ただ君が嬉しそうに笑う顔が見たかっただけなのだが。

 今日も今日とて朝は来る。昼間は大勢の一般人で賑わう人工の街も、この時間は鳥の気配ばかり。どこか遠くからかすかに流れてくる潮風を胸に吸い込み伸びをして、さて本日も自分に与えられた役目を果たすかと気合いを一つ。 「朝から元気ですわね…」 「ああ、おはよう、ヴェール」  おはようございますと返された挨拶には欠伸ばかりが含まれていた。  何週間か行動を共にしてきて知ったことだが、どうやら彼女は朝に弱いらしい。朝日に照らされればいつも猫のように細めた眸を擦って、絶え間ない欠伸を上品にも噛み殺して、そのくせ肩上で切り揃えられた髪はきれいに整えられていて。  光に照らされた波間の色に似たその髪が、私の密かな憧れだった。我が主に付き従って巡った長い航海生活の間に潮をふんだんに吸い込んだ私の髪は、本人の性格をそのまま表しているかのようにくるくると渦を巻いてしまっている。  海の盗賊にお洒落など必要ない、それは理解しているのだが、日々の勧誘活動で出会う一般人や、なによりいま目の前で立ったまま眠りに就こうとしている彼女のそれを見るとやはり、きれいだと見惚れずにはいられない。こんな風にただまっすぐあれたらと焦がれずにはいられないのだ、彼女の、 「なんですの?」 「っ、あ、いや、なんでも」  知らず見つめてしまっていたのだろうか、気付けば眠たそうな眸が下から覗き込んできていた。咄嗟に跳ねた身体に眉が不機嫌そうに寄せられる、この反応はまずかったか、彼女にこんな表情をさせたいわけではないのに。  なんとか言い訳を募ろうととりあえず口は開いてみたものの言葉が浮かんでくることはなく。  呆れたようなため息がこぼされる、いいですわ、と。 「あなたの口が上手くないことくらい、知っていますもの」  ああ、この口調はきっとまた、良くない勘違いをされているのだ。口下手な私は、思えば彼女を怒らせるか不服そうにさせるか、それとも呆れさせるか。いずれにせよ、あまり陽気ではない表情ばかり浮かべさせている。いつも口より先に行動していた私は、眸を据えてまっすぐに言葉を向けてくる彼女へ返す文句を知らないのだ。  踵を返される、太陽へと向き直るそれが眩しい。  言葉を知らないのなら、自分の得意な行動で伝えるしかないだろう。 「──っ、なに、」  息を呑む、その音を無視して肩を抱き寄せ、朝日を反射する髪に鼻をすり寄せれば潮風とは違うにおいがした。強張った耳元に、それでも届くようにとくちびるをつけて。 「君の髪が好きだ」  言葉は簡潔に。君、だなんて、慣れない呼称にむず痒くなる口元をゆるませて。  触れ合わせていた耳がふいに熱を持ったかと思えば全力で身体を引き剥がされる。またたきを一つ、距離を置いてくるりと振り返った彼女の耳が、頬が、首が、夕陽を思わせるほど真っ赤に染まっていた。普段は気持ちの良いほどよく回る口がいまばかりは声を発することはなくて、しばらくぱくぱくと音にならない叫びをした後。 「この、っ、ばか!」  去り際に見た表情はやはり怒っているようで。いつになれば私は彼女の笑顔が見られるのか、ほとほと見当もつかずただため息ばかりが洩れた。  そして今日も今日とて朝は来る。 (しかしなんだってあんなにも赤かったのか、まったく、本当に彼女はわからないよ)
 海賊は鈍感なのです。  2015.9.27