どうぞお手柔らかなご指導ご鞭撻のほどを。

 かたり、控えめに差し込んだ気配にアイセメルは顔を上げた。視線を向けた先、寝室の入口で佇むラーマの姿に思わず苦笑する。 「どうした、もう寝るつもりなのか?」 「はぁ? そんなわけ…」  怪訝そうに顔をしかめたラーマは、けれどアイセメルの格好をしばし見つめてようやく思い至った。  本を片手にヘッドボードにもたれたアイセメルは、ゆったりとしたバスローブを着用している。対してラーマは普段通りパジャマを着込み、一番上までしっかりボタンを留めていた。どこからどう見ても就寝五分前の状態である。  ラーマの頬がかあっと染まる。恥ずかしさを誤魔化すためにずんずんと部屋へ侵入したラーマはベッドへ登ると、アイセメルの足の間に潜り込むようにして向かい合った。ほんのり揶揄いのにじんだ視線が気に食わない。 「子守唄をご所望なら喜んで」 「あんたって、まともにムードも作れないわけ?」  取り上げた本をサイドテーブルへ置く。どうせ身を入れて読んではいなかっただろう。その証拠に、開いていた箇所よりも前のページに栞が挟まれていた。  両手でアイセメルの頬を掴み、ぐいと上向かせる。ほのかに濡れたラーマの髪から雫が落ち、アイセメルの頬から首筋へ伝い落ちていく。年若い恋人を見上げる金糸雀色の眸がつ、と細められる。 「きちんと乾かさないと風邪を引くぞ」 「…これ以上待てるわけないでしょ」  苛立たしげに呟いたラーマは、粗雑な言葉とは裏腹に慎重に顔を近付けた。ともすれば口から心臓がまろび出そうだった。なにも初めての口づけというわけではない。けれどそのどれもが事故のような接触だったり襟首を引っ掴んだり歯がぶつかったりと、甘い雰囲気とは程遠いものだった。  触れる直前、間近に迫る金糸雀色に、ラーマはつい固く目を閉じる。あと少しというところで生まれた空白はアイセメルが埋めた。  くちびる全体がやわらかな感触に包まれる。付かず離れずのついばむような口づけを数回。ちゅ、ちゅ、と鳴るかわいらしい音がラーマの焦燥を煽る。ちらりとまぶたを開けた途端、まっすぐ見据えてくる視線に鼓動が跳ねた。  アイセメルがわずかに口を開く。恐る恐る忍び込んだラーマの小さな舌先がちょんと伺いを立てた。静かにまぶたを伏せたアイセメルは、迷い子を導くように舌を絡め取る。舌の裏をくすぐり、形をなぞっていく。 「んぅ…」  ラーマの喉が震える。深く踏み入ったわけでも、性急に貪っているわけでもない。ただ触れ方を、息の継ぎ方をひとつひとつ教え込むような口づけだった。緩やかな舌遣いに必死に追い縋ろうとして、けれど追えば追うほど呼吸の仕方が分からなくなる。 「息を止めるんじゃない」  くちびるがわずかに離れた隙に慌てて息を吸うと同時、肺を満たしたのは酸素ではなくアイセメルの香りだった。湯上がり特有のこもった熱に混ざる、淡い香水の匂い。胸の内深くに入り込んだ香りに、頭の芯がぐらりと揺れた。もはや呼吸などいらなかった。欲しい、ただそれだけが思考を占める。もっと近く、もっと深く、この人の香りを、熱を。  のしかかるようにぐっと距離を詰める。少しの隙間も厭わしかった。呑み込むように口を開いたラーマは、自身のほうへ舌を引き込む。見様見真似の拙い動きで舌の裏を掠め、輪郭をねぶり、じゅ、と吸う。アイセメルの肩がひくりと震える。  細い指がパジャマの襟を掴み、ふ、と鼻にかかった声を洩らす。 「…そんなに急がなくとも、私は逃げたりしない」  舌先を繋いでいた銀の糸がぷつりと途切れた。こぼれた唾液をすくうようにくちびるを舐めたアイセメルが低く窘める。二人分の唾液で濡れたくちびるが、淡い照明の下でしっとりと艶を帯びていた。 「あんたが焦らすからでしょ」  ラーマは乱れた息のまま、恨めしげに睨み返した。  バスローブを下るラーマの指が紐を捉えた。緩く結ばれているはずなのに、先を急ぐ指先は何度も布の上を滑る。