あなたに誓う、

 この人の女子力は計り知れないと、改めて感じた。 「で。今回はなにを作ってるわけ?」 「服だよ。エルに頼まれてさ」  リビングの床に丁寧にも正座をしているルドガーは、針をせっせと動かしながら答える。  クエストもクランスピア社からの仕事もない今日は朝からこの状態だった。まだ昼過ぎだというのに、集めた素材を元に作成しているそれはもう全貌を現していた。  玉止めをして糸を切る。完成、とばかりに服を持ち上げ、満足そうにルドガーは頷いた。 「ほら、おいで、エル」  浮いた足をぱたぱた動かしながら本を読んでいたエルは、弾かれたようにソファから立ち上がりルドガーに駆け寄る。  そんな少女に出来上がったばかりの服を合わせて、彼は笑った。 「よし、完璧」 「すっごーい! すごいよルドガー!」  服を受け取ったエルはぱあと笑顔を浮かべた。少し離して全体を眺め、自分の身体に合わせてきゃっきゃとはしゃぐ。  ソファに座ったままのわたしには後ろからしか見えないけれど、完成度が高いことはよく分かった。  サイズから刺繍に至るまで、繊細にかつ丁寧に繕われている。特に下に向かって広がる裾にあしらわれたレースは、本当に手縫いなのかと疑うほどの出来だ。  わたしとの裁縫技術なんて、比べるべくもなかった。癪だから口にはしないけれど。  早速着替えるのか、エルはルドガーの部屋に駆けて行く。 「器用ね、あなたって」  しばらくエルが消えた部屋の扉を見つめ、視線を戻して。またなにか縫い始めたルドガーに言葉を投げた。  少しの羨望も混じったそれに、そうかな、と彼は応じる。  ただ、少しでも兄さんの力になれるようにって色々練習しただけだからな」  なんだか中途半端になったけどな、なんて。苦笑するルドガーが少しだけ、昔のわたしに被った気がした。  小さい頃、姉さんの目を盗んでよく料理の練習をしていた。上達するたびに、これなら姉さんも食べてくれるかもしれない、気に入ってくれるかもしれないと。  結局そんな機会は訪れなかったけれど。  頭を振って思考を逃がす。  気付けば姉さんのことを考えている自分がいる。わたしの料理を一番食べてもらいたかった人はもう、いないというのに。存在すら消えてしまったというのに。  ふわりと、なにかが乗った。  突然現実に引き戻されたわたしはとりあえず、頭の上のそれを触ってみる。するりと、掻い潜るような手触り。  顔を上げれば、悪戯した子供みたいな表情を浮かべたルドガーがすぐ目の前に立っていた。澄んだ浅葱色でわたしを捉えて、ああやっぱり、なんて。 「似合うよ、ミラ」 「これ、って…」 「わーっ、ミラかわいい!」  正体を確認するよりも早く、着替え終えたらしいエルの歓声が割って入ってくる。  視線を向ければ、完成したばかりの純白のドレスをまとった少女が駆け寄ってきていた。  そんなに走ると裾踏んでこけるわよ、と言いたかったけれど、小さな花嫁は難なく目の前にやってくる。  ヴェールを上げたり下ろしたりするたび、視界が覆われる。嬉しそうに頬を綻ばせているルドガーが見え隠れする。  完成した物に満足しているからか、それとも別の意味を含んでいるのか、わたしには分からないけれど。 「なんかお嫁さんみたい」 「だ、誰の嫁よ!」 「ルドガー以外にいるの?」 「俺、って、」  エルの爆弾発言に、それまで考えていたことがすべてどこかへ飛んでいってしまった。  はしゃぐ少女に、あなたの方がお嫁さんみたいじゃない、なんて言ってやりたかったけれど、言葉はなかなか出てこない。  って、ちょっとルドガー。なんであなた赤くなってるのよ。 「ミラとルドガー、おんなじ色してる」 「うっさいわね」  ヴェールを下ろして顔を隠す。それでも薄い絹には透けているらしく、わたしの色を見咎めたエルは手を叩いて囃し始めた。 「ゆっびわーのコーカン、ゆっびわーのコーカン!」 「しないわよ! ていうか、指輪なんてないし」 「実は…」 「なんであるのよ」  どこまで用意周到なのか、ルドガーは少しバツが悪そうに一組の指輪を手の平に乗せる。  