はじまりのはなしをしようか。
そんな寝言は眠っていても聞きたくないわ、なんて。
憎まれ口の一つも二つも浮かんでくるのに、いまばかりはのどから顔を出そうとはしなかった。ただただ、自身の耳を疑うばかり。
視線を下げれば、わたしの足元にひざまずいたルドガーのまっすぐな浅葱色と重なった。
言葉を繰り返すことはないけれど、揺らぎのない眸は、単なる言い間違いや空耳ではないのだと真摯に訴えかけていた。
そのせいでわたしの回らなくなってしまった頭はますます混乱する。
言葉を探すのよ、熱は送らないで。指令を出してみても、頬から指先へと、あついくらいの体温が走っていく。
わたしの左手を取っているルドガーにまさか熱を気取られていないか、答えはきっと、ノーだろうけれど。
だってほら、いまのルドガー、緊張してるみたいに強張ってる。鏡でもあったらかざしてあげたいくらいに。
思わず浮かんでしまった笑みに、彼の顔は不安そうに曇る。
「…ごめん、やっぱり、突然だったよな」
す、と離れていく手を追いかけたのは無意識だった。思わず掴んでしまった指はかわいそうなくらい震えている。
くるりと振り返った彼の視線がつながった指と私の顔を行き来して、わけがわからないといった風に眉を下げた。
ちょっと、そんな反応されたら次にどう言えばいいのか、わからなくなっちゃうじゃない。
直視していられなくて、ふいと顔をそらす。
「あの、ええと。あなたの気持ちは、その、ありがたく受け取っておくというか…じゃなくて、別に謝らなくても、いいというか」
「…つまり?」
「つまり、…その。きらい、じゃ、ないわ、よ」
「…すき?」
「そそそこまで言ってないでしょ!」
「顔。赤いけど」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわ」
「すき、って言葉を」
「言ってない!」
目尻にしわを寄せて笑うルドガーの頬は紛うことなく真っ赤、まるでわたしを映す鏡みたいに。それでも言葉を詰まらせるわたしをからかう余裕は戻ってきたようだ。
さっきまであんなに、捨てられた子犬みたいにしょげ返っていたのに。
前言撤回。きらいよ、あまのじゃくなわたしの気持ちをやさしく受け止めてくれるあなたなんて。素直になれない言葉の裏をすくい取ってしまう、あなたなんて。
ごめんごめん、と申し訳なさのかけらもなさそうに謝罪を口にする。
気付けばまた、ルドガーのペースに乗せられているわたしがいる、そのことが少し、癪だった。
「…ねえ、もう一回言ってちょうだい」
「すき、って?」
「っ、それは、もう、おなかいっぱいよ」
にやりと口角の上がった、悪戯な顔。
ああもう、やっぱりきらいよ。わかっているくせに、知っているくせに、彼はわたしにその先を言わせようとする。ひねくれてへそを曲げたわたしの心を引き出そうとしてくる。
ここまで言ってしまえば後には引けない、けれどわたしにも意地があるの。
「ルドガーの言葉で、声で、もう一回、聞きたいの」
精一杯顔を見て伝えることはできたけれど、かっかと火照る頬を抑えきることができなかった。
微笑んだルドガーは再び膝を突く。再現をするために、けれど余裕と自信を取り戻したみたいに、顔を輝かせて。
左手をそっと取って、おまけとばかり、薬指には口づけを。
「──結婚しよう」
その表情が、眸が、声が、音が、わたしを揺さぶるの、ねえ、知ってたかしら。
(ねえねえルドガー、ふたりのナレソメおしえて!)
(なんだ仕方ないなあエルは)
(ちょっと。なにニヤニヤしてんのよ、気持ち悪い)
(あれは俺の家のリビングでのことだった…)
(え、か、語り始めないでよ!)
(俺はミラの手をこう取ってさ、自分の中で最高のイケメンフェイスを浮かべたんだ)
(脚色してるし)
(え)
(本当はこうだったのよ、エル。捨てられた犬みたいな表情で寄ってきて、
なあミラ、あのさ、ちょっと話があるんだけど…ああ待って逃げるなよ!ミラにとっては違うかもしれないけど、俺にとっては大事な、大切な話なんだ!
って、そんなとこね。まったく、男らしくさっさと話せばいいのに)
(ミラすっごーい!クリソツ!)
(ふーん…そんなに覚えるほど嬉しかったのか)
(ちち、違うから!あの時のあなたすごく間抜けな顔してたから印象に残ってたっていうか、ひとりで思い出したりなんかしてないから!)
(え、)
(ミラ、それね、エル知ってる。ボケツっていうんだよ)
どうかどうかしあわせに。
2014.4.17