飼い猫のお世話は最後まで。

※所長猫化※  何度目かの波が全身を揺さぶった。  うなじから尻尾にかけて痺れが抜けて、アイセメルはずり上げたスリップの裾を思わず噛んだ。頭頂部から生えた耳が情けないほど小さく震える。うずめた指先を締めつける収縮が収まっても、身体の熱が引く気配はなかった。  アイセメルに異化の兆候が表れて三日が経った。  猫のような耳と尻尾が生えたことと、夜目が利くこと、動くものをつい視線で追ってしまうこと以外は特に異変もなく過ごしている。研究所の職員たちの順応も驚くほど早く、初日以降、上司のかわいらしい姿に言及する者はいなかった。あまりにも馴染んでいるから、というのも理由の一つかもしれない。鋭い視線としなやかに相手の懐に入り込む彼女はさながら猫のようで、そんな彼女に耳や尻尾が鎮座していても違和感は少なかった。  そんな中、ラーマだけは他の職員と違う反応を見せた。顔を合わせるたびに胸元のリボンを解き、アイセメルの目の前でこれ見よがしに揺らしてみせるのだ。アイセメルは飛びかかりたい衝動を何度も抑える必要があったが、それも大した問題ではなかった。  このまま何事もなく症状が治まることだろう──今思えば楽観視しすぎていたのかもしれない。  異変は昼過ぎに起こった。腹の奥に溜まる熱と、ぞわぞわと落ち着きのない背筋。始めは風邪でも引いたのかと大して気に留めていなかったが、堪えきれない熱は時間の経過とともにじわじわとアイセメルの全身を蝕み始めた。  極めつけはラーマとの接触だった。  背後からこっそり尻尾を触るという、ラーマにしてみれば些細な悪戯。けれど当のアイセメルは毛並みを撫でられた途端、耳と尻尾をぴんと立ててしまった。我知らず浅い呼吸が洩れる。尻尾の付け根が甘やかに痺れる。力が抜けそうになり、咄嗟に廊下の壁に縋った。 「ど、どうしたのアイセメル、大丈夫? ごめんなさい、体調悪いなんて知らなくて…」  突然体勢を崩したことを体調不良だと受け取ったのだろう、動揺したラーマが身体を支えようとする。心配そうに伸ばされた手を振り払ってしまった。その刺激にさえじりじりと体温が上がっていく。 「大丈夫、だから、気にするな…」  吐息が熱い。視界が揺れる。なんとか吐き出した声が言葉どおりの響きを持っていないことくらい、アイセメル自身が一番分かっていた。しかし今は気にしている余裕もない。一刻も早くラーマの元を去らなければと、ただそれだけに意識を集中させ逃げるようにその場を後にした。  引き継ぎもそこそこに自室に引きこもる。残業ばかりのアイセメルにしてみれば随分と早い時間の退勤ではあったのだが、その時点で身体はすでに限界だった。  ベッドに向かう道すがら、乱雑な手つきで服を脱ぎ捨てていく。布が肌を擦る感触ひとつにさえ尻尾が敏感に反応する。  スリップ一枚になったアイセメルは、倒れるようにベッドへ身体を横たえた。熱を持った肌をシーツが受け止める。足の間へ指を差し入れると、ぐじゅり、不快な音が鼓膜を突いた。まぶたを閉ざし、深呼吸をひとつ。認めたくはなかったが、ここまで来ればもう否定のしようがない──発情期を迎えてしまったのだ、と。  大人しく眠ってやり過ごすことは到底できないほどの熱だった。動物としての本能が、この欲の行き場を求めていた。  固く目を閉じたアイセメルは、蜜をこぼし続ける只中へと指を埋める。充分に潤っているそこは二本の指を難なく受け入れていく。中指と薬指を第二関節まで沈めて、くっと押し上げるように内襞を掻いた。疼きにも似た快感が、身体の内側から尾骨へと伝う。シーツの上で尻尾が波打つ。普段よりも鋭敏になっているのは気のせいではないだろう。  浅く息をついて呼吸を整える。制御できない熱から早く解放されたかった。指を抜き差ししながら、固く熟れた花芯をこする。  最初の果ては案外早く訪れた。きゅう、と自身の指が締めつけられる。喉が低い鳴き声を洩らす。自分の意志に反して腰が高く持ち上がり、つま先がシーツを踏みしめる。それでも身体の底に生まれた渇きは少しも満たされなかった。むしろ熱に触れてしまったことで、より飢えを自覚する結果となった。  アイセメルは眩暈のような絶望を覚える。どうやら猫の発情期は、彼女が想像した以上に重いようだった。  緩みきった口から湿った吐息がいくつもこぼれ落ちていく。にじんだ涙が視界を歪ませる。  もう何度果てを見たか知れない。腕も腹筋もとうに疲れ切っていたが、腹の奥底の燻ぶりは少しも鎮まらなかった。