だってこの子がわらっていたから、
「明日もたのしみね、カルロッタ!」
手を、伸ばそうとしていた。だってもうすぐ終わってしまうから、なんて子供みたいな理由をつけて。この奇跡みたいな春が明けてしまうその前に、ただの一度でいいからふれたいと。
くるり、ふいに振り返ったその表情には、想像した寂寥はどこにも見えなくて。追いかけた背中はあんなに沈んでいたのに、彼女のまとう太陽みたいな衣装が景色にとけていくようにも思えたのに、そのすべてが錯覚だったのかと疑うほど。
「あした、」
「そうよ、明日!」
行き場をなくした指を、気付かれないうちにそっと握りこむ。
「明日はどんなショーになるのかしら!」
この子は明日を心待ちにしている。いまこの瞬間に留まっていたいのだと泣き喚く私と違って、未来を望んでいる、きっと春を越えたその先の季節さえも。爛漫と咲き誇る春をこよなく愛する彼女はけれどどの季節でだって変わらず生きることができるのだろう、だって彼女が春みたいにまぶしいのだから。春そのものみたいに輝いているのだから。だから私も、わらっていなくちゃ、せいいっぱい。
「─…素敵な明日になるはずよ、きっと」
この子の笑顔を枯らしてしまわないよう、最後の最後まで。
(あと3日、)
2018.6.4
だってあなたがわらっていたから、
「明日も晴れそうね」
夕闇の支配する空を仰いだカルロッタがひそやかに落とす、ともすれば嬉しささえにじませて。その声に押し留められたように感じてふと、彼女の背中に伸ばしていた手を引き戻す。
倣って視線を持ち上げてみれば、夕陽色のなかにぽっかり浮かぶ入道雲がひとつ。夏の雲、だ。それは、もうすぐそこまで迫った春の終わりを予感させるには充分で。
ふいに、なきたくなった、だって私はまだこの季節に留まっていたいから、春をもっと生きていたいから、なによりもいとおしい人のいる春から進みたくはなかったから。季節が移り代わろうと彼女が向けてくれる想いは変わらない、そんなことわかってる、わかってるけど、それでも私はこの最高にしあわせな季節から抜け出したくなくて。だいすきな色のあふれた世界を変えたくなくて。あなたが輝く春を、あなたに出逢えた春を、あなたに惹かれた春を、過去のものにしたくはなくて。
涙をこぼす代わりにだけどわらった、だって彼女もわらっていたから、春に残りたいと駄々をこねる私とは違いきっと足音を響かせる次の季節に期待を寄せているだろうから。
「─…まぶしいくらいに晴れるはずよ、きっと」
どうか、どうかふりむいてしまわないで、むりにつくったえがおにきづかないでいて、なんて、願うことしかできない私は、
(あと2日、)
2018.6.4
重なったのはこれがはじめてだった。いままでにも戯れに指をさらったり、整えるふりをしてその太陽にも似た髪の感触をひっそり確かめたりはしていた─もっとも最近はふとしたときに触れてしまわないよう気を付けていた─けれど。
重ねたというよりぶつかったと形容した方が正しいほどどこか性急に合わさったそれから香る血のにおい。強く噛みしめてでもいたのだろうか、けれどどうして。
「グローリア、あなた、」
「抱いて」
顔の向きを変えるためか距離が空いた一瞬に名前を音にしたものの疑問まで口にすることは許されずただ一言。痛いほどまっすぐな眸に射抜かれることに耐え切れず視線を逸らして、けれど両頬を包んだ手のひらが見逃してはくれなかった。私の足をまたぎ、膝立ちになって見下ろしてくる彼女がくちびるをぎり、と引き結ぶ、また、きずつけて。
離れなければならなかった、体温のないことを悟られてはいけなかった、だって私は彼女とはちがうから、同じ時を刻んではいないから。春とともにこの身体を手離さなければならない私が、ただの人である彼女と交わっていいはずがないのに。
水槽色の眸が張りつめる、それでもこぼれることはなくて。
