子守唄にはまだ早い。
暑い。重い。苦しい。
寝苦しさに眉を寄せたラーマは、薄くまぶたを開けた。
日の出前なのだろうか、室内にはまだ夜の気配が満ちている。夏の盛りが過ぎたとはいえ未だ熱帯夜が続いているため、空調をつけて眠りに就いたはずだった。にもかかわらず、身体が妙に熱を持っている。寝返りを打とうにも、がっちりと拘束されているようでそれも叶わない。
まばたきを一つ、二つ。世界が輪郭を持ち始める。頬に触れる体温と、目の前に広がるまっさらな肌、瑞々しい弾力。ひとつひとつの感触を寝ぼけ眼で辿り、そうしてようやく自分の置かれた状況を──恋人に抱き留められ、胸元に顔をうずめているという体勢を理解したラーマの眠気は完全に吹っ飛んだ。
「ア、アイセメル…!?」
動転した声が転げ出る。返事の代わりに穏やかな寝息が返ってきた。お互い仰向けで─明かりを消した後、ラーマだけはこっそり身体をアイセメル側へ向けたが─眠ったはずなのに。どうやら気付かないうちに抱き枕よろしく抱き寄せられたらしい。
アイセメルはいつもスリップ姿でベッドへ入る。そのせいで、やわらかな双丘も深い谷間も、ラーマの吐息が掠める距離にあった。
ラーマは思わず天を仰ぎたくなった。徹夜明けの彼女たちは、示し合わせたように大人しく毛布を被り、お互いに手を出すことなく夢へ沈んだのだ。就寝前はたしかに疲れ果てていたはずなのに、隣の柔肌や体温を意識した途端、ラーマの身体の奥で熱が燻ぶり始めていた。
だから抱きつかなかったのに。ラーマは不満そうにひとりごちる。なんだかんだと理由をつけて身を寄せるのはいつもラーマのほうだった。今夜だってそうしたかった。けれど抱きしめれば指を絡めたくなるし、指を絡めればキスをしたくなるし、キスをすればそれ以上の熱を欲してしまう。それが分かっているから渋々距離を置いたというのに、ラーマの努力はアイセメルによって簡単に崩されてしまった。
沸々と湧いたのは行き場のない欲と憤りと、ほんの少しの悪戯心。
谷間に顔を埋めたラーマがくちびるを押しつける。ふっくらとした肌がわずかに沈んで、軽い口づけを受け止めた。そのまま二つ三つと、少しずつ谷間を下りながら口づけを落としていく。
目覚める気配がないのをいいことに、ラーマはちゅう、と肌を吸った。まっさらな胸元に残る赤い所有印につい、ラーマの頬が緩む。アイセメルは痕を刻むことを滅多に許さない。けれど今ばかりは一つや二つ許されるだろう、だってその原因を作ったのは彼女自身なのだから。
「んぅ……ラーマ…?」
言いがかりにも似た免罪符を盾にさらに進攻しようとしたところで、頭上から名前が落ちてきた。ラーマの肩が思わず跳ねる。
「っ、…起こしちゃった…?」
「ん…起きてる……」
言葉に反して、まだ夢に片足を引っ張られているようなふわふわとした声音だった。背中に回っていた腕の力がわずかに緩む。
ほんの少し距離を置いたラーマが顔を上げた先で、アイセメルは薄く目を開けていた。やけに緩慢なまばたきを繰り返し、焦点を合わせるようにラーマを見つめる。幼くも見えるその仕草に、急にばつが悪くなったラーマは視線を逸らした。しかしその態度で、アイセメルはぼんやりと察したようだった。左手をラーマの頬へ伸ばし、親指で優しく撫でる。
「…甘えたいのか?」
「違うわよ」
「そうか…なら、したいのか」
「ちょっと! 言い方!」
あまりにも直球な物言いに、ラーマはつい叫んでしまった。違わないことはないが、それにしたってあまりに直接的すぎる。
顔を真っ赤に染めたラーマに構わず、スリップの裾を掴んだアイセメルは少々もたつきながらも胸元までずり上げた。先ほどまで薄い布一枚隔てていた胸が、ラーマの眼前に惜しげもなく晒される。カーテンの隙間から差し込む月明かりがまっさらな身体を淡く照らす。夜闇に浮かび上がるやわらかな肢体は、いっそ神々しくもあった。