抜かずの指先がもはや無意識に熱のありかを探る。  ラーマ、と。熱に浮かされている間ずっと思考を占めていた人の名前を呼吸とともに吐き出す。たったそれだけで、腹の内がきゅうと切なく締まる。ここにあの子がいてくれたら、背を撫でてくれたら、飢えを満たしてくれたら── 「──アイセメル?」  不意に転がり込んだ声に、びくりと耳が反応した。反射的に上体を起こし、耳をそばだてる。控えめなノックの音がまたひとつ。 「ねぇ大丈夫? …あたし、なんかしちゃった?」  扉越しに投げかけられる声音には、ラーマには珍しく純粋な心配がにじんでいた。  誘われるようにゆらりと立ち上がったアイセメルは、覚束ない足取りで入り口を目指す。扉に頬を押し当て、は、と息を吐く。無機質な冷たさが頬を伝っても、身体の熱は一向に収まる気配を見せない。ここで追い返したとして、ラーマはきっと理由をつけて部屋へ入ってくるだろう。それになによりアイセメル自身が、扉の向こうの彼女を欲してしまっていた。 「そこにいるの? ねぇ、もしあたしに出来ることがあれば……っ、」  呼吸をひとつ。意を決して、扉を開けた。  頭ひとつ分ほど下にあるラーマの眸と鉢合わせる。驚いたように目を丸めたラーマは、アイセメルの乱れた姿を見とめてかぁっと顔を赤らめた。そんな反応を気にする余裕も理性も、もうほとんど残っていなかった。  何事か言いかけたラーマの手首を取り、室内へ引き入れる。扉を閉めると同時、アイセメルは目の前の口を塞いだ。戸惑うくちびるに割り入り、ざらついた舌で口蓋を舐めると、ラーマはたまらずアイセメルの腕に縋りついた。ちろりと覗いた小さな舌が必死に応える。拙い舌遣いだというのに、アイセメルの喉は歓喜に鳴いた。  足をもつれさせながら部屋の奥へと進み、二人して雪崩れるようにシーツへ沈んでいった。ラーマの足を跨いだアイセメルが四つん這いでにじり寄る。ラーマをひたと見つめる視線はさながら、獲物を捉えた獣のよう。 「ア、アイセメル…!?」 「出来ることはないか、と言ったな。…それなら、君の手を借りたい」  いまだ動揺しているラーマの左手を捧げ持つ。猫のように細かな突起がある舌を出したアイセメルが、中指の腹をざらりと舐める。根元まで口へ迎え入れて、じゅ、と吸うと、ラーマの眉が苦しそうに寄った。長い尻尾がしゅるりとラーマの腕にすり寄る。くすぐったさにラーマがそっと身をよじる。 「…どうしてほしいの」 「─…この熱を、どうにかしてくれないか」  語尾が情けなく掠れる。みっともなくとも、それがアイセメルの精一杯だった。  切実に落とされた願いに、若き天才はすべてを悟ったようだった。唾液で濡れた指先を見つめるラーマの顔は真っ赤に染まっているが、視線を逸らすことはない。 「…馬鹿じゃないの」  震える声でラーマが吐き出す。羞恥に揺れる眸の奥に、わずかな苛立ちが灯っている。 「そんなふうになる前に、さっさとあたしを頼りなさいよ」  言い終えるなり、上体を起こしたラーマがアイセメルの鎖骨へくちびるを押しつけた。噛みつくように一度やわく歯を立てる。鈍い刺激に、アイセメルは喉を晒すように顎を持ち上げた。ぐるる、と。身体の芯に響くような低い音が勝手に鳴る。 「…だから今、頼っただろう」 「遅いのよ、馬鹿」  スリップの裾から這い上がった手が胸を包み込む。すでに立ち上がっている突端を弾くように転がされたアイセメルは、ごろごろと更に喉を鳴らした。乱れた髪から覗く耳がぱたりと伏せられ、尻尾の先がゆらりと揺らめく。  もう片方の手が背中へ回る。尾の付け根を探り当てたラーマがとん、と指先で軽く叩いた途端、アイセメルの背筋がぴんと伸びた。 「にゃっ、ぁ、」 「やっぱりここ、好きなの?」  アイセメルの口から堪えきれない鳴き声が洩れた。あまりに素直な反応を見とめたラーマは満足そうに頬を緩ませる。 「アイセメルってば、本当に猫みたいね」 「…人を、猫扱いするとは……は、ぅ…」 「あたし、ちょっと調べたんだけど。猫ってここを叩かれると喜ぶんでしょ?」  ラーマの左手が柔な胸の形を変え、右手は尻尾の付け根をあやすように叩く。逃げるどころかむしろ追いかけるように、アイセメルの腰がひくりと浮いた。強がりと裏腹の仕草は、どんな言葉よりも雄弁だった。  アイセメルは崩れるように、ラーマの肩口へ顔を寄せる。鋭敏になった嗅覚がラーマの香りを嗅ぎ取り、身に宿る熱を高めていく。