かわいいのは君のほう。

 この意地っ張りにいい加減負けを認めさせたい一心だった。  根元まで埋めた指をこするようにゆっくりと半分ほど引き抜く。長い愛撫のせいですっかり解されたそこは、けれど感覚だけは鋭敏なようで、動きに合わせてひくりと腰が震えた。  アイセメルは両手で抱えた枕に顔をうずめる。ひときわ強く握られた枕カバーにくしゃりと皺が寄る。 「いい加減、顔、見せなさいよ…っ」  荒い呼吸の合間にラーマが声を逆立てる。それでもアイセメルは頑なに背中を向け続けていた。  きっかけは先週のこと。  洗面台で歯みがきをしているラーマの背後に、ふらりとアイセメルが現れた。彼女は意外にも朝に弱い。特にラーマとベッドを共にした翌日は─夜更けまでその熱を貪ったせいでもあるのだが─遅れてベッドから這い出すことがほとんどだった。  まだ頭が覚醒しきっていないのか、洗面所の入口にもたれたアイセメルはぼんやりとラーマの背中を眺めていた。いつも厳格で聡明な所長様の面影は薄く、長いまつげの奥にもまだ夜の名残が沈んでいる。彼女のこんな表情を、一体他の誰が知り得ようか。ラーマの口角が持ち上がる。  そうしてふと芽生えたのは悪戯心。少しだけ、そう、ほんの少しだけ。昨夜自分だけに向けられた顔を、彼女にも自覚させたかった。ただそれだけだった。 「ねえ、アイセメル」  歯ブラシを口に咥えたまま、ラーマは鏡越しにアイセメルを見上げる。 「昨日のあんた、すっごくかわいかったわよ」  緩慢にまたたいていた金糸雀色の眸がぴたりと止まった。思ったとおりの反応に、ラーマがくつくつと喉を鳴らす。 「自覚ないの? 天下の所長様も形無しね。だってあんな顔してあたしのこと──」 「そうか」  得意満面の言葉に、低い声が割って入る。鏡を通して見つめるアイセメルの表情にもはやまどろみの気配はない。腕を組み、努めて冷静な顔を繕ってはいるが、耳の先はほんのり色づいていた。  ラーマはますます頬を緩める。 「なによ。否定しないの?」 「もう終わったことだ、今更どうにもできないだろう。それよりも次の対策を取ればいい」 「…ん?」  追撃しようと構えていたからかいが、口を突く前に挫かれる。首を傾げるラーマを残し、アイセメルは背を向ける。 「次からは、君に顔を見せない。それだけだ」 「………んん?」  当然と言わんばかりに導き出された結論に、ラーマは口内に残っていた歯みがき粉の泡を危うく飲み込みかけた。  そうしてアイセメルが選んだのは、うつ伏せで枕を抱えるという体勢だった。  なにもうつ伏せにならなくったっていいじゃないの、とラーマは憤慨した。仰向けで抱えた枕に顔を埋めればいいものを、わざわざこの体勢を取ったのは枕を奪われるかもしれないという懸念あってのことだろう。きっと、多分、いや絶対に剥ぎ取るとは思うが、それにしたってあんまりである。  アイセメルは乱れた己を晒すことを酷く嫌っている。仮面はとうに剥がされているというのに、年上としての矜持が事実を認めたがらないのだ。だからいつもは髪で顔を覆うか、ラーマに抱きついて表情を覗かれないようにしていた。  ラーマの胸の奥でふつふつと意地が熱を帯びる。そっちがその気なら、振り向かずにはいられないところまで追い詰めてあげる。  そう決意したものの、対するアイセメルも同じくらい意固地だった。  ラーマが攻めれば攻めるだけ、枕へ顔を沈ませる。喘ぎも吐息もすべてリネン生地に吸い込まれていく。元々声を押し殺すタイプではあるが、口の端から洩れるはずの息遣いさえ隠されてしまうのは癪だった。 「…私の顔など見ても、面白くない、だろう…」  ほんのわずかだけ顔を上げたアイセメルがくぐもった声で反論する。相変わらず可愛くない返事だ。 「面白いとか面白くないとか、そんなんじゃないでしょ…!」  怒りに任せて腰骨へ噛みつく。ひゅ、と息を呑む気配の後、アイセメルが再び枕にうずもれる。ラーマの与える刺激を追うように、背中がくっとしなり下半身が持ち上がる。