突然目の前に差し出された肌に、ついに首まで染め上げたラーマが言葉を失う。
「……っ、あんた、なにを…っ」
戸惑いはやわらかな肌に吸い込まれていった。腕を回したアイセメルが、ラーマの頭を自身の胸元へ引き寄せたのだ。
右胸に軟着陸したラーマが文句を言おうと口を開いて、けれどくちびるが胸の先端に触れそうになり慌てて口を閉ざした。つい今しがた刻んだ仄赤い所有印が視界の端でちらつく。アイセメルの足がラーマの足を絡め取る。先ほどよりもさらに縮まった距離に、ラーマの心臓はうるさいくらいに飛び跳ねていた。
ラーマの動揺に気付いているのかいないのか、金糸の髪を梳くように髪を撫でたアイセメルがぽつりぽつりと言葉を落とす。
「あとは…君の、好きに…してくれ……」
語尾が曖昧にほどけていく。顔を見ずとも、声の主が再び夢に沈みゆこうとしていることは明白だった。
胸に埋もれたままのラーマは、まだ熱の引かない頬を膨らませる。端から見ればたしかに色気のある光景ではある。けれどアイセメルの手つきは恋人を誘うというより、眠れなくてぐずる子をあやすそれに近かった。しかもラーマに身を委ねるような発言をしつつ、眠る気満々な姿勢なのも気に食わない。
「…子供じゃないんだけど、あたし」
なるべく口を動かさないよう、もごもごと言い返してみる。
「ん…そうだな……」
頭を撫でる手が段々と緩やかになる。
「本当に好き放題してやるわよ、あんたのこと。いいの?」
ラーマを乗せた胸が穏やかに上下する。
「ん………」
返事はとうとう途絶えた。力を失った手がぱたりとシーツに落ちる。聞こえ始めた規則正しい寝息に、ラーマの負けず嫌いな性分に火がついた。
下から持ち上げるようにして右胸を支え、先端をぱくりと咥え込む。つ、と。舌でゆっくり周縁をなぞっていく。シーツに形を潰されている左胸をもう片方の手で掬い、人差し指で右胸同様にぐるり円を描く。時折胸の突端を悪戯に掻けば、ぴくり、アイセメルが小さく身じろいだ。
甘く立ち上がりかけている先端を、舌先と指の腹でノックするように触れる。
「…ん、ふぅ……」
トン、トン、と拍を刻むように弾くたび、アイセメルの口からため息のような吐息が洩れる。完全には眠りに落ちていない様子に、ラーマは口の端を持ち上げる。どこが弱いか、どんな触れ方が好きか。恋人の悦ばせ方くらい、ラーマはとうに熟知していた。
わずかに緩急をつけ、トン、トン、と。胸をやわく押し潰すように、けれど強い刺激は与えないように。アイセメルの呼吸が徐々に乱れていく。絡めた足に力がこもる。じわり、肌に汗が滲む。それでもラーマはペースを崩さない。
ふと、アイセメルの手が再びラーマの後頭部を押さえた。
「ラーマ…、もう……」
小さく落ちた声に、ラーマはちらと視線を上げた。
適当にたくし上げられたスリップが、アイセメルの首元でくしゃくしゃに丸まっている。布地を越えた先、ようやく覗いたアイセメルの眸が濡れていた。金糸雀色の眸は懇願を灯している。ふ、とラーマは口角を上げる。
「あんたが言ったのよ、あたしの好きにしていいって。それとも、これじゃ不満?」
わざとらしく首を傾げるラーマに、アイセメルの喉が詰まった。何かを堪えるように膝を擦り合わせる。
ぎゅっと目を閉ざしたアイセメルは、わずかな逡巡ののち、ラーマの首へそっと両腕を回した。引き寄せられ、吐息が混ざり合う。
「─…今度は、私の望むことをしてくれ」
ほとんど掠れたアイセメルの願いに、ラーマは一瞬目を丸くした。けれどすぐに目尻を下げ、ちゅ、とくちびるを重ねる。
「──二度寝なんてさせないから」
挑発的な宣言に、アイセメルは返事の代わりに腕の力を強めて再度くちびるを求めた。性急に交わる吐息に、ラーマはひそかに勝利を確信する。
カーテンの向こうでは、ゆっくりと陽が昇り始めていた。
(いいわよ、好きなようにしてあげる)
所長はベッドでは堪え性がないといい。
2026.9.17