匂いを求めるように鼻先をすり寄せ、喉を鳴らし、浮かんだ汗の玉をざらついた舌先で舐め取った。 「…っ、ちょ、アイセメル…」  ラーマの声がわずかに上擦る。こぼされる名前ひとつで背中がじんと痺れるようだった。  跨ったラーマの太腿に触れている部分がひどく熱を持っている。先ほどまでアイセメル自身で慰めていたそこから愛液があふれ、ラーマの足をしとどに濡らしていた。  ラーマの首筋に顔をうずめたまま、アイセメルはゆっくりと腰を揺らす。痛いほど尖った花芯を潰すように擦りつける。浅ましいほど正直な動きに、腹の奥がきゅうと切なく締まる。自分自身の行動を理解してはいるが、止めるほどの理性はもはや欠片も残っていなかった。 「ラーマ、もう、いいから…っ、…早く、」 「…欲しい?」  随分と意地の悪い問いだった。続く言葉は分かっているだろうに、ラーマはそれでもアイセメル自身の言葉を求める。  はあ、とアイセメルが熱のこもった吐息を洩らす。普段の彼女であれば口にしないであろう願いが、けれど今ばかりはするりと口を突いて出た。 「─…君がほしい」  肩口から顔を上げアイセメルがラーマを見下ろす。金糸雀色の眸は欲で濡れ、いつもの怜悧さを欠いている。ぺしゃりと伏せた耳も、ラーマの膝をくすぐる尻尾も、ごろごろと低く甘え続ける喉も、すべてがラーマを求めていた。  ラーマが一瞬息を詰め、それからふ、と眦を緩めた。勝ち気なくせして、その実すべてを許すような視線に、アイセメルの鼓動が知らず跳ねる。胸の輪郭をなぞっていた左手が腹を下り、アイセメルの太腿の間に潜り込んだ。 「…最初からそう言いなさいよ」 「っ、ふぁ、あっ」  ぐじゅ、と粘ついた水音が鼓膜を叩いた。アイセメル自身の手によって解された身体が、ラーマの指を易々と呑み込んでいく。求めていた圧迫感に思わず太腿に力がこもる。くちびるを噛みしめる暇もなく、押し出されるように声がこぼれた。  どろどろとあふれる熱源を掻き出すように、ラーマの細い指が内襞をこする。そのたびに響く声はまるで猫の鳴き声のようでもあった。羞恥はどこかへ消え去り、ただひたすらに身体の奥に灯る甘い疼きを追っていく。  ラーマが右手で尻尾の付け根をやんわりと握れば、アイセメルの背中が痛いほどしなった。電流にも似た痺れが背筋を駆け上がる。ぱちぱちと弾ける視界に、アイセメルはたまらずラーマの髪へ顔をうずめた。  浅い波を越えた身体から力が抜けていく。伏せた耳をぴくぴくと震わせながら、荒い呼吸をなんとか整えようとする。しかしラーマの手は緩まなかった。 「まだ満足してないでしょ」  伏せた耳元へ囁きが落ちる。埋めた指を増やしたラーマがより深くにある熱に触れて、瞬間、呼吸を忘れた。はく、と酸素を掴みそこねる。まるで余韻から抜け出そうとしていたアイセメルをもう一度沈めるようだった。 「あ、ぁ、ラー、マ、待てラーマ…もう…っ、もう無理、」 「本当に?」  吐息交じりの懇願は、けれど最後まで言葉にならなかった。  やめてほしいわけではない。ただこれ以上受け止めるだけの余裕が残っていなかったのだ。ラーマに触れられる前から自身で慰めていたせいで、アイセメルの体力はもう限界に近かった。けれど腹の奥の熱はいまだ冷めやらないどころか、ラーマの指を深く咥え込んで離そうとしなかった。  物欲しそうに腰が揺れる。毛並みの良い尻尾がしゅるりとラーマの腕に絡みつく。 「ねぇアイセメル。まだ欲しいんでしょ? それなら全部、あたしに委ねてよ」  ラーマの口調はひどく優しかった。  震える息をゆっくりと吐き出したアイセメルが、やがて躊躇いながら顔を上げる。まっすぐ見上げてくる翡翠色の眸を、薄く濡れたくちびるを、まだ手放したくないと、浅ましくも願ってしまった。  くちびるを噛んで、ほどいて。 「─……もっと、ほしい」  掠れた声がようやくそれだけの望みを口にする。  見下ろした翡翠色の眸が揺れて、そうしてやわらかく笑みを形づくった。 「ん。よく言えました」  背中に触れた手が甘やかすように尻尾の根元を撫でる。まるで愛猫を褒めるような手つきに、アイセメルの身体の芯がじんと痺れた。腹の内を満たしている指をきゅうと締めつけてしまい、思わず吐息がこぼれる。  ラーマの頬に両手を添えたアイセメルが、誘われるように口づけを落とす。触れたくちびるは、喉を鳴らしてしまうほど甘かった。 (とっくに飼い慣らされているのかもしれない)
 所長、あまりにも猫っぽいのでいっそ猫にさせてみようの回  2026.9.9