「あなたを残してよ…っ」
──だってつらいでしょう、残す方も、残される方も。
(あと1日、)
2018.6.5
春が爛漫と咲き誇っていた。
ハーバーを見はるかすこのホテルでひたり、外界を遮るガラスに手を当て。
この場所で春を歌い続けてもう数えきれないほどの空が流れてきた。過ぎ去ってみれば早いもので今日は最終日。みんなと同じ春を謳歌するのもこれが、最後。
「そんな恰好で風邪ひいても知らないわよ」
ふわり、やわらかな声とともにぬくもりが降ってきた。
「あら、起こしちゃった?」
「ご機嫌な鼻唄が聞こえたものだから」
肩越しに回された腕を撫で、昨夜の残滓をたどる。ただひとつ気がかりなのは果たして体温のない身体に気付いただろうかと。どうか知らないふりをしていて、あなたの視線ひとつ指先ひとつに反応する熱だけを感じていてと、願うばかりで。
ずるいと思われたっていい、だって私はふれたかったから。春にとけていく身でありながらそれでも彼女の温度に包まれたかったから。わがままをどうかゆるしてと祈りながらただ必死に私を刻みつけて、私の中にも彼女を残して。
「ほらカルロッタ、そろそろ支度しなくちゃ」
くるりと振り返れば、深い夜を思わせる眸が焼きつけるみたいにまたたきをひとつ。こうして私だけをとかすのもきっと、最後。なら、とっておきの笑顔を浮かべてあげないと。
「──新しい春をいっしょに、ね!」
(A different spring, brand new day!!)
2018.6.6
春が爛漫と咲き誇っている。
橙、緑、青、それから紫。とりどりの色の中心に立つと殊更、生を実感する。私はたしかにここにいるんだと──たしかな春を生きているのだと、そう。たったひとときの儚い夢なのかもしれない、あまりに短いきらめきなのかもしれない、だけど私はいまこのときをせいいっぱい駆けてきた、めいっぱい息づいてきた、それでよかった、自身の誇るアートとモデルと友人たちといっしょに生きたのだから、これ以上のしあわせが一体どこにあるというのだろう、これ以上の奇跡が一体どこで起きるというのだろう。
ふ、と空を仰ぐ。どこまでも高く澄んでいるそれは、自身の眸よりもまだ、色濃く。ひとつ、ふたつ、またたいて。大丈夫、まぶたの裏にはもう刻みついている。たとえここに再び踵を下ろす日が来なくともこの目が、呼吸が、全身が、覚えている。
春をうたうのはこれで最後、だけど私の祈りは永遠に。どうか、どうかこの先も、しあわせにあふれた季節が続きますようにと。
正面に視線を据え、宣言するは最高潮の春。
「皆様、──いよいよクライマックスです!」
最高にポップで、最高に力強く、最高にハッピーなセレブレーションの、幕開けを。
(私の、私たちの、万感の、春を)
2018.6.6
グローリア・デ・モードは焦っていた。
「どうして起こしてくれなかったのよ!」
普段は髪の手入れに人一倍気を配る彼女にしては珍しく寝癖で毛先をぴょんと跳ねさせたまま、悲鳴にも近い文句を投げサロンへと駆け下りる。昨夜の名残を総出で片付けていた彼女のモデルたちは、そんな主の忙しない様子に揃って目を丸めていた。
向けられる視線に気付く余裕さえないグローリアはサロンのあちらこちらへと足音を響かせ、目当てのものを拾っていく。だれかの手によって綺麗に畳まれたストールを、定位置とばかり衣装棚に鎮座するボンネットを。ああもう、こんなに皺が寄ってるわ、だけど伸ばしてる時間はないし──などと思考をめぐらせて。
「あの、お嬢。そんなにお急ぎでどちらへ」
モデルの中でも最年長である壮年の彼が見かねて声をかければ、勢いよく振り返ったグローリアが、なに言ってるの、と。
「ハーバーに決まってるでしょ! もうすぐ始まっちゃうわ!」
