれでも彼女のぬくもりを求めて。
そうして──そうして、どうなったか。
そこでようやく、隣に首をめぐらせて。まず映ったのは豪奢な夜着。おずおず視線を上げれば、小さく寝息を立てる義母その人の表情がすぐ、間近に。
いっしょに寝ていいですか、と。たしかそう、尋ねた気がする。そもそも部屋に招き入れてもらえないと思っていたわたしのほとんど闇にとけたその願いを、だけど聞きとげた彼女はベッドに身体を横たえたままただ一言、あなたの好きにすればいいじゃない、と。耳にやさしくほどけていって。
まるで子供のようなあどけなささえ残し眠る彼女が、わたしをゆるく抱き留めてくれている、なんて。にわかには信じられない現実に、浮かぶのは微笑み。どこか、小さいころに別れた母のようなぬくもりがあるような気がして。
言葉を、ひとつ。きっと届いていないだろうそれを落として再び、彼女と同じ夢に沈んでいった。
(おやすみなさい、おかあさま)
2017.12.21
クリスマスプレゼントはわたしです、なんて。
「夢の中の君は言ってくれたのになあ…」
「なに寝ぼけたことを」
鏡台の前で髪をとかしている妻が呆れたようにため息をつく。ちらと視線を向ければ、鏡越しのイデュナは手を止めることなく私を見つめ、ばかですね、なんて。
夢の世界ではあんなに優しかったというのに。現実とのギャップに肩が落ちていくばかり。近頃の妻は少し、いやかなり、私に冷たいのではないだろうか。
「だって、」
先にひとりで寝てしまおうと毛布にもぐりこんだ私の隣にするりと滑りこんできた彼女はそうして耳元にくちびるを寄せる。
落とされたささやきに、やはりイデュナは優しいな、などと都合のよいことを。
(わたしはとうに、あなたのものですから)
2017.12.24
聖歌が耳に心地よい。
「あ、キャロル! おかえりなさい!」
わたしを見とめたテレーズが、スリッパの音を響かせ出迎えてくれた。彼女の背後のり便gうでは葉を茂らせたツリーがひとつ。もうほとんど飾り付けは終わっているようで、この時期によく見るそれへと姿を変えていた。
「もうすっかりクリスマスね」
「はい、足元まで」
促されるまま視線を下げれば、ツリーの根元には赤い包みがひとつ。わたしのために選んでくれたのかと思うとこみ上げる笑みを抑えられない。
「じゃあわたしもサンタクロースにならなくちゃね」
抱えていたプレゼントをそ、と。置いたのを見計らい、ぎゅ、と抱きついてくる。彼女がふとくちずさむ、街中に響いているその歌を。
「わたしのかわいいサンタさんは、なにをくれるのかしら」
ちゅ、と。喜びのうたを、呑みこんだ。
(Christmas Carol)
2017.12.24
あか、しろ、みどり。
この時期には定番の色たちが並んでいる。それを見つめるたくさんの人と、たくさんの表情と。どんな夜を送るのかは人それぞれで、だけどどんな想いで選んでいるかはきっと、みんな同じ。
だってわたしも、
「はやく帰るわよ」
「あ、まってロレーン!」
帰路につこうとする高い背に声をかけ、急いで支払いを済ませる。駆け寄った彼女の手には、さっき目にした色で彩られた包み紙。
面倒だなんて言いつつちゃんと選んでくれるんだから本当、素直じゃないな、なんて。
「ロレーン、」
「ん」
「大好きよ!」
「…ん、」
(小さな声で、私もよ、なんて)
2017.12.24
目の前に膝を折ったその人の、なんとふてぶてしいこと。
「いやです」
相手が誘いをかけてくるその前に拒絶を口にする。予想はしていたのか、私はまだなにも、なんてうそぶく彼の口元は憎たらしいほどの笑みで飾られていた。
「そんなにダンスがお嫌いで?」
「嫌いなのはダンスではなくあなたよ、アグナル」
「ひどい言われ様だ」
「傷ついてもいないくせに」
はっきりとした暴言を向けているというのに、表情ひとつ崩さないなんて。そんなところにも苛立ちが募る。
「わたしでなくても、手を取ってくれる女性はたくさんいるでしょう?」
