言葉にするのはへたくそなんだ、知っているだろう?

 ちりん、と。懐かしい音が耳をくすぐる。  永久を彷徨う我々ヴィランズにとって一年という時の流れは、針の進みよりも早いものであるはずなのに。すぐ傍にこの音がない日々は実に退屈で、そうして実に長い時間であった。  けれど、ああ、もうすぐ。  息を一つ、吸い込んで。整えておかなければ平時の通りいられる自信がない。それでなくてもいまこんなにも、鼓動が弾んでしまっているのに。  ちりんちりん。ヒールが地面を叩く音に合わせて、耳触りのよいそれも距離を詰めてくる。  ふ、と。振り返ったのと、胸に軽い衝撃が押し寄せるのは同時だった。  重たそうな帽子があおりに負けて地へ落ちる。目下に現れた光に透ける髪が揺れて、ちりん、勢いよく持ち上げられた表情は、やっぱり、懐かしいそれで。 「──ここであったが百年目、ですわ!」  腹を殴られた、思いきり。  もちろん細い彼女の腕に負けるほど柔ではないが、それでも想定していなかっただけにダメージは大きい。  太陽よりもまぶしい笑顔から一転、怒りを孕んだ表情でなおも腕を振り上げる。 「お手紙をっ、くださるとっ、仰ってましたのにっ、ただのっ、一度もっ、」 「こ、こら、ヴェール、やめてくれ」 「やめません、って、ちょっと、」  言葉を継ぐたびにこぶしを打ち付けてくるものだからたまらず、手首を掴んだ。  手紙を書く、だなんて。ヴィランズらしからぬ約束を守るつもりだった。だが筆を取った途端あふれ出る想いを紙に残すことなんて到底出来ず、結果、鳥に託すことのない手紙もどきが積もっていくばかりに。  彼女からの手紙はともすれば情景が目に浮かぶようだった。  たとえば窓辺に住みついた鳥に雛が生まれただとか、たとえば聖堂の鐘に新入りを迎え入れただとか。そんななんでもない一日を、感性豊かに捉えて伝えてくれるのだ、彼女は。  私がもっとたくさんの言葉を持っていれば、一面に広がる海を、空を、教えてあげるのに。  もどかしい想いを抱えながらも、贈られた手紙は大切に仕舞っている。 「わたくしがどれだけ不安だったか…っ」  ふと、それまで抵抗を見せていた腕が力を失う。  目の前の眸が揺れて、震えて。 「あなたが、わたくしを忘れてしまったのでは、なんて」  それきり音を呑み込んでしまった彼女はただ俯いてしまった。  もしかすると私には、嗚咽を押さえる肩を抱く資格などないのかもしれない。視線を奪われてしまうほど美しい銀の髪を撫でつけてはいけないのかもしれない。だがこれだけは、この一年間届けることのできなかった想いをいま、彼女に向けなくてどうする。 「片時も忘れたことなんてなかったさ、だって私は、」  頬に手を当て、やさしく上向かせる。  濡れた眸がようやく、私を映し込んでくれた。 「──どこにいたって、君のことしか考えていなかったんだよ、ヴェール」 「─…変わらないのですわね、あなたって方は」  呆れた風に息を一つ。落とされたそれにもう怒りも悲しみも含まれていないのはきっと、私の気のせいではないはず。  そうと決まれば、と。掴んだままだった手首を解放し、代わりに指を絡めた。手袋を外していてよかった、だって同様に素肌の彼女の熱を感じることができるから。 「ちょっとどこへ、」 「見せたいものがあるんだ、君に!」  私の部屋で山と重なっているあの紙たちを。宛先を書かないままにしていた、想いたちを。  ちりん、と。嬉しそうに弾む鈴の音が一つ。  忘れ去られた帽子がふわり、揺れた。 (私の言葉を受け取った彼女は果たしてどんな表情を向けてくれるのだろうか)
 お久しぶりの鉤鈴。  2016.6.20