返答に、けれど彼はまたたいて。できるだけ寂しさを覗かせてしまわないよう、微笑んだ。ともすれば我が子に向けるようなそれに手を止めたグローリアも同じくまたたきをひとつ。アルコール片手に大泣きするモデルたちを慰めた昨夜をようやく思い出し、ああ、と。どこか気が抜けたように呟き、手近な椅子に腰を下ろす。
「─…そうだったわ、もう、」
カルロッタ・マリポーサはまどろんでいた。
カーテンを開け、全身に陽射しを浴び思いきり伸びをする。睡眠時間が短くともすっかり身に染みついた時刻にまぶたが開くようになってしまったが、それでもベッドに帰りたいのだと身体は正直に訴えていた、まだ夢に沈んでいたいのだ、と。
ともすればまっさらなシーツの誘惑に負けてしまいそうにもなったがすんでのところで堪え、淡いままの思考を揺り起こしながら着々と支度を済ませていく。
髪をまとめ上げ、蝶をあしらった仮面を留め。馴染んだ視界に安堵さえ覚える。視野が狭まるものの、彼女はこれを大層気に入っていた、だって自身の姿がよく見えるようにとわざわざ右側に移動してくれるあの子のその仕草がかわいいから、と。
「あれ? お早いですね、先生」
サロンに足を運んだところへ、ちょうど中庭の手入れをしていたらしいモデルのひとりが植木鉢を抱えたまま不思議そうに首を傾げた。あら、いつも通りの時間でしょう、あなたこそ早く支度をした方がいいんじゃないの──口の端にのぼった小言を、けれど音になる前に呑みこむ。ようやく覚醒した頭が昨夜の、妙に高揚していたモデルたちとの宴会を思い出した。
そうだったわね、と。覚えた寂しさを表情に浮かべてしまわないよう努めながら、蝶を取り去ったカルロッタは普段と変わらず微笑んでみせる。
「─…もう、今日は、」
「──なぁんてことがあってね」
「私も。もう少し寝ていてもよかったのに」
「僕だって。モデルの子たちみーんな叩き起こしちゃってさ」
「俺はハーバーに着いてからようやく気付いたぞ」
翌朝の失態をそれぞれ報告し終えた四人は顔を見合わせ、そうしておかしそうに笑う。ボケるの早すぎでしょおじさん、とオーシャンが茶化し、仕事熱心だと言ってくれ、と酒をあおるヒューゴー、飲み過ぎてまた間違えるなんてことしないでよ、と苦笑したカルロッタが諌めて。
やっぱり居心地いいわ──グラスの表面に浮いた水滴で両指を冷やしたグローリアは、またたきとともに笑みを深める。
春の祝祭を大成功に収めた彼女たちデザイナーは、自分たちが肩を寄せ合い過ぎ去る季節に涙を流すよりも、感極まってその場で泣き崩れてしまった各々のモデルたちをきちんと連れ帰ることが先決だろうと判断し、四人での打ち上げはまた後日と相成った。しかし彼女たちは各ポートきってのファッションアーティスト、一大イベントが終わったからといって暇ができるわけではなく。むしろ以前に増して舞いこむ仕事に追われるうちひと月ふた月と過ぎ、気付けば季節は真夏へと姿を変えていた。
そうしてようやく今日、それぞれの都合がつき、四人ともが集いやすいグローリアの自宅で開催するに至ったというわけで。
陽が落ちるころから始めた酒宴ももう半ば、普段より三割増しで浮き立つ口調のオーシャンも、何度目かの思い出話を語り出すヒューゴーも、ひとりでワインを空けるカルロッタも見慣れたものだ。同じ季節をともに過ごしてきた彼女たちはこれまでに幾度となく酒も言葉も交わしてきたのだから。
まさかひとつのテーブルを囲むことになるだなんて一体、だれが予想しただろう。他を受け入れず、自身のアートばかりを主張していた四人が、酒を片手に語り合う日がくることになろうとは。頬に赤みが差して随分と経つグローリアは、うとうとまどろみ始めた頭で思う、しあわせだわ、と。
まぶしいほどに輝いていた春は終わった。けれど彼女たちのアートは、願いは、祈りは、だれかの心に刻まれていて、春のその先へと確実に続いていて。彼女たち四人の関係も現にこうして季節が移ろおうと変わることはなくて。
