ふれる、よるに。
きっと意味なんて知らなかったのだ、わたくしも、彼女も。
「ひ、ぁ…っ」
呑み込みきれなかった吐息が洩れていく、まるで叫び損ねたみたいに。ともすれば助けを求めているようにも聞こえる声に応える余裕はどこかへ消えてしまっていた。その代わりに重ね合わせた指を、く、と。握りこめば、歪んでいたくちびるがふと、笑みを形作った、安心したように。
夜はどちらから始めたのか、なんていうのはきっと野暮な話。あえて答えを出すならきっと、ふたりで。最初に見つめてきたのは彼女、くちびるを合わせたのはわたくし。頭を引き寄せたのは彼女で、抱きしめたのはわたくしだった。
経験がないのはきっと彼女も同じ。話によれば彼女は、男性ばかりの船の上で自身も同じように扱われ、振る舞っていたというから。わたくしだって人として生を受けたばかり、知識さえもなかったけれど、この身体が自然と動いてくれていた。本能、とでも人は呼ぶのだろう。すべきことはわかっていた。
胸を弄んでいた手を下へ、下へ、脇腹を辿っていく、それにさえも律儀に反応してくれる。ほどよく筋肉をつけた身体はあの冥界の女に比べれば起伏が少ないけれど、それでもどこか芸術的な美しさをまとっていた。
そうしてようやく行き着いた場所にそ、と。指の先で触れれば大仰とも取れるほど身体が震えた。しとどに濡れていることを確認してふと顔を上げれば、髪色と同じくらい、いいえそれ以上に染まった眸と交差して、すぐに逸らされてしまう。
彼女のこんな表情も珍しい、まさか赤くなっているだなんて。わたくしでこんなにも昂ってくれているだなんて。
あるいは感じないのではと思っていた、自分自身が、本物の人の身でないわたくしはなにも反応を示すことができないのではないかという恐怖ばかりがあった。だから先に押し倒した、彼女に触れられて、悦びを感じられないのはいやだから。
「ヴェー、ル、」
そんな心配、初めからいらなかったみたいだけれど。だってこんなにも胸が高鳴っている、いとおしい音が名前を紡いでくれるだけでこんなにも、幸福で満たされる、しあわせすぎていっそこわいくらいに。
続きそうになった言葉をくちびるで押し留めて、ふと距離を置いた、彼女の表情がよく見えるように。
あるいはわたくしはこうするために、この世に生まれたのかもしれない。彼女と出逢うために、彼女のすべてを委ねられるために、彼女を少しでもしあわせにするために。
「ホック、」
初めて呼び捨てにしたそれは案外しっくりしていて。くちびるが綻んでいく、無邪気な子供のように。
はき出そうとした想いは彼女自身のそれによって塞がれた、先ほどのわたくしみたいに。
(しあわせなの、ねえ、あなたに触れているだけで、わたくしはこんなにも、)
いつだってしあわせとおそれは隣合わせ。
2015.10.28