小さな輪には、ダイヤモンドの代わりにガラス玉がはめ込まれていた。加工されたそれは、日光を受けてきらきらと輝いている。 「まさかあなた、エルをどこかに嫁がせる気じゃ…」 「ち、違うんだ! ドレス作ってたらつい、気合が入って…」 「つい、って。努力する方向がおかしいわよ」 「それに、まだエルは結婚させない。俺の目が黒いうちは!」 「なにそれ」 「ルドガーの目、黒くないよ」  エルの突っ込みも相まって、わたしはつい、笑ってしまっていた。  将来エルの夫になる男性はきっと苦労することだろう。ルドガーのことだ、どうせ彼以上の家事スキルを求めるに違いない。  そんな情景がありありと浮かぶようで、こみ上げてくる笑いを堪えることが出来なかった。  まるで父親みたいよ、なんて告げたら、一体どんな反応をするだろうか。まだそんな歳じゃないと苦笑するのか、その通りだと胸を張るのか。  たぶん後者なのだろうけれど。  笑うわたしと不思議そうに首を傾げるルドガーの目の前で、ソファに立ち上がったエルは両手を後ろに、なぜだか胸を張る。 「えと…す、すこやかなる時も、やめる時も…なんだっけ」  そうして小さな花嫁は、神父を真似てお決まりのセリフを口にする。けれどすぐに言葉は詰まって、代わりにんー、と唸り始めた。 「………ちかいますか!」 「端折りすぎよ」  す、と。左手を取られる。  見れば床に膝を突いたルドガーが、わたしの小指に指輪の片割れをはめているところだった。  子供サイズのそれは、小指にぴったりと密着する。まるでそこが定位置みたいに。反射してきた光が、わたしに存在を主張してくる。  見上げてくるのはただただまっすぐな浅葱色。小さな花嫁と同じ色の眸にわたしを映して、そうして息を一つ。 「誓います」  ミラを、エルを。俺の全力を賭けて守ることを。  鼓動が震えた。返そうとしていた言葉も表情も全部さらっていかれたみたいだった。  さっきまで頬を朱に染めていたはずのルドガーは、けれど真摯にわたしを見つめている。  呼吸を忘れてしまう。 「ミラは?」  エルに促され、なにか発さなくてはと言葉を探すけれど、どれも適当でない気がした。唇を一度、引き結ぶ。  この後に口にするべきものは分かっている、分かっているけれど。  耐え切れなくなって、取られたままの手を振り払った。 「結婚式ごっこなら他を当たってちょうだい」 「えー。せっかくいいトコだったのにー」  頬をふくらませて不満そうな声を洩らすエルの頭に、外したヴェールを乗せる。全身を純白に包まれた少女は本当に花嫁みたいだった。  やっぱりわたしなんかより、この子の方が似合うみたい。  もう少しだけ視界に留めておきたかったけれど、もう限界だった。踵を返し、ルドガーの部屋を目指す。  扉を閉めると途端に足の力が抜けて、その場に座り込んだ。 「もう…なんなのよ、一体」  両頬に手を当てる。確認するまでもなくそこは熱を持っていた。どうやら我慢していた朱がとうとう浮かんできてしまったらしい。  この部屋に逃げ込んでよかった。こんな顔をエルに見られたら、また囃し立てられるに違いない。ミラもまんざらでもないんだね、なんて。  扉越しに、二人の声が聞こえてくる。きっと今頃、完成した姿に喜んだエルが鏡の前でくるくる回っているのだろう。  息を一つ。小指の指輪が目に留まる。  なにを誓えばいいのだろう、誰に誓えばいいのだろう。ルドガーはわたしを、エルを守ると誓った。どんなことがあっても、と。ならわたしはなにを、 「…わたしは、」  ふ、と。まぶたを閉じる。  わたしを映した浅葱色が、少女のまとった純白が浮かぶ。まっすぐにわたしを見つめる表情が、残っている。  ならわたしは、想い続けることにしよう。どんなことがあっても、この想いを守っていくことを。  わたしが例えば消えてしまっても、この想いだけは、あの人たちへの想いだけはどうか、色褪せませんようにと。  小指に唇を寄せる。 「─…誓います」 (わたしがそばにいられなくなっても、どうか)
 或いは彼女がえがいた彼らのしあわせ。  2014.2.26