舞台の中心でだれよりも春をうたった彼女は、過ぎ去った季節にひっそり感謝を送る、出逢わせてくれてありがとう、と。最高の出逢いを、日々を、瞬間を。
「寝るにはまだ早いんじゃないの、グローリア」
顔を覗きこんできたカルロッタが、子供にするそれのように太陽色の髪を撫でつける。そんな彼女にふわりと微笑みを向けたグローリアは、心に浮かんだ素直な気持ちを口にした。
「あのねカルロッタ、私、」
(あなたが、あなたたちが、だいすきなの)
2018.6.7
「ん、」
「…なんですか、やぶからぼうに」
狩人さまをあの手この手で惑わす娼婦となんて目も合わせたくなかったけど、それでも嫌いなものほど気になってしまうのが罪深き人の性、ついつい視線で追ってしまえば、なぜだかこちらを見つめていた女のそれと重なった。
すぐに逸らしてしまえばよかったのに、ふわり、やわらかく持ち上げられた口元に魅入られて。おいでおいでとわたしを手招く女のもとへふらふらと出向く。──なんてばかなのかしら、わたし。自身の軽率さを呪うものの、気付けば眼前に立ってしまっていて。
そうして笑顔を浮かべたままの女がふと、その病的なまでにまっさらな両手を伸ばしてきたというわけで。
嫌悪に満ちたわたしの視線も言葉も意に介した様子はなく、だって、と。口調は甘える子供のそれ。
「ずっと座ってたら力が入らなくなっちゃったの」
「自業自得じゃないですか」
「だから、ね」
ねだるみたいに小首を傾げ、つと細めた眸にわたしを映して──ああきっとだれもかれもにもこうしてきたのだろうなと。
「立たせてちょうだい、聖女様」
捨て置けばいいのに、従う義理なんてないのに。それでも彼女へと伸ばす指を止めることができなかった。
(あるいは彼女の眸が言葉が呪いのようにまとわりついて、)
2018.6.10
雨の夜はきらいなのだと。
『ねむれなくなっちゃうの』
電話口からこぼれた頼りない声音にまざる雨音。どうやら窓をひどく打ち付けているらしい。昨夜、こちらの地を濡らしていたそれが、今夜は彼女の住む街を訪れているのか。そう思うと少し、不思議な感覚にも襲われて。同時に、こうして音では繋がっているというのにどうしたって埋められない距離を否応なしに自覚させられ知らず、耳元に当てた携帯電話を握りしめる。わたしと彼女を繋ぐものがこの、小さな電子機器ひとつだなんて。
ざあ、と。生まれた沈黙を縫うように響く雨。
「じゃあねむくなるまで話していようよ、それなら雨の音も気にならないでしょ」
あるいは最後に耳にする音がわたしの声であれば夢に見てくれるのではないかと──こどもじみた淡い期待もほんの少し。
とりとめもない会話をひとつ、ふたつ、次第に声があまったるくゆるみ始めるのは眠気に侵食されているサイン。
「ねむれそう?」
『…うん』
そうして聞こえた幼子のような寝息が、やまない雨音にとけていく。普段は自分から切れない通話を、今夜ばかりはこちらから終わらせようと耳から離せば、おやすみと、通話口から小さな別れ。おやすみ、くちづけの代わりにひそやかに返した。
(わたしの夢を見てくれているのかはわからないけれど)
2018.6.19
その冷たさに、ぞくりと、背筋が震えた。
決して彼女の低い体温が不快だったわけではない。雪の女王との異名を持つ彼女の身体が他の者よりいくらか冷たいのはいまに始まったことではないし、その心が誰よりもぬくもりにあふれていることは皆の知るところなのだから。かくいう僕もその大衆のひとりであり、冷え切っているからこそすぐ熱が移りやすいことも昂らせやすいことも、まっさらなその肌がすぐ赤く染まることだって知っている、きっと彼女の妹には明かしていない、深いところまで。
問題は触れ方だ。
傍らに立ち書類片手に午後からの雑事について説明を行っていた僕の手に触れた、その白く細い指のかたちなど、一瞥せずとも脳裏に蘇る、だってつい今朝がたまで夢に沈みながらもかたく絡ませてきていたのは他でもない彼女の方なのだから。