見かねたアイセメルがその片端をつまんだ。ずるりと結び目がほどけ、バスローブが肩から滑り落ちる。そのほんのわずかな間に、アイセメルは目の前のパジャマのボタンも下着もすべて外してしまっていた。  まるで輪郭を確かめるように、つう、と指先がラーマの胸をなぞる。普段はラーマより冷たいはずの指が、今は肌と変わらないほどの熱を持っていた。背筋に走る痺れを堪えきれず、アイセメルに抱きついたラーマは首筋へ顔をうずめる。また、あの香り。理性を散らすこの匂いが厄介で、けれどどうしたって逃れられない。 「…っ、ずるいわよ、あんたばっかり余裕ぶっちゃって…!」  悔しまぎれの意地にさえ湿った吐息が混ざる。重なった肌から、はち切れんばかりの鼓動が届いてしまいそうだった。  それもそのはず、今日は二人で過ごす初めての夜なのだ。それなのに緊張して焦るのはラーマばかり。アイセメルのほうがきっと─はっきりと尋ねたことはないが─年齢相応に経験が豊富で、小娘相手に今更緊張などしないのだろう。分かっていても、それがどうにも悔しかった。 「余裕、か」  けれどラーマの耳元に落ちた声には、思っていた以上の熱がこもっている気がした。  アイセメルが不意にラーマの左手首を掴み、そのままバスローブの内へと滑り込ませた。指先に触れた湿り気に、ラーマがびくりと身を強張らせる。下着を身につけていないアイセメルの太腿の内はしっとりと水気を孕んでいた。  ラーマの口から我知らず浅い息がこぼれる。初めて触れた熱に、興奮よりも動揺を覚えていた。進むことも引くこともできないラーマは視線を持ち上げ、目の前の顔をただ見つめるばかり。 「君こそ、私を焦らさないでくれ」  ラーマを映し込んだ眸の奥に灯る、確かな欲の炎。ラーマの腹の奥にも同じだけの熱が燻ぶる。  手首を引かれるまま、誘われるように二本の指を潜り込ませる。湯上がりの肌よりもなお熱いそこに、指先がぐずぐずと溶かされていく。触れているのはラーマのはずなのに、ともすれば呑まれていくような錯覚を覚えた。  眉をひそめたアイセメルがそっと片膝を立てる。きつく絡みついていた圧がわずかに弱まる。その隙間を埋めるように、指がさらに奥を探り当てた。 「そこ…撫でるように指を曲げて、」  声に混ざった吐息がラーマの肌をくすぐる。言われるがまま指を曲げると、ざらりとした感触が指の腹に触れた。アイセメルがきゅっとラーマの手首を握る。 「ここ?」 「ん…もう少し、お腹側を押すように…」  反応を見ながら奥へと進めた指でぐっと内壁を擦る。ひくり、アイセメルのまっさらな喉が反る。ラーマの手首を解放した指先が代わりにシーツを握りしめる。再び指を追い出さんばかりの締め付けに、ラーマも思わず息をついた。 「これでいい…?」  こくり、目を閉じたアイセメルが小さく頷いた。まるで吐息一つも洩らすまいとしているかのように、くちびるが固く引き結ばれている。つい先ほどまで余裕綽々と回っていた舌が肝心な時には噛み殺されてしまうことに、ラーマはわずかばかり不満を覚えた。その意固地な口をなにがなんでも開かせてやりたくなったのだ。  手首で少し角度をつけ、指の腹でやわく押し潰すように擦る。ばらばらと指を動かすたび、湿った音が鼓膜に絡みつく。ラーマは視線を据えたまま、慎重に熱を暴いていく。彼女が洩らす反応を一つたりとも見逃したくはなかった。  ひときわ敏感なところを掠めたのか、びくりと身体を跳ねさせたアイセメルは下唇を噛んだ。 「アイセメル…ねえ、きもちいい…?」  明確な答えを出さないまま、アイセメルが顔を背ける。それさえも許さず、右手で頬に触れたラーマは自分のほうへと視線を引き戻した。ぐ、と指を押し込めば、頑ななくちびるがわずかに綻ぶ。 「っ、ぁ、」 「先生ぶるなら、最後まで面倒見なさいよ。…アイセメルの全部、あたしに教えて」  真正面からこぼしたのは切実な願いだった。どうすれば熱を高められるか、どうすれば頑固な口から素直な反応を引き出せるか、どうすれば身を委ねてくれるのか。