まるで尻尾を高々と掲げる猫のよう。顔を見られるよりもこの体勢のほうがよっぽど恥ずかしいじゃないの。そうは思うものの、口にすれば二度と夜を共にしてもらえないだろうからさすがに呑み込んだ。  代わりにちろりと腰へ舌を這わせる。腰にも臀部にも、ラーマの歯形がいくつも残っている。やわらかな肌へ歯を食い込ませるたび、沈めた指先がきつく締め付けられるものだから、その反応見たさに少女もつい歯を立ててしまっていた。  刻んだばかりの痕をくちびるでなぞる。足を抱え込むように前へ回した右手で花芯を転がせば、アイセメルの腰が高く浮いた。どろりとあふれた蜜が太ももを伝い、シーツの色をにじませていく。滑りが良くなった指でぐちゅぐちゅとかき回すと、目の前の背筋が痙攣するようにわなないた。  けれど、それでも、アイセメルは頑として枕へ逃げ場を求める。身体はこれほど素直に快感を訴えているのに、声も表情も吐息さえラーマに拾わせまいとしていた。  アイセメルの背中に覆い被さり、背骨をひとつひとつ辿るように口づけを落としていく。うなじへくちびるを寄せたところで、ふ、と。ラーマがこぼした吐息は淋しさを孕んでいた。 「ねえアイセメル…そろそろあたしのこと、見てよ。……さみしいでしょ、バカ」  整った爪がく、と枕を掻く。ぴたりとくっついた身体が深く息を吐く。  しばしの逡巡の後、アイセメルはぺたり、左の頬を枕へ馴染ませた。ようやく現れた横顔はわずかに不服そうな表情を浮かべているが、湿った眸で見つめられては効果も薄い。気怠い色気をまとった顔に、ラーマの心臓が跳ねる。形のよいくちびるが疲れたように息をひとつ。 「…これで満足か」 「──まさか。まだ足りないに決まってるでしょ」  アイセメルの顔に動揺が走る。明らかに失態を悟った表情だった。何事か言い返そうとしたくちびるをラーマが素早く塞いだ。  ラーマは知っていた。切なく甘えてみせれば、自身の羞恥と天秤にかけたアイセメルが結局恋人の望みを聞き入れてしまうということを。彼女はこの年下の恋人にどこまでも弱いのだ。  奥へ引っ込もうとする舌を絡め取りながら、潜り込ませたままの指をくい、と折り曲げる。ざらりとした内襞をなぞられたアイセメルが腰を跳ね上げる。呑み込みきれなかった吐息がこぼれる。離れようとするくちびるを追いかけ、さらに深く口づけた。混ざった呼吸はもうどちらのものかも分からない。 「好き…好きよ、アイセメル、どんなあんたでも好き…ねえ、だから隠さないでよ、全部あたしに見せて、おねがい」  キスの合間に願いを降らせる。切実な響きを持ったそれに、金糸雀色の眸がぐらりと揺れる。 「…っ、は、…ラーマ、ぁ、」  眸が姿を隠し、寄る辺を求めた指先がラーマの手を捕らえ爪を立てんばかりにぎゅうと握りしめる。背を痛いほど反らせたアイセメルは何度か身を震わせ、そうしてぺしょりとシーツへくずおれた。  指を引き抜くと、余韻を追いかけるようにアイセメルの肩が強張る。そんな反応を前にラーマの好奇心が疼いたが、それよりも疲労を訴える腕に負けて、アイセメルの隣に身体を横たえた。夢中になりすぎた自覚はある。体勢そのものにも、それを保ち続けたことにも無理があったのだ。ここに来てラーマは、自身の体力の無さと彼女との身長差を恨めしく思った。  まつげが細かに震え、重たそうにまぶたが持ち上がる。汗で張りついた髪の隙間から金糸雀色の眸が覗く。その色はまだ欲を灯しつつも、かすかな抗議を滲ませていた。  文句を繰り出される予感に、ラーマは先手を打って口づける。 「やっぱりかわいいわね、アイセメルって」 「……君は本当に…」  もはや気勢も体力も削がれてしまったのだろう。深い深いため息をついたアイセメルが諦めたように目を閉じる。ふふん、と鼻を鳴らしたラーマは気怠い腕を持ち上げ、脱力する恋人を思いきり抱きしめた。 (ほら、あたしの勝ち)
 惚れた弱みというやつです。  2026.8.28