浮き出た血管を指の腹でつとたどって、戯れにやわく押して。甲から全身へと冷気がめぐった気がして眉を寄せる。
──手袋を外してくるんじゃなかった
私も外してるから、などという謎の主張を向けられ、その程度で女王陛下の機嫌が取れるならと、特に深く考えもせず取り去った朝の自分を呪うばかり。
「…きちんとお聞きください、陛下」
「二時から会議、三時にアナとの休憩を挟んで、明日の視察準備と書類への署名捺印、それから?」
舌を打った内心に気付いているのかいないのか、得意満面で見上げてきたこの国の女王の指先がついに手首まで侵食する。氷色の眸にはまだ、昨夜の気配が残っているようにも見えて。
「休憩はまだ先ですよ」
「かたいのね」
薄く紅を引いたくちびるを不満そうにとがらせ、それでも離れようとしない指が二本に増える。各々の意思を持って動くそれが撫でる先から熱がくすぶっていく。指先は確実に誘いを孕んでいて。
さすがの僕も我慢の限界だと、裾から忍びこもうとしていた指を掴む。少し力を入れれば折れてしまいそうなそれをぐいと引きこみ、好き勝手触れてくれた仕返しだと寄せたくちびるを、けれどもう片方の人差し指が押し留めた。くすくすと、奪いそこねた目の前のくちびるからこぼれる、子供のような笑い声。
「休憩はまだ先よ、ハンス」
楽しそうに僕をとかしこむ、その眸が憎たらしい。
(いつだって君に敵わない)
2018.6.22
ほんのちょっとの悪戯心だった。
ほら、すきな子ほどちょっかいをかけたくなる生き物だろ、男って。それと同じさ。
はずかしいから、なんて。いつもはフライパン片手に豪快なあのラプンツェルが頬をこれでもかってほど真っ赤に染めて、視線まで逸らしてそんなことを言ったもんだから。
わざわざ目の前に回りこんでも顔を背けられ、だけどもぐと身体を傾けt絵視界に入ればまたそっぽを向いて。いよいよ面白くなって何回かぐるぐると追いかけあった後に、彼女自身の頬を包みこんでいるその手を取りぐいと引っ張った。
大きな眸が驚いたように丸みを帯び、それから朱が差して、
「もうっ、フリン、離して、」
「だーから、フリンじゃないって言ってるだろ」
拘束から逃れようともがくラプンツェルに言ってきかせるようにさっきと同じ言葉を繰り返す。
曰く、これまでずっとフリンと呼んでいたものだから、いざきちんと本当の名前を口にするのはなんだか気恥ずかしいんだと。散々呼んでいたくせになにを今更と思うものの、羞恥が遅れてやってくるところにまでいとおしさを覚えてしまうんだから俺も大概だ。
これからゆっくり慣れていくから。そう言い募った彼女があんまりにもかわいくて──俺とのこれからをえがいてくれていることがあんまりにも嬉しくて。
だからついつい、いじわるを言ってみたくなったんだ。
「ちゃんと呼んでくれなくちゃ俺、返事しないから」
まるで子供みたいだと自嘲する自分と、そんな自身がどこか微笑ましくもある自分と。彼女の前であればどんな自分だってさらけ出せる、それはきっと、どんな自分だって受け入れてもらえる気がしているから。そうして恐らく思いこみでもなんでもなく彼女なら、俺のすべてを受け止めてくれるから。
悔しそうにくちびるを引き結んだ彼女に不敵な笑みをひとつ。ぱ、と手首を解放し、さぁていつ呼んでくれるんだろうな、と背を向け。ちょっとフリン、なんて声にもひらひらと背中越しに手だけを振って。
強引に振り向かされた、と思えば、くちびるにふれるあたたかな感触。予測していなかったことに目を丸めるのは俺の番。
間近にせまった眸の持ち主は俺の頬をぎゅうと挟んだまま、叫ぶように言った。
「返事くらいしなさい、ユージーン!」
「…は、はい」
(君には敵いそうもないな、これから先ずっと)
2018.6.25