そのすべてを余すことなく知りたかった。  細かなまつげが震え、金糸雀色の眸が覗く。真剣な面持ちで見つめてくるラーマを眸に移したアイセメルは、ふ、と吐息交じりの笑みを浮かべた。目にしたことのない艶やかな微笑みに、ラーマの背がぞくりと震える。  不意に膝立ちになったアイセメルは、腕からバスローブを抜き去るとラーマの両肩に手をかけた。やわらかな曲線を描いた身体が、照明の下で無防備に晒される。ラーマが思わず喉を鳴らす。そんな少女を見下ろす眸が、つ、と細められた。 「それなら教えてやろう。─…私はもっと、激しいのが好みだ」  ぐじゅ、と。粘ついた水音がやけに大きく響いた。根元まで深々と呑み込まれた指がきゅうと襞に抱き込まれる、まるで待ち望んでいたと言わんばかりに。  アイセメルは腰を落としながら口づけを降らせる。無遠慮に割り入ってきた舌には、先ほどまでの手加減など微塵もなかった。あれだけ丁寧に受けた手ほどきの内容はもう半分も頭に残っていない。ただ?まれまいとして必死に舌を絡めながら、腰の動きに合わせて蜜壺をかき混ぜる。とめどなくあふれる欲のかたまりがラーマの指も手首もしとどに濡らしていく。  は、とくちびるが離れる。呑み込みきれなかった唾液がラーマの口の端を伝う。舌で舐め取ったアイセメルの口元には、堪えきれないような笑みが残っていた。 「ふ、…かわいいな、ラーマは」 「っ、ちょっと黙ってなさいよ、アイセメル…!」 「あっ、んぅ、っ」  アイセメルの首に片腕を回し、ぐいと引き寄せたラーマはそのまま噛みつくようにキスをした。それと同時に最奥で指を強く押し込む。ラーマに縋りついたアイセメルが背中で爪を立てる。肩甲骨付近に走る鋭い痛みと、触れ合った素肌の甘い刺激に、ラーマの腹の内がずくりと熱を持ち、視界がぱちぱちと一瞬白く爆ぜる。ともすればどこかへ落ちてしまいそうな快感にさらわれまいとして、ラーマはアイセメルにぎゅうとしがみついた。  ラーマを抱きかかえたまましばらく身を震わせていたアイセメルは、やがて力が抜けたように体重を預けた。 「ちょ、っと、まって、んぐっ」  当然ながら受け身も取れず、ラーマを下敷きにしてベッドへ倒れ込む。胸を圧迫する重みにラーマの息が一瞬止まった。そもそもアイセメルとは身長も体格も違うのだ、受け止めきれるはずもない。  覆い被さったアイセメルは、恋人の耳元でくつくつと楽しそうに喉を鳴らした。 「どうやら、君に教えるべきことはまだまだあるようだ」  今しがたまでラーマの背中に縋っていた指が、檸檬色の髪を丁寧に梳く。きちんと乾かしていなかったせいで、毛先は少しほつれていた。そのやわらかな手つきは、先ほどまで熱に浮かされていたとは思えないほど穏やかだった。  金糸雀色の眸を見上げたラーマはこれ見よがしにため息を一つ。言いたいことは山ほどある。けれどこの飄々とした年上の恋人には、何を言ってもかわされてしまう気がした。それよりも今は、初めて交わした体温を噛みしめていたかった。  アイセメルの首に両腕を回したラーマが、ちゅ、と軽く口づける。相変わらず睨み据えているつもりなのだろう。けれどその眸にいつものような鋭さはない。 「…もう少し優しく教えなさいよ」 「おや、天才といえど少々難しかったか」  ラーマは文句の代わりに、アイセメルの鎖骨へぐりぐりと顔を押しつけた。アイセメルとラーマ自身の香りが混ざり合った匂いに包まれる。  くすぐったそうに頬を緩めたアイセメルの指がまた髪を梳いていく。 「次はもう少し丁寧にしよう」 「…次はちゃんと、あたしがするから」 「ふふ、期待しているよ」  お返しとばかり、アイセメルが耳へくちびるを落とす。やわらかな熱に晒された耳は、隠しようもないほど真っ赤に染まっていた。 (今に見てなさい、なんたってあたしは天才なんだから)
 最初のころは所長がリードしてそう。  2026.9.2