「私は踊りたい女性の前にしか跪かない主義なんだ」
そんな甘言に、一体どれだけの女性が泣かされてきたのか。わたしはそんな簡単にだまされるものかと見つめ返すけれど、彼の眸はどこまでもまっすぐで。
「…一曲だけなら」
「充分ですとも」
途端に笑みを広げる顔が気に入らないけれど、一曲くらいは我慢してあげることにしよう。
(それでもようやく触れた手はあたたかくて、)
2017.12.26
もぞもぞ。足下からのぼってくるそれにまぶたを持ち上げる。
「あなた」
「………イデュナ?」
「他のだれに見えるんですか」
そうして眼前に現れた妻はむうとどこか呆れと少しの怒りをにじませる。私はといえば、まだ夢に片足を突っ込んだままの頭で現状を理解しようとまたたきを繰り返していた。
大体彼女の顔は寝起きに悪いのだ、だってかわいすぎる、などとまるで青臭い少年みたいな言いがかりばかりが浮かんでは言葉にすることなく消えていく。
「もう朝食の支度はとっくに終わってますよ、早く起きてください」
ずい、と。私の胸につと手を添えた彼女はそうしてさらに距離を詰めてくるものだから、私としてはまたたきの回数を増やすしかない。
彼女の叱責は右から左、ただ、どうしてこんなに天使もかくやと言わんばかりの姿をしているのかとそればかり。怒っていたってふくれていたって、かわいいものはかわいいのだ。
伝え終わったからか、ため息をひとつ、もと来た道をたどるようにもそもそと後退していく。だからなぜわざわざ足下から出ていくのか。
(せっかくだから腕のうちに捕まえておけばよかったな)
2017.12.31
最後に体調を崩したのはいつだったか。
「あ、こらっ、ちゃんと横になっててよ!」
「大丈夫よ、このくらい」
気丈に言い張り上体を起こすも、くらりと視界が揺れる。だから言ったじゃないと、呆れた調子のデルフィーヌの声が頭に響く。どうやら本格的に風邪を引いてしまったらしく、全身がだるくて仕方がない。普段なら酒をあおれば翌日には治っているものを、今回はそれがよくなかった。
毛布を引き上げてくれたデルフィーヌが、きんと冷やしたタオルを額に乗せてくる。
くす、と。ひそやかにこぼれる笑み。
「まったく、」
わたしがいないとだめね、なんて。
どこかうれしそうな彼女が見れるからいいか、そう一息、洩れた息はあつかった。
(そうね、わたしはもう、だめみたい、あなたがいないと)
2017.12.31
休日の朝はなかなか覚醒が訪れない。ぱちりぱちりとまたたいて、あくびを噛み殺すことなく浮かべて。
「おはよ、ジェーン」
身じろいだせいで目覚めたのだろうか、私を腕を胸に抱えて眠っていたモーラが、夢に帰っていこうとする眸をそのままに言葉をひとつ。
頭が働かないのは彼女も同じようで、普段の理知はなりを潜め、いまはただ、小さな女の子のように。
「おはよ、モーラ」
私を言葉を聞きとげるよりも先にまた、まぶたを閉ざしてしまう。まったく、一体どれだけ惰眠に沈むつもりなのよ、とは思うけれど、かくいう私もまぶたがつられはじめていた。
おやすみ、と。さっきくと正反対のあいさつを口にして。
どうして私の隣で当然のように眠っているのか、なんて無粋な疑問はまどろみにとかした。
(最初におはようと言えるしあわせ)
2017.12.31
「わあ…っ」
きらきら、なんて形容がぴったり当てはまるその眸に、私まで嬉しさがにじんでいく。ごちそうしているのは私の方だというのに、まるでお裾分けしてもらっているみたい。
まっしろなそれに恐る恐るフォークを刺し入れた仁奈ちゃんはそうしてぐい、と伸ばす。
「これ、なんて名前でごぜーますか!」
「雪見だいふく、っていうのよ」
「ゆきみだいふく!」
すげーです、なんて歓喜の声が満ちてゆく。少女がはじめてに触れる瞬間に立ち会えるなんて、なんてしあわせなことだろうと。
「ありがとうですよ、みゆおねーさん!」
(仁奈ちゃんのしあわせそうな表情を見ることが、私の小さなたのしみ)
2017.12.31