三度目の正直には遅すぎて、
「つまりまだ告白してへん、ってこと?」
それまでうんうんと熱心に相槌を打ってくれていたファージャが、独特の訛りでそう一言。
いや、簡潔に言ってしまえばその通りであるのだが、それではまるで私が意気地のないみたいじゃないか。そうではなくて、これまで何度も─といっても、ほんの二回ほどなのは内緒だが──想いを打ち明けようとした、けれど大切なその言葉がどうしても伝えられなかったのだ。
もちろん言い淀んでしまう私にも非があるのかもしれないが、原因は相手にもあった。いつもは同じ手下仲間であるあの犬男のように、見えない尻尾を振って付いてくるというのに、こと決心して紡ごうとしたその時ばかりはどこか距離を置かれてしまう、拒絶でもされているみたいに。そうして不可解な微笑みを向けてくるばかりなのだ、鈴の音に言葉を押し込むように。
「で。怖じ気づいてるってことやな」
「…有り体に言えばそうだ」
「有り体もなにも聞くからにそうでしかないんやけど」
もしくは彼女も悟っているのかもしれない、私が口にしようとしていることを。知っていてきっと、やんわりと伝えられているのだ、わたくしはあなたと同じ想いを抱いていないのだと、そう。
考えるだけで気持ちが沈んで、気付けば机に突っ伏していた。
それよりどうして私は夜のセイリングデイでファージャと顔を突き合わせているのか、どうしてお悩み相談しているのか。それも恐らく、彼女の不思議な雰囲気の成せる技なのかもしれない。
ため息をついたのはファージャだった。ばたりと上体を倒したまま視線だけを上げれば、思った通りの呆れ顔。
「好かれとるのは、見てればわかるやろって」
「…嫌われてはないと思ってたんだ、少なくとも」
たとえば訪れた人間たちに教えてもらった言葉だとか、たとえば鈴を取られてしまっただとか。そんな日常のなんてことない話を一喜一憂しながら話してくれる、そんな彼女に耳を傾けるのが好きで、きらきらと輝く表情が好きで。ヴェールのことが、好きで。あるいは彼女も好いてくれている、そう思っていたのは自惚れだったのだろうか。
けれどファージャはまたため息をつく、それは違うと、今度は寂しささえ滲ませて。
「それきっと、嫌いだからやないよ」
だって、と。続けられた言葉に呼吸が止まった。
最後まで聞いていられず、店を飛び出し夜の街を駆ける。当てなどなかった、けれど彼女は確実に、この街のどこかにいる気がして。
出口へと続くアーチに差し掛かった時、果たして彼女の鈴の音が耳に響いた。辺りを見渡してみれば、海辺に腰かけ足をぷらぷらと揺らしているその人が視界に映る。
静かに聞こえる歌声は、海の妖精のそれよりもはるかに美しく、透明だった。
「ヴェール」
歌が途切れたのを見計らって声をかけると、目の前の肩がびくりと震えた。振り返らなくたって誰だかわかっていたのか、返された視線はわずかに揺れていて。
隣に腰かけ、片膝を立てる。水面を撫でて吹く風はもう、冬の気配を含んでいた。
「伝えたいことがあるんだ、君に」
「それは、」
「今度こそ。聞いてもらわなくては困る」
制止してこようとした言葉を遮った、私はどうしても伝えなくてはいけないから、彼女の気持ちを確かめなければならないから。
息を、吸って。
「好きだ」
失わなければならないのだと、ファージャは言った。この期間が終われば元の姿に戻るのだと。そんなことは最初から知っていた。私だって海へ、主である船長の下へ帰らなければならないし、他の者も皆あるべき場所へ行くのだと。だが理解はできていなかったのだ、それがなにを意味するのかを。
帰るということは、自分のあるべき姿へと戻ること。私は海賊へ、ファージャは鳥へ、そしてヴェールは、
「君のすべてがいとおしいんだ、ヴェール」
「…っ、なんで、そう簡単に言ってしまえるんですの、あなたは」
途切れ途切れに吐き出される声が、ファージャの言葉を肯定しているようで。
きっと雫を流しているであろう顔を見たら私まで目頭が熱くなってしまう気がしてただ、肩を抱き寄せた、見えないように、誰にも見せないように。すぐそこまで迫った白銀の髪が月明かりに照らされきらきらと、まるで水平線のように光る。
彼女の涙が胸元を濡らしていく。こんなにもあたたかいものをもう、感じることができなくなってしまうなんて信じられなかった。
「君は」
語尾を上げて尋ねたそれに、沈黙はなかった。
「す、すきに、決まっているじゃないですか。こんなにもすき、なのに、なのに、」
こぼれそうになった続きを抱きしめて封じ込めた。いまはまだ、このままでいたかったから、彼女も同じ想いでいてくれた、その喜びを噛み締めたままで。
泣きじゃくる彼女の白銀に顔を寄せて眸を閉じれば、鳴らされていない鈴が響いた気がした。
(終わりはすぐ、そこに)
3、
2015.10.30